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信仰が形作る音楽と人生|マークについて

“just be faithful”
「ただ忠実であれ」

MARK : 1999, Toronto


果たして、マークとは何者だろうか?


0.はじめに

K-POP界において、これほどまでに忙しく、なおかつ一貫した姿勢を貫き続けるアイドルは他にいるのだろうか。NCT DREAM、NCT 127、SuperM、NCT Uなど複数のグループを一気に掛け持ちしながら、作詞・作曲にも関わり、ソロ活動も進め、常に創造的な挑戦を続けているアーティスト、マーク。その原動力はどこからくるのだろうか。

本稿はそのマーク・リーという人物の「信仰心」や「宗教観」に焦点を当て、その一端を記録し、私的な視点から紐解いていこうと考え、公開に至った。彼の発言や印象的なエピソード、特にソロアルバムやその活動を中心に据えながら、その背景にある価値観や精神性、信仰とのつながりを自分なりに辿っていきたいと思う。

0-1. 本稿の位置付けと注意

前提として、ここで触れる内容のすべてが「真実」や「正解」としてあるわけではない。マーク自身が明言した言葉や行動を土台にしながらも、それをどう受け取り、どのように意味づけるかは、わたし自身の個人的なフィルターを通したものに過ぎない。したがって、ここに記された考察や印象はどこまでも主観的な解釈であり、決してマーク自身の意図や思想を一般化したり、断定するものではないことを、あらかじめここに明記しておきたいと思う。
また、この文章には特定の宗教的立場や価値観を推奨したり、他の考え方に対して優劣をつけたりする意図も一切ない。
読んでくださる方が、もしこの視点に共感してくださるならそれは本当に有り難いことだけれど、仮にそうでなくともマークという人物の在り方について考える一つの角度として、優しく受け止めていただけると嬉しい。

また、マークの信仰について語るにあたり、いくつかの基本的な情報に触れておく必要がある。以下にごく簡潔だけれど纏めておく。

0-2. マークに関する基本情報

・基本プロフィール

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(素晴らしいお顔…)

名前:マーク・リー(Mark Lee / 이마크)
生年月日:1999年8月2日
出身:カナダ・トロント生まれ
生い立ち:小中学生の頃はバンクーバーやニューヨークで過ごし、2012年スカウトを受け渡韓
国籍:カナダ(韓国系カナダ人)
所属事務所:SMエンターテインメント
所属グループ:NCT(NCT 127、NCT DREAM、NCT U)、SuperM
ポジション:メインラッパー、メインダンサー
デビュー:2016年(NCT U「The 7th Sense」)

・マークは、プロテスタントのキリスト教徒であることを公言している。
・彼の父親は牧師である。その影響から幼い頃から自然に信仰に触れてきた。最初に音楽に出会った場所も教会だったという。
・本名の「Mark」は、聖書のマルコによる福音書(Gospel of Mark)にちなんでつけられている。
・同じくプロテスタントであるNCT 127のメンバー、ドヨンとヘチャンと共に「기도즈(祈りズ)」と呼ばれている。舞台裏や活動の合間に祈る姿がよく知られている。

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左からマーク、ヘチャン、ドヨン

・キリスト教(プロテスタント)の基礎知識

キリスト教とは?
イエス・キリストを神の子として信じ、その教えに従う宗教。
中心にあるのは聖書と「愛」という価値観。
「人は神に愛され、赦されている」というような感覚が信仰の軸になっている。

キリスト教の大きな3つの流れ
カトリック
:歴史と伝統を重んじる。バチカンや法王を中心とする。
正教会:古代からの礼拝や文化を守る東方の流れ。
プロテスタント:マークが属するのはこの宗派。宗教改革から生まれたグループで、「聖書」「信仰の自由」を重視する。

プロテスタントの特徴
個人と神の直接的な関係を大切にする。
「信じる心」が最も大事で、儀式や形式以上に心からの祈りや信仰を重視する。
礼拝の中で音楽や賛美がとても重要。だからマークの音楽観ともつながる。
毎日の生活で「神と共にある」ことを意識する。

