第四幕 奇妙な巴、成り行きの徒党
火の暦八七八年三月二十六日。
夜天。今宵は、下弦の月であった。
当年三十七歳。しかしその美貌はなおも衰えない。エルフの血は老化を恐ろしく鈍化させる。
レイン・オーレリア・トリンガム元陸軍大尉は、現在和深の地にいた。
元々は
であるならば軍人であるレインなぞは真っ先に帰国すべきだが──あくまで、元陸軍大尉だ。銀竜隊はもうこの世に存在せず、己が軍に固執する理由も、王国に帰る理由もなかった。
今はひたすらに
しかと居住認可も受けているからこうして夜でも堂々と歩けるが、どうしても王国人は目立つ。
髪の色はまだよい。この土地には
上背に関しても、鬼という奴らや天狗という奴らに比すれば、六フィート半──いや、今の王国の法では一九二センチの己など平均的な上背にすぎない。
「なつめ、団子食おう。甘いものが食べたい。汁粉でもいいけど、」
「あとでね」
「長旅をしたんだ、いいだろう、先に茶屋で休んだって」
「そう言っていつもそのまま旅籠に行こうとかいうのは誰」
通り過ぎて行ったのは、若く見える鬼の青年と、フクロウらしき天狗女。
女の方は己と変わらぬほどに身丈があり、そして、
──強いぞ。
と思った。只者ではない。まず、足音がしない。次に、こちらがにわかに「そのつもり」を滲ませ指を閉じたり開いたりすると、小声でこう言ってきた。
「異国の騎士とて容赦はせぬぞ」──と。
負ける気はない。だが、手足の一本は覚悟せねばならない。それほどだ。相手はわずかな仕草で騎士と見抜き、その上で容赦しないと言い切った。それは過信でも慢心でもなく、事実を言っているだけの声音である。
──この土地には、こんな達人さえいるのか。
いや、それだけではない。ここにはそういうレベルの豪傑がごろごろしている。
厳しい土地の魔物が、そこに適応し、より強くなるように、そこを冒険する連中はさらに強靭になる。
軍隊もそう。苛烈な訓練、地獄の戦場を経験した兵士の顔つきは、そうでない部隊の連中とはまるで違う。
王都を歩く連中を見て愕然としたのを覚えている。
──これは……ひよこの群れか?
レインはそう思った。ここでもやはり、「ひよこ」が大半。よくて「猟犬」である。
しかし、──時に夜。夜に出歩くものはわずかだ。ゴイッシンとやらののち、アーク灯なるものができたりして夜の闇はわずかに払われつつあり、ここではガス灯も見られる。
けれど人は本能的に夜を恐れる。
つまり出歩くのは──
中には「獅子」と見紛う気配の者、「グリフィン」と感じる者もおり、
あの二人は別格。
であった。例えるならば、「オーガ」と「ベンヌ」、が妥当か。恐ろしく、強い。
そのとき、前から歩いてくる大男がいた。
上背、ゆうに二メートル。体重は、多分百キロは超えている。金色の髪、狼の耳と七本の尾。肩で風を切る堂々たる歩みに、道ゆく連中はおののいて道を開ける。
大男は鼻を鳴らし、一瞥。チラとこちらを見るが、一瞬、目つきが険しくなり、すぐに前に戻した。
(……ふ、あれは……恐ろしいな。強いていうなら……「ガルム」といったところか?)
