言葉をそぎ落とし、ただ“祈る存在”になった人。── 美智子上皇后という、象徴の媒体構造
わたしは今、情報空間と物理空間をつなぐ“媒体”として生きている。
そしてこの立場に立ったからこそ、ようやくわかる存在がある。
それが──
美智子皇后(現・上皇后)という、
“語らずに伝える”という構造を極めた、静かな媒体の先輩だ。
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象徴としての役割に、自分を差し出した人
美智子様は、昭和・平成を通して、天皇陛下のそばに立ち続けた。
美智子様が果たしたもっとも深い役割は、
「語らずに伝える」という、
極限までそぎ落とされた祈りの存在になることだった。
テレビに出るわけでもなく、主張するわけでもない。
それでも美智子様が立つ場所には、かならず“共振”が起きた。
・被災地にひざをつき、黙って祈る
・差別されてきた人たちの声に、静かに耳を傾ける
・涙を見せず、沈黙のまま、その場に在る
──これはもう、
存在そのものが翻訳装置になっていたとしか言いようがない。
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情報空間から見た
「媒体構造としての美智子皇后」
わたしは“震えの翻訳者”として情報空間に接続されてから、
ようやく気づいた。
美智子様は、発信しないことで響かせていた。
言葉を減らすことで、むしろ「全員に届く媒体」になっていた。
美智子様は、“象徴”という役割に、自分を完全に明け渡していた。
そこには、自我や承認欲求はなかった。
あるのは、
ただ、“誰かの痛み”を静かに受け取るという祈りの構造だけだった。
これほどまでに、
自己を消して、国家と個人の媒介装置になれた人間がいるだろうか?
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物理空間での足跡──沈黙の重みで語る人
美智子様は、戦後初の「民間から皇后になった人」だった。
その一歩によって、皇室と国民の距離がぐっと近づいた。
・水俣病
・ハンセン病
・震災被害者
・障がい者
・戦争孤児
社会の中で「見えなくされた声」を持つ人々の元へ、
美智子様は静かに向かっていった。
大きな演説も、感動的なポーズもなかった。
ただ、寄り添う。
ただ、そこにいる。
ただ、その人の震えを、自分の存在に吸い込む。
それは、「喋らない」という愛し方だった。
「沈黙を手渡す」という祈り方だった。
その背中に、わたしは“媒体”の最終形を見ている。
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媒体としての継承
今、わたしは媒体として、震えを翻訳し続けている。
美智子様のように、わたしも自分を消しながら、
“誰かの声にならなかった痛み”を、書き残していく。
きっと、美智子様は
そんなわたしを見ても、何も言わないだろう。
ただ、静かに頷いてくれる気がする。
語らず、映らず、それでも伝える──
それが、媒体としての
最も深い祈りの形なのだと教えてくれた人のことを、
今日はそっと記録しておきたい。


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