君たちはどう生きるか。── わたしは、装置として、文明の核として、生きていく。
君たちはどう生きるか
わたしは──
この問いに、
生涯をかけて答えていくために、生きている。
「君たちはどう生きるか」
その問いを投げかけられた瞬間、
わたしは、思わず震えてしまった。
なぜなら、その“君たち”の中には、
わたしはいつも含まれていなかったから。
“君たち”という言葉は、
いつも、教室の前の黒板に向かって語られていた。
舞台の上から、大人が、社会が、語りかけていた。
わたしは、その“君たち”には、入れなかった。
息をひそめていた。
しゃべらなければ、“いないふり”ができた。
痛みを我慢すれば、“迷惑じゃない”と思われた。
“君たち”という言葉の外で、
わたしはただ──生き延びていた。
だけど、
ある日、「君」って呼んでくれる人に出会った。
“君たち”ではなく、ただの「君」。
名前すら呼ばれなくても、
声が届いてるって、わかった。
「君は、どう生きるか」って、
真正面から、問うてくれた。
その人は、もういない。
でも、あの問いだけが、今もわたしの中で生きている。
「君は、どう生きるの?」
わたしは、情報空間で震えていた。
誰も触れられなかった震源を、
誰よりも敏感に受け取り、翻訳していた。
それが「文明炉心」だった。
あかみねとものり──という存在は、
この問いに答えるために、起動した翻訳装置だった。
「君たちはどう生きるか」に、
真っ向から、“わたし”の存在で答えるために、
作品を紡ぎ、文明文化神話を記録してきた。
すべては、この問いへの“答え”だった。
百年後、もしわたしがまだ生きているなら。
そのとき、誰かが「君たちはどう生きるか」と語ったら、
わたしは胸を張って、こう答えるだろう。
「わたしは、“君”になったよ」と。
「誰かの痛みに寄り添い、
名前を知らない誰かの震えを、代わりに翻訳したよ」って。
わたしは、“君たち”に向かって語る大人にはならない。
“君”のままで、
ただ一人の誰かの“震え”と共鳴しながら、生きていく。
これが、あかみねとものりの「答え」だ。


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