【酔仙ノ章/壱】酔仙乱舞
第一幕 持て余された子
科挙とは、古く隨の時代に見られた官僚登用制度である。
この国において、門閥、閨閥、軍閥を経ず出世を望む者の最後の手段と言って良い。
齢六十、七十を重ねて合格を勝ち取るなどざらにあり、中には、生涯の全てをこの科挙にかけて朽ち果てていくものまである。
それほどまでに、出世とは意味のある行為だ。己を──いや、己だけではない。伴侶を、子を、一族を、故郷を救う手段である。
一族から一人才あるものが出、官僚に取り立てられれば故郷が潤う。少なくとも、一族は安泰である。
故に、多くのものはこの科挙に挑む。
そしてこのような出世を目指すものは、今の時代、どこを見渡しても同じこと。一見豊かに見える土地でも、各所にきな臭いものはいくつもあった。
時にこの科挙は文官の登用制度であり、当然、武官には武官の制度がしかとある。
それが、
──武経。
である。
筆記試験に限っていえば、中には、「科挙より易しいものだろう」と言うものまでいるが、あくまで、筆記に限ったこと。
当然「武」を競う競技もあり、これは対人での打ち合いもある。徒手、武器を使った武芸試合から身体性を競うもの。
故に、死者が出ることも珍しくない。
和深と違うのは、その広大な土地を、一人の天帝が統べる点にある。和の地に神があるように、この仙龍の地には天帝がおわす。そして、「仙人」とされる超越者がいるとされる。
そうした仙人たちは雲を駆け、海を飛び、風を置き去りにして大地を叩き割り、山を持ち上げる──と噂されるほど。
けれども、力あるものが無闇にその力を振るうことがないのは、いかなる土地でも同じだ。畢竟、強さとは心なのだろうか。
さりとてこの激動の時代である。皆に心を律せよ、といって、はいそうですかと聞き入れられはしない。
それが人の世である。心のなんたるかを説き伏せるより、「経験させた方が早い」というのはどこも同じことが言われるのだ。
若者、壮年、老齢者。
いずれもが達人の域。
激しく武闘を演じる中で、ふと、
その「者」は異様であった。
体ごとぶつかるように肩から相手の顎に打ちかかると、体重を移し込むようにして踏み込んで突き飛ばし、よろめかせた。
相手はどう見たって一〇〇公斤(100kg)は超えている巨漢。筋骨隆々、動く山の如き偉容である。
しかし、その者はせいぜい、三〇公斤に達するかどうか。
──単的にいえば、子供なのだ。しかも、女である。
別段、仙龍は女だからと試験から弾いたりはしない。能力さえあれば良い。仙女、と言う言葉がある通り、仙人に至るのは男だけではないように、武を極めんとするならば、その時点で同じ存在だ。
故に、巨漢も加減などしなかったはず。
けれども一方的に投げ飛ばされ、転がされ、打たれる。
少女は素早く巨漢の正中に、一呼吸の間に十五の打撃を叩き込んだ。
巨漢はたまらず泡を吹いて昏倒。
その男の知り合いなのか、一人、若い男が何やら怒鳴った。
少女は鼻を鳴らして、
「
とだけ告げる。男は顔を真っ赤にし、飛びかかった。
少女はふざけているのか、真面目か、その場ですとんと寝転がってぐるぐる回り、男の下を潜った。
そして起き上がりざまに右足首を両手で掴んで引き倒し、顔面を強かに床に打ち付けさせる。
少女は腰のバネの力だけで起き上がるや否や、隣で戦っていた男のうなじを肘で打ち抜いて拐を奪うと、両手にそれを握りしめて、起き上がった巨漢の相棒に迫る。
「
「
まず右の一撃で男の左拳を粉砕し、左の殴打で右の肘関節を砕く。
返す拐の肘部分で顎を割り、両の武器を投げ飛ばすと、右足を思い切り押し付けて、男を壁に叩きつけた。
恐るべき怪力。
少女はぱんぱん、と手を叩いて、鼻を鳴らす。
「
つまらなさそうに、少女は言った。
結局彼女は参加者五十九名を再起不能にし、さらに五名の命を奪った。
だが、その「純粋すぎる闘争本能」は、さすがに扱いが困難すぎるとし、此度の武経の名簿から外されることとなるのだった。
姓は
それが、当時十一歳だった神童の名である。
〓
シアにとっての人生とは、強者と戦い、打ちまかし、己を示すことにあった。
そうせねばならないとか、そうせねば暮らしを脱却できないと言うわけではない。己は良くも悪くも、裕福な暮らしができる大きな商家に生まれたのだ。