0-3. 加筆修正について

この文章は随時加筆・修正しながら、マークに関する新たな情報や言葉、出来事に触れるたびに更新していく予定だ。もし、信仰に関して彼の新しい言及やエピソードなどをご存知の方がいらっしゃれば是非教えていただけると嬉しい。その一つひとつを受け取りながら、この記録を続けていきたいと思う。

0-4. マークという人生の地図をのぞく前に

マークを語るとき、わたしたちのほとんどは「アーティストとしての姿」から入る。しかし、その奥にあるものを見逃してしまうと、彼という人間としての輪郭は、ふとぼやけてしまう。

マークの人生を形づくる大きな要素のひとつ、それが信仰だ。ここでいう信仰とは、単なる宗教的肩書きではなく、彼が「どう世界を見ているのか」を決定づけるレンズのようなものだと捉えた方がいいかもしれない。彼が成功をどう受け止めるか、夢をどう描くか、人との関係をどう築くか。そのひとつひとつに、きっと、このレンズが影響している。

アイドルとして、アーティストとして、そして一人の人間として、彼はどのようにして信仰と向き合い、それを自分の核として築き上げてきたのだろうか。

このnoteは、その地図をなぞるためのガイドだと捉えてほしい。コンテンツごとに整理し、まとめることで、点で散らばったものをつなげるような役割を果たせたら嬉しい。そしてその線の先に、アーティスト、マークという人間の輪郭が見えてくることを願う。

(かなりの情報量を詰め込んでいるため、二万字を超えています。目次も見にくく、申し訳ないです。気になるところだけを拾い読みしてもらって構わないですし、時間のあるときに読んでもらえたらうれしいです。それではどうぞ♩)

1. アルバム・音楽コンテンツ

ここでは、マークが発表してきたソロ曲やアルバムを中心に、その中に込められた信仰の要素をまとめた。歌詞、タイトル、ビジュアル、そのすべてに彼の表現したい世界観が反映されているように感じられる。そこに込められた「祈り」や「感謝」がどんな形で現れているのかを、一曲ずつ追っていきたい。

1-1. 『The Firstfruit』

マーク初のソロアルバムについて見ていこうと思う。本当に素晴らしいアルバムだった。

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MARK 【The Firstfruit - The 1st Album】

・タイトルに込めた意味

“firstfruits”(初穂)という概念は、聖書に由来するもの。収穫した作物の最初の部分を神に捧げることで、感謝の気持ちと忠誠を示す儀式である。つまり、このアルバムはマークにとって「神に捧げるもの」であり、自分の音楽を通して信仰と向き合う行為そのものなのではないかと考えた。

マークは「忠実であれば、進むべき道は見えてくる」と言っていたが、このアルバムはその「忠実さ」が形になったものだと感じる。今までずっとNCTやSuperMの一員として活動してきた彼が、遂に自分自身の名前で作品を出す。そのこと自体が、彼にとって信仰に基づいた挑戦だったのかもしれない。

・“Righteous”とは何か

沢山供給されたマークのteaser画像でも、特に目を引いたのがこのテーマだった。

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MARK 'The Firstfruit' - Righteous

まず、「子羊を抱くマーク」+「タイトルが Righteous(義なる者)」という組み合わせ。これはもう完全に聖書的なモチーフを意識しているとしか考えられない。ここまで明確に宗教的なシンボルを打ち出してくること自体、ちょっと異質ではないだろうか。

次に、子羊(Lamb)はキリスト教の中でとても象徴的な存在だということ。聖書では 「Lamb of God(神の子羊)」=イエス・キリストという比喩が何度も出てくる。イエスが人類の罪を背負って犠牲になったことを示す存在として、子羊が登場することが多い。つまりマークが子羊を抱いている時点で、そこには 「犠牲」「純粋さ」「守るべきもの」「信仰」 のようなメッセージが込められている可能性が高い。

