第六幕 眠り舞

「奇妙な取り合わせですな」


 オムニバス──乗合馬車に乗せられたレインたちは、和深地域の警察──藩庁四課、それらの大元である坂東警視局……つまり本庁の警官に、そう言われた。

 警官はこの状況をどう思っているのだろう。

 光希はなぜ警官を動かせるだけの電信を打てたのだろう。


「上申電報だ」


 光希はそう言った。


「以前、鉄道が脱線したことがあったろ」

「何度かあると聞くが?」なつめが目を細めた。


 ポイントと呼ばれる点の故障による脱線事故、息違うはずの鉄道が正面衝突する恐ろしい事故。今日日きょうびまで三回の大きな鉄道事故がある。

 八七四年十月、十二月、そして八七七年の、鉄道事故で初めて死者を出した悲惨な事故。


「一回目の時だ。あのとき、俺も乗ってた。電信自体はその前からあったろ。横濱から坂東までを繋いでた」

「ああ、そうだったな」


 八六九年に、その電信は開通。遠方へ文字を、一瞬で送れる技術に人々は歓喜した。

 雷獣にとっては、

 ──俺たちの電気会話よりずっと遅いけど。

 と思いこそすれ、しかしそれをカラクリでやってのけたことに、驚いた。


 警官は舌を巻いている。ずいぶん詳しいと。

 レインはこの国の歴史を知れるので黙って聞いて、和真は窓硝子の外を睨んで警戒している。

 馬車の荷台は側面と後ろが木製の壁・扉で、前方が御者と話すため、開け放った作りである。


「あのとき、術師衆の客がいて、電信を急いでいた。俺は一筆斎として売り出したばっかだったけど幸いそいつは俺を知っていて、電信を託した。その時に上申電信を知った」

 ──決して悪用なんかするなよ。

 そう言っていたのを覚えている。


「今回は妖命じんめいがかかっているからな」

 和真は釘を刺すようになつめを見た。現状、一番病状が重いのは呼吸が時々乱れる大瀧蓮だが、なつめが血の汗を拭いていたことは皆覚えている。


「駅逓と警察は仲が悪いんですが、無論、警察にも駅逓寄りの者もおります。……しかし賭けでしたな。反駅逓が駆けつけていれば、時を食ってましたぞ」

「そこは賭けだった」

 光希はしれっと言った。


 車を引くのはしかし、馬ではなく、化獣ばけものという生物。キバテイ──〈鬼刃蹄〉という種の、未去勢の馬系のものだ。レインの本国では、魔物やらに近い生物であるという。

 未去勢の馬というのは非常に気性が荒い。扱いを間違えれば大事故だが、御者は慣れたもの。この和深では暴れ馬を手懐けてこそ一人前とするどうにも理解に苦しむ風習が昔からあるらしい。


