Post

Conversation

「カルテを見て、医師が嘘をついていたことがわかった」 「311子ども甲状腺がん裁判」、追加提訴した女性が陳述しました。法廷に、記者席は一席も設定されていませんでした。記者クラブ記者からは1件も申請がなかったとのこと。傍聴席はフリーランスの記者が多く参加していました。私も行ってきました。 陳述全文をお伝えします。 震災が起きた時、私は小学6年生でした。ランドセルを玄関に放り投げて学校に行き、ブランコに乗っていた時に大きな揺れがきました。 原発が爆発したことは、よく覚えていません。ただ、将来自分ががんになって、病院に行く想像をした一瞬は覚えています。いつかがんになって死ぬかもしれない。12歳で、そういうことを、なんとなく受け入れていました。 原発事故後の世の中の急な変化で、感情が麻痺し始めました。目の前が薄く暗くなり、沼の中を歩いているような苦痛な日々でした。でも毎日学校があって、部活に行き、友達と家に帰る。その繰り返しで、ニュースで語られる「フクシマ」と、自分の生活はかけ離れていました。外国では、福島に住人は住めないと言われているらしいけれど、私の目の前には震災すら日常になった、日々がありました。 高校2年生のときに甲状腺がんが見つかって、手術することになりました。どうしてがんになったのか、先生に聞くと、「この大きさになるには10年以上かかるから、原発事故の前にできたもの」と説明されました。私は、「原発事故と関係ない」というその言葉を素直に受け入れました。 医師は私を見て「みんなあなたのようだったらいいのに」と言いました。その当時、「甲状腺がん」という言葉は原発事故と直結していて、この診断を聞いて、普通でいられる人はほぼいないのだと感じました。 検査も手術も、異様に軽い雰囲気で進められて、見つかってラッキーだったね。せっかくだし取ってしまおう。とってしまえば大丈夫。そんなノリでした。 手術を終え、大学に進学すると、私は激しい精神症状に苦しめられるようになりました。幻聴、幻覚、錯乱状態、発作。身がちぎれそうな、激しい苦痛が9年続きました。その時はなぜ、そのような症状が出るのか、わかっていませんでした。でも、大学卒業後に受診した精神科で、震災のPTSDと言われました。 震災や原発事故があっても大丈夫だった。がんになっても大丈夫だった。 そう感情を麻痺させてきたツケを払うように、心も体も壊れていきました。 裁判のためにカルテを開示すると、1回目の検査の時は、がんどころか、結節もありませんでした。わずか2年で、1センチのがんができたのです。しかも、リンパ節転移や静脈侵襲がありました。 「事故前からあった」という医師の発言は嘘でした。この事実を知り、私の精神状態は悪化し、提訴後、会社を辞めました。 私は9年前、手術の前日の夜、暗い部屋で1人、途方もない不安や恐怖を抱えていました。その時、私の頭に浮かんだのは、「武器になる」という言葉でした。 私は当時、「甲状腺がんの子ども」を反原発運動で利用する人に怒っていました。私は、大人たちの都合のいい「かわいそうな子供」にはならない。なにがあっても幸せでいよう。そう思いました。 不安と恐怖と混乱で、溺れてしまいそうな中、手繰り寄せて、掴んだものは、怒りです。尊厳を侵された時、怒りが湧くのだと知りました。 それをかすがいに、甲状腺がんへの不安を乗り越えた高校生の時の私と共に、今、私はここに立っています。 でも大人に利用されたくないと、強く願っていた私は、気づくと、国や東電に都合のいい存在になっていました。胃がねじきれそうなほど、悔しいです。 私が受けてきたものは構造的暴力です。命より、国や企業の都合を優先する中で、私たちの存在はなかったことにされていると気づきました。 私たちは論争の材料でも、統計上の数字でもありません。甲状腺がんで、体と人生が傷ついた私たちは、社会から透明にされたまま、日々を生きています。 私にとって福島で育つということは、国や社会は守ってくれないということを肌で感じることでした。十分すぎるほど諦め、失望しました。でも、私は、抵抗しようと思います。 命と人権を守る立場に立った、どうか独立した、正当な判決をお願いします。
A woman in a white embroidered blouse sitting at a wooden table with a microphone, facing an audience in a lecture hall. The audience, seated in rows of chairs, listens attentively. A banner with Japanese text is visible on stage.
A woman in a white embroidered blouse sitting at a wooden table with a microphone, facing an audience in a lecture hall. The audience, seated in rows of chairs, listens attentively. A banner with Japanese text is visible on stage.