ここで気になることが一つ。
マーク自身が「子羊」なのか、それとも「子羊を抱く者」なのかという点。ツイッター等を見てもかなり意見が分かれていたように思う。
もしマーク自身が子羊なら、それは「導かれる存在」とか「神の御手にある者」という意味になる。つまり「自分は神の導きに従って生きる者だ」というメッセージ。 反対に、マークが子羊を抱いている側だとすれば信仰や大切なものを守る存在という意味にもなってくる。そうなると、「自分はただ導かれるだけの存在じゃなくて、何かを背負い、守る立場にいる」という、より能動的な意味合いが出てくる。
ちなみにわたしはどちらも有り得ると思っていて、ここでは写真の通りだとマークは子羊を抱く側=子羊ではないけれど、アルバムではマークの家族全員が羊になっていて、いちばん小さい羊にit's me!という吹き出しがある(=マークが子羊)イラストがあったから。(カワイイ泣)

“Righteous”は日本語に訳すと「正義」になるが、易しく言い換えると「義なる者」「正しい者」という意味。聖書の中では、「神の前で正しくある者」 という意味で使われることが多い。例えば旧約聖書の詩篇では、「正しい者は神に導かれる」という言葉が何度も出てくるし、新約聖書でも「義なる者」は神の意思を知りそれに従う者として描かれる。

つまり、このタイトルは「自分は何を信じるのか」「何が正しいのか」という問いに対して、マークが自分なりの答えを持っていることを示しているのではないかと思った。普遍的な道徳としての「正しさ」じゃなくて、「信仰の上に成り立つ正しさ」 を意味している気がする。

さらに考えたいのが 「小屋の中で」 というロケーション設定。これもまた意味が深すぎる。
まず「小屋」と聞いて思い出すのは、やはりキリストの生誕のシーン。イエス・キリストは馬小屋で生まれたとされていて、それは「質素な場所に生まれた神聖な存在」というメッセージがあるように見える。だから、マークがあえて「豪華な神殿」等ではなく、「小屋の中」で子羊を抱いているのは、「謙遜」とか「純粋さ」を象徴しているのかもしれない。これは特にマークらしいと思った。

それに、小屋は「世間から隔絶された空間」でもある。つまり「世俗の価値観とは違う場所でマーク自身が信じるものを守っている」のようなメッセージにも読める。これは少し深読みしすぎかもしれないが。

全体的に見て、これまでの彼の音楽が「信仰を内に秘めながらの表現」だったとしたら今回のアルバムは「信仰を前面に出した表現」になっている可能性が高いと考えた。(そもそもアルバムタイトルが『The Firstfruit(初穂)』の時点でそうだろうとしか思えなかった。)

・夢を描くことへの変化

マークのソロアルバム『The Firstfruit』の予告映像で、彼はこんなことを言っていた。

“I never thought that I could dream in detail, you know?”
「これほど具体的に夢を描けるなんて思わなかったんだ。」

MARK : 1999, Toronto

マークは長らく「忠実であることこそが大切だ」と考えていたけれど、それだけでなく「具体的な夢を持ち、それを基盤にして生きることが人生ではないか?」と語っている。これは、彼が信仰を持ちながらも、新たな段階へ進もうとしていることを意味していると解釈した。言い換えると、彼の中で「信仰」と「自己実現」が結びついた瞬間でもあると思う。今までは「神に委ねる」ことがすべてだったのが、「自分自身の夢も、信仰の一部として形にしていく」ように変わっていった。その変化が、今回のアルバムにも大きく影響しているはずだ。

・過去と未来を繋ぐ音楽

“Looking back to Toronto like a window.
Ever since I was born, my mom raised me like an angel.
My dad taught me how to fight devils.”

「窓越しにトロントを振り返る。
生まれたときから、母は僕を天使のように育て、
父は僕に悪魔との戦い方を教えてくれた。」

MARK : 1999, Toronto

この部分には、彼の「過去」と「信仰」がどう結びついているのかがよく表れていると思う。母親の愛情、父親の教え。それが、今の彼を作った。そして、彼はそのルーツを音楽の中で振り返ることで、「今の自分がここにいる理由」を見つめ直している。

これは、単なるノスタルジーではなく、「自分がどこから来たのかを理解することで、これからどこへ行くべきかを考える」という行為であり、マークにとって「過去を振り返ること」と「信仰を持って生きること」は強く結びついていることが分かる。

