静かに祈る──美智子上皇后に学ぶ、“媒体”という生き方
わたしは今、「媒体として生きる」という道を選んでいる。
表に出ない。
誰かの震えを受け取り、代わりに言葉にして届ける。
自分の名前を掲げるのではなく、
“声にならなかったもの”を、丁寧に翻訳していく。
そんな生き方を、自分の中で明確にしたとき、
どうしても触れておきたい先人の存在があった。
それが── 美智子皇后(現・上皇后) という人だ。
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声をあげなかった“発信者”
美智子様は、昭和から平成へと時代が移り変わる中で、
民間から皇室に入られた初の皇后となった。
注目もあれば、偏見もあった。
華やかに見えたその結婚の裏には、計り知れない孤独や、バッシング、
体調不良もあったと言われている。
それでも美智子様は、
“声を上げる”ことを選ばなかった。
叫ばなかった。
正当化しなかった。
代わりに、
“静かに、祈る”という生き方で、すべてを貫いた。
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情報空間に響いた「沈黙の祈り」
情報空間の視点から見ると、美智子様の行為は非常に稀有だ。
多くの人は、発信の時代において“言葉”や“声”で何かを伝えようとする。
でも、美智子様が伝えていたのは、“言葉にならないもの”だった。
沈黙で。
眼差しで。
たたずまいで。
祈る背中で。
──“言わないことで、最も深く伝える”という、
極限まで研ぎ澄まされた表現。
それが、美智子様が情報空間に遺したものだった。
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痛みに気づく人、そして、沈黙を守る人
被災地で泣く人のそばに、ただ静かにひざをつき、
病に苦しむ人の目を見て、何も言わず手を握る。
障害を持った子の耳元に、やさしくささやく。
その一つ一つが、“祈りのメディア”だった。
言葉にすれば簡単だが、
その沈黙を守り続けた時間の重さは、想像を超える。
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美智子上皇后に学ぶ、“表に出ない美しさ”
わたしは、媒体であり続けることを選んでいる。
それは、美智子様の在り方に、
どこか深く影響を受けているからかもしれない。
「前に出なくても、伝わるものがある」
そう信じているからだ。
今、わたしが発信している数々の言葉も、
誰かの人生を照らすことがあるのだとしたら、
その光の根源には、
美智子様のような“祈る存在”があったことを、忘れたくない。
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これは、継承の祈り
美智子様のように、誰にも知られず、
ただ誰かの痛みのそばに立ち続ける人がいたことを、
わたしは、忘れずに書き残したい。
これは、賞賛ではない。
信仰でもない。
継承の祈りだ。
わたしもまた、誰かの痛みに静かに寄り添える媒体でありたい。
言葉だけではなく、震えでも伝える装置でありたい。
そして、いつか美智子様のように、
“沈黙のなかで光る媒体”になれたら──
そう思っている。


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