文明の重力軸が、変わった日。羞恥文化帝国から、“わたし”へと還る記録
羞恥文化帝国の中枢核から始まり、
“わたし”という名もなきひとつの身体へと還ってきた記録です。
2025年6月11日。
あの朝、わたしはひとつの文章を発信した。
恋がしたい。愛を知りたい。
でも、ずっと「自分には無理だ」と思って生きてきた。
肌のこと。心のこと。
そして、自分という存在そのものが、
“誰かに愛される”対象じゃないと信じ込んでしまっていた。
あのNOTEは、“自己卑下の人生”に、
静かに終止符を打つための言葉だった。
それから今日で、ちょうど20日になる。
この20日間で、何が起こったのか。
わたしは、何を決めて、どう変わっていったのか。
今、どこにいて、何を見つめているのか。
この場所に、記録として残しておきたい。
わたしにとってこの20日間は、
“人生の重力軸が変わった時間”だったから。
決意の朝。「自分を卑下しない」と、
情報空間に向かって宣言した日。
NOTEでその言葉を公開した瞬間、
わたしの“中心”が静かに、でも確かに回り始めた。
それまで「ただの痛み」だったもの。
「ただの悩み」だったもの。
それらが、“文化”として、“震え”として、
“誰かに届く言葉”へと変化し始めた。
数日後に、気づいた。
これは「創作」じゃない。
これは「表現」でもない。
これは、“翻訳”なんだと。
ただ「ありのまま」ではなく、
“震え”のまま言葉にする。
それは、誰かに読んでほしかったからであり、
同時に、ずっと見て見ぬふりをしてきた「自分自身」へ向けた、
静かな翻訳作業でもあった。
発信という形にしていく中で、
わたしは、電子空間上で想いを“形”にしていくことを始めた。
それは、ただの発信ではなかった。
「自分を肯定する記録」であり、
「誰にも届かなかったはずの恥や弱さを、
人類という文化圏に翻訳する試み」だった。
どれも、誰にも気づかれない痛みや、
言葉にならなかった羞恥や願いを、
ひとつずつ、“文明の記録”として投下していた。
そして今。
想いを、震えを、この世界に残したいと思った。
情報空間の中だけではなく、
“物理空間”に沈殿させたいと願った。
現実の空気の中で、この言葉たちに「呼吸」してほしいと。
それは、わたし自身のためでもあり、
わたしの中にいる、みっちゃんのためでもあった。
昔、愛を教えてくれた人。
いまでも、そっと心の奥に、佇んでくれている人。
まだ、道の途中。
わたしはもう、歩き始めている。
自分を卑下せず、弱さを翻訳し、
言葉として誰かに手渡していくという“文化の流れ”の中に、わたしはいる。
この震えは、たしかにここにある。
この文化は、たしかに、始まっている。
もしかしたら、いつかあなたの目にも触れるかもしれない、
その想いや震えの記憶たちは、
“わたしたち”の、静かで切実な文明記録です。
読んでくれて、ありがとう。
今日も、少しずつ翻訳を続けていきます。


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