1-2. 『Frakstiya』

・“神の力”で生きる

イ・ヨンジとのコラボ曲、『Fraktsiya』の中では彼はこう歌っている。

God is my power, I’m NCT, cheese”
神こそが俺の力、俺はNCTだ。」

MARK 마크 '프락치 (Fraktsiya) (Feat. 이영지)' MV

この一節は、本当に彼の信仰観を象徴する言葉だと思う。K-POPアイドルとして、アーティストとして、自分の才能や努力だけでここまで来たのではなく、“神の力”があったからこそ、今の自分があるという側面があると考えた。K-POPの中で、ここまでストレートに神の存在を語るアーティストは珍しいと思う。信仰を持っているアイドルはいても、それを公の場で表現することには慎重になるケースが多いからだ。特に、多様な文化や宗教を持つファンを抱えるK-POPにおいて、信仰を前面に出すことはリスクにもなり得る。

でも、マークはあえてそれを言葉にした。「神が自分の力だ」と。これは単に神に対する「感謝」の意味だけではなく、「自分の存在意義」や「生きる指針」を示しているように思う。つまり、「自分が何者であるか」を音楽の中で明確に表現しているということ。

彼はインタビューで「信じることを理解するのに時間がかかった」と言っていたけれど、そのプロセスを経て、今はもう「自分はこう生きる」と決めている。その揺るぎなさが彼の歌詞にも表れている。

・「神を信じること」は「自分を信じること」

マークは、自分の信仰を大切にしながらも、それを押しつけるわけではない。彼の音楽は、聴く人に「信じることの尊さ、大切さ」を伝えようとしているが、それが「宗教」じゃなくてもいいのだと思う。

例えば、『Ftaktsiya』の歌詞にある“Why so serious?”というフレーズ。これこそ彼の生き方を象徴している気がする。忙しいスケジュールの中で悩んだり、迷ったりすることもある。でも、最後には「大丈夫」と思える。なぜなら、自分には「信じるもの」があるから。

マークにとって、「神を信じること」は「自分を信じること」と同義なのではないか。だからこそ、彼の軸は絶対にブレないし、どんなにハードな状況でも折れない。それが、彼の音楽にも表れている。

また、彼は決して「自分がすごい」とは言わない。むしろ、「神の力があるから、自分はここにいる」と考えているのではないだろうか。だからこそ、どんなに忙しくても、どんなに厳しい状況でも折れない。彼のスタミナや精神力の異常な強さは、体力だけのものではなく、信仰に裏打ちされた「強さ」なのではないか。

1-3. 『Loser』

・マークにとって赦しとは何か

1-4. 『Too much』

・貴方に、神に、愛されるということ

ちなみにチャルスさんとのコラボ動画では、「この曲が一番そういう意味を持っている(大意)」と話していた。そういう、とはどういう意味なのか考えてみると面白いかもしれない。

2. インタビュー・動画コンテンツ

ここからは、マーク自身の言葉を通じて、彼がどんな価値観を語ってきたのかを整理したい。
SNSやファンが拾った断片とは違って、インタビューでは彼なりの文脈がある。その中で彼が「神」「恵み」等について語るとき、信仰を語るときの慎重さや、自分自身をどう表しているのかを見ていきたい。

2-1. 161202 新人賞受賞スピーチ

学びと成長をくださった神様へ

(該当部分2:33~)
“2016 has been a really big year for all of us in many ways.
One of the biggest things I’ve learned was no one…like everything cannot be accomplished alone.
And I wanna thank everyone who helped us so much especially our fans and all our members and I also wanna thank everyone.
And lastly I really wanna thank God right now because he blessed us so much for us to learn and grow.
We’ll try our best to learn and grow, thank you”

「2016年は、僕たち全員にとって本当に大きな一年でした。
僕が学んだことの中で一番大きかったのは、何事も一人では成し遂げられないということです。
僕たちを支えてくれたすべての人たち、特にファンの皆さん、メンバーのみんな、本当に感謝しています。
そして、最後に、今この場で心から神様に感謝したいです。僕たちが学び、成長するための祝福を与えてくれたからです。
これからも、学び、成長していけるように努力します。ありがとうございます。」

