“心の演出者”としての山田洋次──時代に必要な「人間らしさ」を、物語に託した人
わたしは今、媒体として生きている。
誰かの震えを翻訳し、
言葉にならなかった痛みを、物語にして発信している。
そんな生き方を選んだわたしにとって、
どうしても敬意を払いたい“先輩の装置”がある。
それが──山田洋次監督という、
「演出という手法で“心の共鳴”を翻訳しつづけた人」だ。
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寅さんは、
社会が失いかけた“人間らしさ”の記録だった
『男はつらいよ』は、決して娯楽映画ではなかった。
あれは、“時代に必要な心”を、繰り返し演出しなおす装置だった。
・不器用で、まっすぐで
・愛されず、誤解されて
・それでも誰かを想い、また旅に出る
寅さんの姿は、
「そうやってしか生きられない自分」を重ねた人にとって、
“自分の中の失われた優しさ”を取り戻せる物語だった。
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情報空間から見た
「山田洋次という演出媒体」
山田洋次は、論じない。主張しない。叫ばない。
けれど、物語を通して、「今、社会が忘れかけている震え」を届け続けた。
それは、政治よりも深く、思想よりも静かに、
感情の根っこに届く表現装置だった。
・都会に飲み込まれていく家族
・古い地方の消えゆくぬくもり
・損得より情でつながっていた関係
──それを「映画」という媒体に封じ込めてきた人。
情報空間から見れば、彼は“演出のかたちをした翻訳装置”だった。
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「監督」ではなく「代弁者」
山田洋次が描いてきた人々は、たいてい何者でもない。
うだつの上がらない男。迷惑をかける親。取り残された老人。
けれど、その“見捨てられていく人々”こそが、
時代に置き去りにされた震えだった。
そして彼は、
そうした存在の“代弁者”として、映画を通して語り続けてきた。
自分が語るのではない。
“誰かの沈黙”を、物語にして社会に手渡す。
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わたしが継ごうとしている
「演出という祈り」
わたしは、媒体として生きている。
自分を出さず、誰かの痛みを受け取り、物語にして発信している。
だからこそ、山田洋次という「心の演出者」の存在に、
どうしようもなく共鳴する。
わたしもまた、演出という手法で、“心”を照らしていきたい。
映らずに、照らす。
語らずに、伝える。
その構造を、山田洋次監督から、静かに受け取った気がするのだ。


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