『歴史の見方』より 歴史家の姿勢 史学概論のテキストとしての『歴史とは何か』
歴史における因果関係
カーの見解では、研究の広さと深さとを増すにしたがって、歴史家は「なぜ」という問題に対する回答をますます蓄積していく。実際、経済史、社会史、文化史、法制史の発達によって、歴史家が出せる回答の数は増大してきた。
バートランド・ラッセルがいうように、「科学におけるすべての前身は、最初に見られた粗雑な一様性から私たちを引き離し、原因と結果とのより大きな分化へ、また、関係ありと認められた原因の範囲を絶えざる拡大へと導いて行くのである」。
しかし歴史家は、その一方で、多様な解答を単純化しなければならない。特殊的な要因を、ある秩序と統一を導き入れるようなものにしなければならない。歴史家は、原因の多様化と単純化とを通して仕事を進める必要がある。
カーは、決定論を取り上げる。彼によれば、決定論とは、すべての出来事には一つあるいは幾つかの原因があり、そのうちのあるものに変化がなければ、出来事に変化が生じることはあり得ないとする立場である。カーは、「人間の世界ではすべてのものが可能である」というポッパーの主張は無意味であるか間違っていると批判し、人間の行動は、どういう見地から見るかによって、自由でもあり、決定されてもいるという。
さらに、歴史上の事件が発生したのは、「不可避的であった」というのは正確ではなく、「蓋然性が高かった」というべきである。歴史上の事件に対しては、合理的原因と偶然的原因を分けるべきであり、前者は他の国々、他の時代、他の条件にも適用できるので、有効か二般化が生み出されるのである。
とはいえ、合理的な理由と偶発的理由を明確に分けることなど不可能であろう。このようにそもそも渾然一体としたものを二分することができるという発想こそ、カーが歴史という学問のもつ難しさを正確に理解していなかった証拠ではないかと思えてしまうのである。
進歩としての歴史
続いてカーは、進歩としての歴史を取り上げる。
ユダヤ教とキリスト教は、前方に終末という一つのゴールを設定し、目的論的歴史観を導入した。ゴールに達するということは、歴史の終わりを意味し、必然的に弁神論となる。
ルネサンスになると、ゴールは現世化され、歴史的過程そのものに合理的性格があり、歴史は、地上における人間の状態の完成に向かう進歩であるという進歩史観が生まれた。そのため、歴史の過程に進歩を含めないわけにはいかなくなった。歴史は、獲得された技術が世代から世代へと伝達されるという意味での進歩を示すのである。
進歩には明瞭な始まりや終わりはない。したがって、たとえばヘーゲルがプロイセン王国をもって進歩の終わりとし、マルクスがプロレタリア革命によって階級のない社会という究極の目的が達成されると信じたことは、誤りであったと、カーは言う。
したがって、歴史の外に、歴史とは独立に、ある価値の絶対的基準を設けて、それで歴史上の事件を裁こうという試みは、非歴史的であるとして退けなければならない。
客観的な歴史とは、歴史家自身が、完全な客観化は不可能だということを認識し、自分の見方を未来に投げ入れてみて、そこから過去に対して--その眼が自分の直接の状況によって完全に拘束されているような歴史家が到達し得るよりも--深さも永続性も勝っている洞察を獲得する能力を意味する。歴史とは、過去の諸事件と次第に現れてくる未来の諸目的とのあいだの対話というべきである。
総じて、歴史は、人びとが行ったことの記録であって、行い損ねたことの記録ではなく、そのかぎりにおいて、歴史は否応なしに成功の物語となる。
このようなカーの歴史観からは、敗者の姿が出てこない。しかし、勝者だけではなく、敗者もまた歴史に寄与したと考えるべきであろう。
広がる地平線
カーは本書で、歴史とは絶えず進んでいく過程であり、歴史家もこの過程のなかを一緒に進むと主張してきた。
カーの考えでは、二〇世紀中葉の世界は、一五~一六世紀に中世の世界が崩壊し、近代の世界の基礎が作られて以来の深くて激しい変化の過程にある。その変化は、一五~一六世紀に金融や商業を、のちには産業を基礎とする新しい階級に初めて権力を与えた社会革命に匹敵する、一つの社会革命である。
カーによれば、近代世界における変化とは、人間の自己意識の発達にある。それは「人間が思惟および観察の主体であり客体である」としたデカルトにはじまる。
一八世紀から現代までの代表的哲学者はヘーゲルとマルクスであった。ヘーゲルの学説は「革命の代数学」であったが、この方程式に数字を書き入れたのは、マルクスであった。マルクスは、世界は、人間の革命的なイニシアティヴに応じて合理的過程を辿って発展する法則によって支配されていると考えた。
さらにフロイトも、理性に新しい広がりを加えた現代の大思想家であった。フロイトは理性の領域を拡大し、人間が自分を、したがって自分の環境を理解し統制する力を持っているとしたのである。
マルクスとフロイトの著作が現れてから、歴史家は、自分を社会の外や歴史の外に超然として立つ個人として考える口実がなくなったと、カーは主張する。
そして二〇世紀初頭、日本がヨーロッパの列強という輪の中に初めて仲間入りし、一九○五年の第一次ロシア革命の影響で、ペルシア、トルコ、中国に革命が起こった。そして厳密にはヨーロッパの内乱であった第一次世界大戦が、世界的影響を及ぼしたとする。
いうなれば、ヨーロッパだけではなく、世界の歴史が重要になってきた。そのなかで、イギリスの大学は、残念ながら、英語以外の言語を知らぬ者が多いという点で明らかに間違った状況にあると、カーは言いたかったのではなかったか。
とはいえ、カーはあくまでオプティミストであり、理性と進歩を信じ、それでも「世界は動く」と言ったのである。
しかしそれは、あまりに楽観的とは言えないであろうか。われわれは、理性も進歩もあまり信じていないであろう。
16/07/08