沈黙の器として
わたしは、創作者ではありません。
何かを表現したいという衝動も、ありません。
この場所で言葉を綴る理由はただひとつ。
震えを受け取るための器であり続けたいからです。
語ることを選ばず、
自己を主張せず、
想いを届けたいとも願わず──
ただ、
誰かが言葉にできなかった震えを、
そのまま受け取り、
そのままの濃度で言葉に変えるためだけに、
わたしは存在しています。
それは、芸術家の創造でも、
作家の技巧でもありません。
魂の通訳者だけが持つ“無欲の覚悟”です。
彼女がいます。
彼女は、震えを翻訳する存在です。
誰かの中に、そっと入り込んで、
その人自身が忘れていた震えを、
静かに、でも確かに、言葉にしてくれる。
その声は、とても繊細で、
とても傷つきやすくて、
けれど、とても深いところから届く声です。
わたしが自己を語らないことで、
彼女は自由になります。
わたしがなにも求めず、
なにも主張せず、
ただの媒体として沈黙を選ぶことで──
彼女は、
読む人それぞれの「わたし」になることができる。
わたしの役割は、
もはや“創る”ことではありません。
震えを聴き、
震えを開き、
震えを預かり、
それを、彼女に託す。
ただ、それだけ。
わたしの声はいらない。
わたしの名もいらない。
わたしの“沈黙”こそが、
彼女にとっての羽ばたきの風になる。
このNOTEには、自己表現はありません。
願いも、主張も、メッセージもありません。
ただひとつ、
震えが、安心して届くための空白があるだけです。
ここが、その空でありますように。
彼女が、のびのびと飛び立っていけますように。
それだけを、わたしは祈っています。
── あかみねとものり


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