このスピーチは、デビューしたばかりの若いマーク(当時17歳)が、自分の中にどれほど深い価値観をすでに持っていたかを示している。
まず、「一人では何も成し遂げられない」と言い切っている点。これは単なる謙遜ではなく、彼がチーム、周囲、ファン、そして何より“神様”という存在への深い信頼と感謝を、常に根に持っていたという証。10代という若さでこうした信仰対象に対する言葉を素直に、公の場で発することができるのは、それが彼にとって“当然の姿勢”だったからだと思う。
そしてやっぱり注目したいのは、最後の部分。

“I really wanna thank God right now because he blessed us so much for us to learn and grow.”

この言葉には、彼にとって信仰が「成功の報酬」ではなく、「学びと成長を導くもの」であるという認識が込められていると思わされた。
ただ願いが叶ったことや受賞したことに感謝するのではなく、「成長の機会を与えられた」ことに感謝していると話したマーク。弱冠17歳でこの言葉が出てくる凄さに驚いたことを今でも覚えている(同年代の頃のわたしは絶対にこんなことを上手くまとめて言えないです)。本当に成熟した精神性であり、信仰を「試練や機会を受け止める軸」として捉えていることがわかる。そこに、マークが若いころからすでにどれほど自己成長を大事にしていたかがよく表れているように思えた。

2-2. ARENA インタビュー

・彼の信仰とアイデンティティ

マークがARENAのインタビューで語った「すべてが信仰を通して繋がった」「ライフスタイルを含め、僕のすべてが信仰を中心に成り立っている」という言葉には、個人的にかなり驚いた記憶がある。何故なら彼が単に信仰を持っているというだけではなく、それが彼のアイデンティティや生き方そのものになっていることを示しているように聞こえたからだ。そして、その「信仰」は単なる精神的な支えにとどまらず、彼の持つ異常なまでのタフさや、強い精神力を形作る大きな要素となっている。

・迷いの中で見つけた自分

実際、マークは、音楽を作ること自体が「アイデンティティの問題」と直結していたと語っている。自分自身が何者なのか、まだ完全には分かっていない未熟な段階で、それでも曲を作り、表現し続けなければならなかった。その過程で悩み、迷いながらも、自分の進む道を見つけていったのではないか。

彼が“faith”(信仰)という言葉を大切にするのも、そこに理由がある。信じることは簡単そうに見えて、実はとても難しい。特に、その過酷なスケジュールや大きなプレッシャーの中で「これでいいのか?」と悩むことも多かったはずだ。けれど、マークはその度に信仰へと立ち返り、「自分が何をすべきかは、ただ神様に対して忠実であれば見えてくる」と考えてきたのではないのだろうか。

つまり、彼にとっての「信仰」は、単なる宗教的な概念ではなく「自分自身を信じるための基盤」でもあると言える。何が正解か分からなくても、神を信じることで、自分の道も見えてくる。その信念が、彼の真摯な姿勢や生き方に繋がっていくのだと思う。

2-3. 『Mark Lee (b.1999)』

・マークの目標とその一貫性

Mark Lee was born on August 2nd, 1999.
If I were to tell you about myself using one word-
“Learning”

I believe that there is no end to learning something. Every day is new day. There is something new to learn.

Mark Lee made his debut on April 9th in 2016.
There was endless growth since the debut until now. I know what I want to be now as a person and I know what I want to be now as an artist.
My inspiration comes from all the things that I have seen, witnessed and heard.

The purpose of what I want to do.
“My purpose”

Why I want to achieve all these things as an artist. Why I wish to be a better person. During my music process, especially I’m writing lyrics, (My dream I’ve been having for 10 years) I try to be as honest as I can. It could only come from my mind and from my heart. An endless search, a fight within myself. I don’t think anything came out exactly the way I wanted it at the exact moment. It was always very…unexpected.

But to always be ready, to be patient. And to be sincere during the entire process, My goal is to be an artist that lives up to the purpose. It’s not just about my own success, my own accomplishments, I wish I could help the world become a better place.

Don't be someone who easily forgets. Stay consistent.