だが、生まれ持っての喧嘩っ早さと男まさりな性格故に、幼い頃からあちこちで喧嘩、喧嘩、喧嘩。
気づけば地元で敵うものはなく、親は呆れて武経に推挙するよう方々の知り合いに頭を下げて回り、シアはあの場に立った。
だが、結果は失格。やり過ぎた──らしい。
帰ってきてからは、いくつかの縁談をもらった。だがシアのぶっきらぼうな態度や、「力比べ」で骨を折られた男どもは情けなく腰を抜かし、縁談は悉く破談。
姉二人、妹一人はもう嫁いでいるか、嫁ぎ先を決めているかで、家の繁栄をますます確かなものとしていた。
両親は口を開けば出世、出世、出世。うんざりする。
そのための武経で己は強すぎると言う理由で取り立ててもらえなかったではないか。なぜ強いことが罪なのか、理解できなかった。
強いことで出世できぬ世はつまらぬ。小手先で強者の皮をかぶって、なんになる。
「つまんねー」
シアは既に、二十二歳。医療技術の発達目覚ましい時代である。人間の平均寿命はずいぶん伸びた。だが、それでも二十で結婚していなければ行き遅れというのが、世界どこを見ても共通する思考としてある。
何か面白いことはないか。いっそ、どこぞの馬鹿が反乱でも起こしてくれればいいのに。
滅多なことではないが──思ってしまう。それほどまでに、泰平の世とはつくづくつまらないと。
そんなあるときである。
夏、茹だるような中。
「
「カズミ? 東の?」
「そうだ。いや……正直に話そうか」
両親は応接間でかしこまり、頭を下げた──娘である己に対し、深く。
「ここから出ていってくれ。家名に傷がつく」
「なんだ、そういうことか。先に言ってくれよ」
シアは笑って、差し出されていた磁器の茶入れを蹴飛ばし、割った。
「毒だろ、それ。くだらな……言われなくても、そーする。こんなつまんねーとこ出てってやるよ」
「あなた、父上になんて口を!」母が口を挟む。だが、直後シアの中で何かが爆発した。
「黙れよ農民出の阿婆擦れが」
シアの口から出たのは、恐ろしい罵倒だった。母は恥辱に顔を真っ赤にし、鉄扇をがつ、と壁に投げつけた。
だが張り手を打とうとし、思いとどまる。シアが躱すこと、すかさず反撃してくると思ったのかもしれない。
「我が子捨てて、何が、父上だ。……はっ、せいせいした。ここにいると腑抜けがうつっちまうからね」
父が差し出した金子は、路銀として必須。だがそれを跳ね除け、部屋を出た。
その父は、恥辱に震えていた。「もうよい、お前がその気なら、私とて手段は選ばぬぞ」
屋敷の外に出ると、夕刻の日暮れに浮かぶように二人の男がいた。
──十年前の、武経の、
「はあ……」
何やら喚いている。手足をもいでやる、豚の餌にしてやるだの。
出来もしないことを。
とんとん、とシアは二度、地面を蹴り、駆け出した。
つま先で弾いた石を握り込んで投擲、右の比較的小さい方の左こめかみを抉り抜いて昏倒させる。
巨漢は雄叫びをあげて青龍刀を振るうが、遅い、遅すぎる。
シアはくるりと宙に身を投げて唐竹の斬撃を回避、相手の青龍刀の腹を掌底で打ち、砕く。
「どうした」
「なにを、した」
「
宙で拳を三回振るった。一撃目で鼻を潰し、二撃目で顎を粉砕、三撃目で喉を潰す。
着地と同時に、弓と鉄砲を握る連中──賊でも雇ったのだろうか?
──つまんね。
シアは俺た青龍刀を拾い上げて、それらしく構え、迫る銃火の悉くを斬り伏せた。
そうして彼女は故郷を捨て、東の地へ向かう。
きっかけは放逐。しかしすでに己の目的は更新されている。
神──天帝が多くいるというのは奇天烈ではあるが、仙龍にも三国時代など、多く戦乱の国が立ったこともあったゆえ、和深もその過渡期と見ればおかしくはないか。
うずいた。一体どれだけの強者がいる。己はどれだけ伸びる。
指が震え、喉が戦慄いた。和深の港──天海郷の
道ゆく有象無象さえ、刀を差しているではないか! ここは──桃源郷だ! こんなに素晴らしい土地はない! 武に、喧嘩に、試合に困らない!
──ここはまさに己の理想とした世界だ。
早速、シアは道場を探し、武芸試合に挑むことにした。
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