「どけ、くそがき」
大男は、道端で立ち尽くす少女に吐き捨てていた。少女は慌てて、泣き、走っていく。周囲が侮蔑の目を向けると、狼の大男はばち、と帯電。威嚇する。
(肝は、猫のように小さいが……)
真に強者ならば、子供の一人二人、立ちすくんだところで頭を撫でてやるくらいはするだろう。
レインは故郷では竜などともてはやされ、己でもそう嘯いた。
しかし実際は──そんな器じゃなかった。
自分は、どれほどだろう。気になる。だが、自分で自分を測ることはなぜかできない。
レインは、先ほどのように見たものを「魔物」で格付けすることはできる。だが、自分が何なのかは、まるでわからないのだ。
その時だった。
往来から一人の男が、堰を切ったように汗を噴き、まろびでるようにして転げた。
すぐ後ろから、金髪の美貌の青年が飛びついて、取り押さえる。
──盗人? と周囲が思った、その時である。
金髪が、突然怒号をあげて男を殴り、殴り、殴り、滅多打ちにする。
周囲が悲鳴をあげて、だが、当人には聞こえないらしい。金髪は相手が痙攣し、小便まで漏らし、大便を垂れているのにまだ殴っている。
このようなものを、レインは見たことがあった。
(……
親兄弟の仇討ちだろうか。この地では、このような仇討ち文化は
しかし実際は見逃されることが多いらしい。
「そこの、青年。もう死んでるぞ」
レインはあまりにも痛ましい光景に、思わず口を挟んだ。
「黙れ。ひき肉にして、魚の餌にすんだよ」
「よしなさい。それでは外道だ」
「黙れと言っている」
青年が、ばち、と帯電。あの大男と同じ種族の妖怪だろうか?
戦う気などない。だが──売られた喧嘩は買う。それが、王国の流儀だ。
「私は戦う気などない。喧嘩は、」
「俺に構うなと言っているだろうが!」
青年が吠え、次の瞬間──、
「さっきから、うるせえ!」
あの大男が大電撃をこちらに放って、
「よしなさい! 大の男が、みっともない!」
女天狗が見えない何かでそれを真上にそらして、
「間一髪ってとこか」
鬼の男が間に入って、金髪の電撃を纏った拳を素早く
奇妙な状況ができた。
子供嫌いの狼──の雷獣に、女天狗と鬼青年のバディ。そして報復者の雷獣青年と、己。
四つ巴。
(一番強いのはあの天狗だ。あいつが良心的なのは救いだが……あの狼、他人を巻き込むことを厭わないぞ)
多分、こちらの鬼と報復者は伯仲。
周囲に警笛が響いた。警官だ。
まずいと思った。捕縛されることではない、あの狼を刺激するべきではないと思ったのだ。
事実狼は激しく帯電、凄まじく苛立っている。
「〈
女天狗が声を張り上げた次の瞬間、体が一気に重たくなった。まるで、平伏しろ、という命令を実行せねば殺されると思ったように、本能が勝手にそれを実行しようとしているのだ。
それは報復者も同じ。抵抗しているが、徐々に体が丸くなっていく。
しかし鬼の青年は先んじて耳を塞いでおり、無事であった。
狼は顔を顰めているだけで、ほとんど効いていない。
「それほどまでに強いのなら、その不細工な殺気を抑えたら?」
「うるせえな……ババアは黙っていろ」
「くそがきは、あなたのみたい方ね」
「
鬼の青年だ。彼がレインに手を当てて、魔力──いや、妖力を発すると、体の強張りが嘘のように霧散した。
「すまない、このような騒ぎにするつもりなどなかった」
「いいさ。それより、そっちの雷獣は?」
「アヴェ……報復、仇討ちではないのか。そのようなものを国で見たことがある」
「人里ってのは怖いな……山の方がずっと楽だ」
鬼が報復者に近づく。そして。
「術を解く。暴れたらぶん殴るからな。──解」
拘束を逃れた報復者は、荒い息をし、よだれを拭い、そして何度か深呼吸する。
「悪かったよ。……周りを考えなさすぎた。……あんたも、ごめん。俺は光希」
「レイン、だ。この土地では雨を意味する名だ」
「俺も名乗っておく。