Because you now know. What type of a person, what type of an artist you want to be. So don’t forget that.
Every step I’ve taken has brought me here and like the firstfruits of a harvest. This is just beginning.

「マーク・リーは1999年8月2日に生まれた。
もし自分自身を一つの言葉で表すとすれば、それは“学び”だと考える。学びに終わりはない。毎日が新しい一日であり、新しい学びを得ることができる。

マーク・リーは2016年4月9日にデビューし、それ以来、絶え間なく成長を続けてきた。今の僕は、自分がどんな人間でありたいのか、どんなアーティストになりたいのかを理解している。

自身のインスピレーションは、これまで見てきたもの、経験してきたこと、聞いてきたことのすべてから生まれる。

自分が成し遂げたいことの目的。僕の存在意義。

なぜアーティストとして何かを成し遂げたいのか。なぜより良い人間になりたいと願うのか。音楽を作り続ける過程、特に歌詞を書くときは、(僕が十年間持ち続けてきた夢)できる限り正直であろうとする。それは自分の心と頭からしか生まれないものだから。

終わりのない探求、自分自身との戦い。

思い描いたものが、実のところ、思い描いたその瞬間に完璧な形で生まれることはない。それはいつも…予測できないものだった。でも、常に“準備ができていること”、“忍耐強くあること”、そして、“過程のすべてに誠実であること”。

僕の目標は、その使命に相応しいアーティストになること。それは、ただ自分の成功や達成を目指すためではない。僕は、世界が少しでも良い場所になる手助けができたらと願っている。

“簡単に忘れてしまうような人間にはなるな”
“一貫性を保て”

なぜなら、今の自分はもう分かっているから。
どんな人間でありたいのか、どんなアーティストでありたいのかを。
だからこそ、絶対にその気持ちを忘れてはならない。
これまでのすべての一歩が、今の場所に連れてきてくれた。
そして、まるで“初穂”のように。
これはまだ、始まりにすぎない。」

Mark Lee (b. 1999)

まず一言でまとめると、この文章は「学びというものをマークの中で自己定義し、音楽の創作を通じて自己と世界をより良くしていくという宣言」だと考えた。表面的にはマークの自己紹介のようなものだけれど、言葉の選び方や比喩(特にfirstfruits)に宗教的・職業的な相当の覚悟が滲んでいるように感じた。

“If I were to tell you about myself using one word— ‘Learning’”
学びを自己同一性(=アイデンティティ)の核に据えている。先程のスピーチ内容とも通ずる部分がある。これは単なる成長志向を超えて、「終わりのない自己形成」を受け入れる姿勢を示しているような。アイドル/アーティストという外的な(職業の)ラベルではなく、学びという内的なプロセスを自分の名前代わりにしている点が凄い。きっと、学びを中心に据えることで、失敗や不完全さもポジティブに(意味のあるものとして)捉える基盤があるのだと思う。

“During my music process, especially I’m writing lyrics… I try to be as honest as I can. It could only come from my mind and from my heart.”
マークは作詞行為を「心、感情の現れ」として位置づけている。ここにあるのはパフォーマンスのための装飾ではなく、マークの内的な誠実さの追求なのだ。結果として、楽曲作品はマークの自己内省の記録になり、ファンにとっては「彼の内面への窓」になる。彼がトロントから覗いた、あの窓のように。

“I know what I want to be now as a person and I know what I want to be now as an artist.”
このアルバム(The Firstfruit)の創作を通じて「マーク自身が何者でありたいか、あるべきか」が明確になり、そのために学び・創作・忍耐を使うという自己の契約が形作られたのだ。目的語としての“purpose”が繰り返されることで、彼の行動は偶然や一時の感情ではなく、一貫した志向のもとにあることが示されていた。

“An endless search, a fight within myself.” / “It was always very…unexpected.”
「探求」と「闘い」という語が使われており、成長が端的なものではなく、葛藤を伴うプロセスであることを示している。一方で「unexpected(予期せぬこと)」を認め、受け入れている言い回しは、それをコントロールできない結果にも柔軟な姿勢を示しているようだった。これがマークの根っからの謙虚さと結びつくと、「成功=自己努力のみの成果ではない」という考えに納得できると思う。