 夜半、馬車は診療所に向かって進んでいく。


「お巡りさんにも知っておいた方がいいかもしれない」


 なつめが口火を切った。


天慈颶雅之姫様あまじくがのひめさまの命で、私と和真はここへ来た。詳しくは話す気はないけれど、おそらく五月に、この郷で何かが起こる」


 警官が顎髭を撫でる。

「それは、御神命か」

「如何にも。証明もある」


 なつめは和真に目配せ。息があっており、彼は手元の袋から鉄札を取り出した。

 そこには爪で刻んだような字で、こうある。

『神名行脚証』と。


「龍をかたどった雷と桜の紋……確かに、これは天慈颶雅之姫様のものだ」

「俺たちはこの地で仲間を集い、来たる災渦に備えるために来ました。警察の方なら信頼が置けますが、……今回の一件、おそらく」


 関係している。

 和真は口に出さず、そう、目つきで告げていた。


 大瀧蓮は、大柄なのもあって床に寝かされている。どうにか呼吸は安定しており、時折呻き声を上げる。


「光希、どうだ」レインが問うた。

「超雷電術の矛、盾の同時使用の弊害だな。軽傷だけど、一月はまともに歩けない」

「軽傷でそれか?」

「重症になったら全身の筋肉なんかズダズダだ。二度と体を動かせなくなる」


 どうやら雷獣が扱う術というのは、一つ間違えば命取りになるものらしい。

 しかし、考えれば当然か。

 国は違えど、雷が神の声、神の武器、神の怒りとする考えはエルトゥーラも和深も全く同じ。

 その、神が如き力を振るったのである──ヒト、の身で。

 その後遺症が、むしろ一ヶ月で治るなら安いものかもしれない。


「私はこの土地に疎いのだが、ケガレ──というのは、頻繁に湧くものなのか?」

 これにはなつめが答えた。

「いえ。ありえない。私たちはここに来るまでにすでに三人の穢れ堕ち、外れかけを見ている。……明らかにおかしなことが起きている。穢獣けだものならまだしも、外天がこうも増えているのはおかしい」


 ふと、香木を炊いたような匂いが漂ってきた。


「なんだ……」和真が、恐らくは習慣的に素早く布切れで鼻を覆う。化獣ばけものの中には、毒を使う奴らもいるのだ。その癖だった。

「診療所まで近いんだあそこじゃときどき……心を落ち着ける香炉を焚く」光希がそう言った。それもありうる。香りを嗅がせると、不思議とすっと怒りが落ち着くことがあるのだ。レインの国でアロマセラピーというものだ。


 しかし。

 警官の男が、ぐったりと倒れ、


「まずい、毒!」

 なつめが叫んだ。

 荷台の構造上、煙が篭る!