山……? レインが首を傾げると、
「あー、ええっと、山岳郷ってとこから来た。ちょうど今、なんだっけ。なつめと一緒に、なんとかっていう……横濱からここまで通ってるすげえもんに乗ってきたんだ」
「工部省の虎の子だろ。
「ああ……ええっと、それは鉄道だな?」さらにレインが補足。
当然レインは知っている。故郷でも、走っているのだ。陸上にレールを渡し、その上を蒸気の出力で走るトロッコのようなものだ。
いずれこれが移動、輸送の主流になると見られており、王国では急速に鉄道網が敷かれつつある。和深でもそうらしい。
その時、どう、と妖力が膨れた。
あの狼だ。
「あいつ……まさか、
「知ってるのか。お前と同じ雷獣だろうが、あっちは……獣の血も体躯もだいぶ違うぞ」
「……私には何だかさっぱりわからんが、同じ種族で、違う血筋ということだな」
「ああ。……でも俺たち尾張と同じ、双璧の雷獣だ。……まずいぞ」
なつめは瞬時に、「『疾く、逃げよ!』」と発した。
こちらは先んじて耳を塞ぐが、周囲はその大喝に命じられ、蜘蛛の子を散らすように逃げる。警官らも同様だ。
「大した術だ。天狗術ってのは、イカサマ揃いと聞くが……俺には効かねえ」
「ふ……台詞が大根役者だぞ」
「ぬかせ。貴様の降り立つ大木ごと、雷で叩き割ってやる」
ごろり、と空が鳴る。──あの男、よもや天候さえ操るのか。
「まずい、伏せろ!」
和真が叫んだ。咄嗟に光希が──この状況で筆を走らせる。そして、レインは短銃で遠くのガス灯の金属を撃った。
直後、とてつもない落雷が大地に落ちた。
まず、レインらに起きたことは、
地面を走ってこちらに迫る雷電が、突然逸れた。レインの雷撃弾による銃撃で、避雷針──迎え放電を放っていたガス灯に吸い寄せられたのである。
次に、光希の絵が──現実に現れて、壁になった。それによって、余剰雷撃を防ぐ。
和真は最悪己を盾にするつもりで、仁王立ちしていた。
結果、皆の協力で、皆が無傷である。
問題は、なつめ──というらしい天狗だ。
落雷の中心は彼女……だったが。
「〈
彼女は落雷を丸めて握り込んでいた。なぜそんなことができるのか、皆目わからない。
それは大瀧蓮も同じなようで、顔を歪め、
「バケモンか、てめえは」と言っている。
「いいや、神使だ。雷には慣れている。返すぞ」
ひょいと手首を返し、握り込んでいた雷を返した。
ぱぁん、と破裂音が響き渡り、大瀧蓮を打つ。
けれども奴はそもそもが雷獣。雷には耐性があり、せいぜい身に纏う洋装が焦げて一部が爆ぜた程度だ。
「……天慈颶雅之姫の犬か」
「神を呼び捨てとはな。不遜な」
「神など、無能だ。何の役にも立たねえ! 縋るだけ、無駄だ! くそっ、くそったれ!」
途端に、大瀧蓮が激昂した。
けれどレインには、
(あれではせいぜい牧羊犬とかわらないぞ……)
と思えていた。
「貴様も仇討ちか」
「止めるか? 無益だと」
「いや。だが無関係な者まで巻き込むやり方は見過ごせない。私は神使ゆえ、守るために力を振るう。未然に民を守るのも、」
「姉さんのことは、守らなかったくせに」
グルル、と喉を、低く鳴らす。
「ああまずい」
和真が慌てて、
「なつめ、そいつは外れかかっている!」
光希、そしてなつめはハッとした。
「薙刀置いてくるんじゃなかった。……加勢する、和真。まだ間に合うだろ」
「ああ。止められる! レイン──さんは、」
「さんはいらん。協力する。これでも元軍人だ」
大瀧蓮が、異様な、ドス黒い色とどろりと赤い色を混ぜた妖気を纏っている。
「よしなさい! 本当に外れる!」
「黙れ……どいつも、こいつも、俺より弱いくせに……俺より弱い奴が、俺のものを、壊していきやがる!」
大瀧蓮が雄叫びをあげ、そこに、成り行きで出来上がった徒党たちとの戦いが始まった。
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