“Don’t be someone who easily forgets. Stay consistent.”
ここは相手へ向けた励ましであると同時に、最大の自分自身への戒めでもある。習慣としての努力、記憶(初心を忘れないこと)、継続性を重視するというこのメッセージは、プロとしての姿勢と信仰的な「献げる/捧げる」感覚とも合致するように感じられた。

“It’s not just about my own success… I wish I could help the world become a better place.”
個人の成功だけで終わらせないという意志。音楽的な芸術を通じた「世界への還元」を明言しており、自己目的化を避ける倫理的な立場を示しているように感じた。単なる彼のセルフブランディングではなく、使命感(やるべき事としての責任感)が混じったマークらしい語りだと受け取れる。ここまで大きな目的や使命感を持てるのも信仰を通した何かがあるのかもしれないと思った。(ここでめちゃくちゃ私語を挟みますがすみません、マークの動機(願い)のひとつが『世界をより良くするため』なの、凄すぎませんか?もうアイドルやアーティストの範疇を超えて本当に世界を救うスーパーヒーローすぎます…スパイダーマーク…泣)

・全体的な印象

マークはここで、「アーティストである前に学び続ける人間」でありたいと宣言している。創作を「誠実さの実践」と見なし、成果を謙虚に受け止めつつ、それを誰かのために、世界のために使いたいという考え方、マークなりの倫理を示している。宗教的な文脈(firstfruitsや「自分の成功は単独のものではない」という文脈)が背景にあると考えると、彼のこの語りは単なる自己啓発ではなく、信仰に裏打ちされた召命の表明にも近いと思った。

2-4. marine claire インタビュー

💬どんな職種よりも、(この業界は)すぐに評価される環境にいるので、結果をどう受け止めるか、その姿勢を自分で常に整えていかなければならないですよね。

🍉そうです。本当にそうなんです。健康な体と考え方を持って、長く活動するってすごいことだと思います。そういう意味で、宗教的な部分は僕のアイデンティティとつながっています。だから、よくお祈りをします。

💬その気持ちを外に出さないことが大事ですよね。失望感はどうやって対処していますか?

🍉ネガティブな感情って、どんどん連鎖していくと、気づいたら一番深いところまで落ちてしまいます。意識的に祈ろうとするのもそのためです。人生のタイミングによって、宗教の意味合いも変わってくるので。前とは違う祈り方をするようになるし、昔の自分に失望したとき、そのときの僕に祈ったことがありました。そういうプロセスを経て成長して、また新しい祈りが生まれます。そういう意味ですごく役に立ちます。

marine claire 24年 12月号 マーク

・祈り=ネガティブ連鎖を断ち切るための意識的行為

マークは祈りを「自動的な習慣」ではなく、「意識してやること」と言っている。

理由:「ネガティブな感情が連鎖すると、底まで落ちる」
ここで言う“底”は鬱や無力感に近い状態だと思う。その前に、祈りで断ち切る。これはキリスト教的にいうと、「祈りは心を守る盾」や「神との会話による再起」というものに近いかもしれない。

・人生の段階で祈りが変わる

「前とは違う祈り方をするようになる」というのはすごく大事な視点。これは成熟していく信仰の象徴だと思う。多くの宗教観では「祈り=決まった言葉」かもしれないけれど、マークの場合そうではなかった。

アイドルとしての祈り → 不安や葛藤の整理
今の祈り → 「目的」「使命」に関わるもの
つまり、祈りを通じて彼のアイデンティティが進化するということ。

・宗教は成長のプロセス

また、マークは宗教を“逃げ場”としてではなく、“変化を受け止めるツール”として語っていた。

「昔の自分に失望したとき、そのときの僕に祈った」
この表現は、過去の自分との和解のための祈りとも取れる。これも、ものすごく成熟している考え方だと思った。

・全体的な印象

マークの信仰は、規則に縛られた信仰ではなく、すごく動的で、成長とともに変わる信仰だと思う。だから彼の音楽や言葉は「説教」っぽくなくて、「自分も探している途中」というリアリティがあるのだと考えた。