 同時にレインは大瀧蓮を抱えて馬車から飛び出す。和真が警官の襟首を掴んで横の扉を蹴破って踊り出し、光希、なつめが続いた時。


 御者が「うわあああっ」と悲鳴をあげた。

 馬が暴れ、駆け出し──このままでは岩壁から落ちる! この状況で、彼は眠気が飛んだのだろう。


 なつめはほとんど咄嗟に飛行、御者の襟首を掴んで助け出す。しかし、化獣ばけもの馬は崖から転落していってしまう。

「く……」

 山の民であるなつめにとって、命には貴賤貧富などない。ないが、しかし結局己も妖怪。それに近しいもの、ひと、を優先する。


 ──いや、どのみち己では馬を止める術などなかった。

「あ、ありがとうございます」

「気をつけろ、毒が撒かれている」


 一番冷静でいられないのは光希だった。

 ここへ来る道中で、この診療所には光希の親友が入院していることを皆で共有していたのだ。


 なつめは音もなく和真の隣に降りた。

「どう考える、なつめ」

「出来過ぎだ。電信は傍受できる」

「なに」

「駅逓局、警視局、軍。いずれにせよどこかが傍受した……あるいは、それ以外の誰かが傍受し手を回した」


 レインと、そして彼女が「思う壺だ、落ち着け」と言って諌める光希も聞いている。


「私の国の魔女は毒と魔術を併用し、恐ろしい幻覚を見せるというが……ここではどうだ? 私には、あの診療所がまるで、遥か彼方に芒と浮かんでいるようにしか……いかん」


 レインはびしゃりとかなり強く己の頬を打った。

 皆、眠気に襲われている。

 なつめは強大な術を行使し、和真は精神集中を前提とする弓を連発し、レインと光希は激闘を経て……。

 ──いや、違う。これはただの眠り毒だ。過大評価をするな、命を奪う毒ではない。


 この中で一番毒の周りが早いのはなつめである。さっきからひたすらに眠気と争っているが、明らかにその意識は──今はもう、半分以上沈んでいる。

「恨んでくれていいけど、起きろ」

 和真が己の爪で、彼女の手のひらを刺し、抉った。

「悪い……術は、使えて一回」


 またあのイカサマ妖術を使う気だ。

 レインは止めた。


「やめろ、素人目にもわかる。あんなもの、そもそもヒトが使える代物じゃないだろう!」

「私はヒトじゃなく、神使。使


 光希はその会話を聴きつつ、不得手ではあるが、先ほどの「手本」から見様見真似でを行なっていた。

「北側の鐘楼付近、あそこにいる」

 ──生体電位感知、である。


「なつめ、風上に回れ。毒の散布が風頼りなら上を取れば影響はでない」

 和真がいうと、なつめが頷き、音もなく飛んだ。

 和真が狩人──獣狩ししがりなるものである事は聞き及んでいる。化獣ばけものとの実戦経験が、ここで生きていた。


 レインは平然とサーベルを抜き放つ。

 光希も平気そうだ。


「なんでお前らは平気そうなんだ」

「私は従軍していた頃に耐毒訓練を行った。多少眠いが、二徹三徹の軍務など当たり前だったからな」


 これは、さまざまな毒物を希釈して取り込み、徐々に濃度を引き上げて耐性を獲得するという命懸けの訓練だ。

 毎年、少なくない死者が出るものであり、しかしこれを経た銀竜隊は極めて精強かつ、互いの結びつきを強くする。

 しかし、毒、というものに対し──レインは憎しみめいたものを抱いているように見えた。


「俺は電撃で毒素を殺してる。雷獣には毒なんか効かない」

「ぜひ俺やなつめの毒素も殺して欲しいもんだ」

「電撃の加減を間違えたら、お前ら気ぃ失うぞ」


 無駄口のようだが、違う。実際は、光希が静かに何かを描く時を稼いでいる。

 向こうもこちらが徒党を組んでいることを知っており、そして、だからこそ下手に動けない。

 殺人毒に切り替えない理由がわからないが、挙げるとすれば、


 一、そもそも殺人毒を持ち合わせていない

 二、無差別殺人を是とするほどの外道ではない

 三、ここら一体に、死なれては困る誰かがいる


 と言ったところだろう。

 一は可能性が最も低く、二は本人に聞かねば、あるいは戦わねばわからないが、可能性として一番高いのは三、だろう。


 素早く光希が口布を手渡してきた。見た目は墨汁の具現化だが、質感は、絵柄で表現できている。呼吸のできる目の細かい布だ。


「気休めとはいえ毒を防げる。あんたにも耐性のない毒を使ってくるかもしれない」

 和真はもちろん、レインも受け取った。

「どういう作戦で行こうか……和真、弓はどのくらい上手い?」

「達人さ」

「ならお前は狙撃を任せたい。私が先陣を切る、光希は絵の術で後方支援を頼みたい」

「まかせろ」和真はそう言って、二本の矢を取り出してその羽根を舐めた。さっきもやっていた気がする。


