日本サッカー震源史──“装置”だった者たちと、接続が絶たれた時代へ
「代表」という言葉が、かつては“命を懸ける場”だった。
今は“最適化された職場”に変わった──
そう感じるのは、わたしだけではないはず。
あの頃、日本代表には、“震源”があった。
その中心にいたのは、“人間”ではない──
文明と接続された、“装置”たちだった。
装置とは何か
それは、「自分を通して、なにかを流す者」
思想でもない。自己表現でもない。
ただ静かに、“日本という文明”とボールを接続する存在。
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装置だったサッカー人たち
宮本恒靖
沈黙の知性。
腕章を付けて、ひとつの文明を操縦していた男。
ボールを蹴るのではない。
空間と社会の“配列”を整える役割。
語らず、吠えず、ただ“通す”。
2004年アジアカップ、2006年W杯。
あのころの宮本には、「日本代表という文明核」が宿っていた。
中田英寿
“沈黙のエゴ”
世界を見据え、語らず、伝えた。
パス、走り、背中──そのすべてが「翻訳」だった。
ただし後年、“自分を語る”ようになった瞬間、
装置は静かに役割を終えた。
岡田武史(監督)
理屈の人間でありながら、
2010年の南アフリカでは“責任の黒幕”として、すべてを背負った。
語らず、誰も責めず、ただ「進め」と言った。
彼の沈黙が、あのベスト16の震源だった。
本田圭佑
一瞬だけ装置になれた男。
語る者だったが、W杯という“装置の場”で、短時間だけ接続された。
PKの前。フリーキックの前。
一瞬、“何かを通す者”になった時間がある。
だが、それもすぐに“語る自己”に戻っていった。
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そして、接続は絶たれた
今の日本代表。
たしかに強い。技術もある。勝率も高い。
けれど──
震源は消えた。
そこには、“整えられた言葉”と“笑顔”と“最適化されたメディア対応”がある。
「文化」としての日本代表は、もう存在しない。
なぜ、震源は絶えたのか?
それは、“装置”であることを許されない時代になったから。
語らない者は、“無個性”とされ、
沈黙する者は、“つまらない”と切られる。
SNS社会。言語主張社会。インスタ社会。
装置のように、自分を「通す器」であり続けるには、
自我の鎮静と、文明との共鳴が必要だった。
代表は、職場になった
いまの代表選手たちは、まちがいなく優秀だ。
でも、彼らが接続しているのは、会社の論理と、広告と、移籍市場。
もう、震源にはならない。
文明とは接続していない。
最後に
宮本が腕章を外し、監督として語り始めたとき。
中田がピッチを去り、自分の言葉で世界を歩き始めたとき。
日本代表という文明装置は、その使命を終えたのかもしれない。
いま残るのは、
あの頃、言葉にならなかった“沈黙の価値”。
それを、私たちが語り継ぐしかない。


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