 レインは、(あれは山の民特有の儀式か?)と思ったが、後で聞けばよいと判断。

 駆け出した。


 己は殺人毒にさえ耐性を持つとはいえ、和深特有の毒草などもあるだろう。

 そうしたものを使われれば、多少はなんとか耐えられるが──いや、確証はない。基本的に吸い込んだら終わりと思った方が良いと見ている。


 光希が巻物に妖力を込めて、三頭の墨でできた犬を招来。現れたのはこの地では一般的な柴犬。忠犬であるが、扱いの難しい、気難しい犬らしい。

「行け」

 光希が命じると、そいつらは大地を風の如くかけて毒使いに迫る。


 さらに和真が矢を射った。

 比翼の蝶のように、一本は右に湾曲、一本は上へ湾曲しつつ打ち下ろされる。──曲がる矢だ。まさに達人の技。なるほど、羽根を舐めたのはそのためか。

 上や左にかわしては矢が、前進して右の矢をよければすればレインが、右に行けば光希が、後ろにはなつめ。


 この構図に毒使いは何を思うのか。

 だが、驚くべきことに毒使いはチャクラムと呼ばれる円形の刃を持つ刀剣を抜き、振るった。

 矢を切り落として左に転がりつつ、柴犬と対峙。妖術で顕現した絵巻式神である彼らには毒が効かない。


「香炉を、」光希が、壊せと命じようとした瞬間である。

「香炉を壊すな! 毒が溢れ出したら目も当てられない!」なつめが怒鳴った。

 確かにそうだ。

 光希は「──壊すな、術師を狙え!」と指示。

 命令に従い、犬が飛び掛かる。


 毒使いが月明かりに照らされる。褐色の肌に、踊り子のような部族衣装。橙色の髪に狐耳、六本の尻尾。妖狐──?


 チャクラムを振るって犬の眉間を叩き割り、蹴りでさらに一頭を眼下、屋根の下に落として何やら鋭い針を左手で抜き、それを投擲してとどめを刺す。

 残る一頭が爪を振るうが、女は構わず前進。丸いチャクラムで刺突──正確には、前進しつつ斬撃し、喉を掻き切った。


 全ての〈寵獣擬画ちょうじゅうぎが〉が墨に戻り、ばしゃりと地面に黒い軌跡を描く。


 あれは……となつめは目を凝らす。

 ──南条和深地域……岩戸地域いわとちいきの……戦士? しかも女である。

 なつめは訝った。今回の御神名──一筋縄ではいかぬ。そう思っていたが、いったい何が起きているというのか。


「強いぞそいつ!」和真が言いつつ、矢を番えて放った。

 レインの頭上すれすれを飛び越えて、女に迫る。だが素早くチャクラムを返すと、鏃を弾き、強弓を弾いてみせた。


「あいつはライフルすら弾きそうだ……」

 レインは言いつつも、素早く塀を駆け上がってそこから病院の窓枠を蹴り、屋根を掴んで左腕の腕力だけで跳ね上がる。


 そうして、その褐色の女と対峙。

Shall we dance?踊ってもらえるか?

「……和深語で話せ」

「いや。……愚問だった。いくぞ」


 レインは鋭く、切り掛かった。

 下段から相手のチャクラムを握る指を狙った。いかに腕力が強くとも、指が無ければものは握れない。

 女はすかさず腕を引いてチャクラムの円刃でサーベルを捌くと、左手を懐に入れた。

 ほとんど勘である。レインは呼吸を一旦止めて風上を目指す。女は後ろ──風上へ飛び退きつつ、追い越される前に相手が手をばらりと振った。

 金粉が舞う──レインは地面を舐めるような姿勢でつんのめり、毒の粉を回避。

 うなじに、ぢり、と焼けるような痛み。


(物理的に効果を出す毒か。いや、……呪詛というやつか?)

 故郷にもアンタッチャブルという類のまじないがある。触れてはならない、という通り、触った瞬間に痛みを発したり、火や、雷を打ち出すような類のものだ。


 レインは毒を掻い潜ると相手の脛を狙って斬り払った。

 基本的に足を狙う剣技は少ない。ひとの腕では相手の足まで剣を間に合わせるだけのリーチを確保できないのだ。

 だがこの姿勢と、レインの体躯、長い腕。これらが合わさり、脛を狙う斬撃が成り立った。


 女はしかし、素早く足を踏み出しつつ、まず左を大きく上げてレインの肩を蹴り、右足で反対の肩を押し付けると、宙返りを決めて回避。


 そこへ和真の矢が迫る。女は左手で矢をはっしと掴むと、それを今度は己の身を捻りつつなつめへ放る。

 なつめは硬化させた羽根でそれを弾き、術の集中を千切られたことを舌打ち。


「なんなんだこいつは」

「踊り子だ」女は答えた。


 とっ、とっ、と軽く足踏み。見れば鉄靴には刃が仕込まれていたのか、鋭い鉤爪めいたそれがのぞいている。


「救いたい男がいる。退いてくれ」


 そう、褐色の妖狐は言った。

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