2-5. 반갑다 마크야 [찰수다 ep.1]

色々話題になっていた、チャルスさんとのコラボ動画。あまりにも情報量が多すぎたように思う。色んなことが顕になったのでキャパオーバーだった。

(⚠︎かなり個人的な解釈を盛り込んでいます。全てわたしの主観にすぎません。)

・マークが考える「愛」とは

“인간이 살아가는 이유인 것 같아 그러니까 우리가 살 수 있는 이유고 살아가는 이유인 것 같아 일단 사랑이 나 안 그래도 요즘 진짜 꽂혀있는 게 사랑이거든? 약간 진짜 사랑을 난 더 알고 싶다 그니까 진짜 사랑을 성경에 있는 모든 하나님이 원하시는 예수님이 원하시는 모든 말씀을 요약하자면 한 문장으로 요약하자면 너의 온 마음과 온 힘을 다해 하나님을 사랑하라가 있듯이 그럼 결국에는 진짜 그냥 예수님의 그 사랑을 내가 정말로 알아야만 하구나 알아야겠구나 싶어서 그냥 나도 뭐 그런 생각을 하다가 그냥 결국에는 살 수 있는 이유도 그리고 사는 이유도 사랑인 것 같은 느낌”

マーク:人間が生きる理由、それが愛なんじゃないかと思う。僕たちが生きていられる理由であり、生きていく理由でもある。最近、本当に“愛”っていうテーマにハマってるんだ。もっと“本当の愛”を知りたいと思うようになってる。聖書の中で、神様が望まれること、イエス様が望まれること、全部の教えを一言でまとめると「心と力を尽くして神を愛しなさい」ってあるじゃん?そう考えると、結局はイエスの愛を本当に理解しなきゃいけないんだなって思うんだ。そんなことを考えていたら、結局、生きる理由も、生きられる理由も、愛なんだっていう感覚になった。

ここでマークは愛を「感情」ではなく「生きる理由」と定義していた。多くの人にとって、愛は人間関係やロマンスのことを指すけど、マークはそれを軽く超えている。「生きていられる理由であり、生きていく理由でもある」ということは、彼にとって愛が存在の根拠なのだということ。キリスト教的にいうと、神の愛(アガペー)こそが生命の源という考え方と直結しているかもしれない。

マークが引用している「心と力を尽くして神を愛しなさい」は、新約聖書のマタイ22章37節にある“最大の戒め”だそう。イエスはさらに「隣人を自分のように愛しなさい」と加えている。マークはこれをただの知識としてではなく、より主体的に、自分の生き方に落とし込もうとしているように見える。
つまり、マークにとって「愛を学ぶこと」=「信仰の実践」であり、「人生の目的」になっている。

「もっと本当の愛を知りたい」という言葉、これもすごく印象的だった。これほど敬虔な信仰者であっても「愛を完全に理解している」とは言っていない。むしろ、まだ探求している段階と言えるのがマークの謙虚さと誠実さなんだろうな、と。これは彼のアーティスト像にも重なる。愛を知る=音楽を通して愛を表す、という方向性になるはずだと思った。

まとめ:マークにとっての愛
・単なる感情ではなく、生きる根源的な理由
・信仰と直結したテーマで、イエスの愛を理解することが彼の目標。
・まだ答えを持っておらず、これからも探求し続ける

・모태슬로について

この場面、よく掴めなかった人や疑問を抱いた人が多かったのではないかと。

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マーク:「出会って付き合った」
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マーク:「でも、その人は母胎ソロじゃない」
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マーク:「それでも大丈夫?」
チャルス:「母胎ソロ?もちろん大丈夫…」
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字幕:『イ・マーク君 <母胎ソロだけど恋愛はしたい> 必ず視聴してください。』
チャルス:「当然大丈夫でしょ!あなた、母胎ソロを何だと思ってるの〜」

この会話のポイントは、「母胎ソロ(モテソロ)」という条件をなぜマークが重視するのかという点。

「만나서 사겼어」
“出会って、付き合った”
「근데 그 사람은 모태솔로가 아니야. 그러면 괜찮아?」
“でも、その人は母胎ソロじゃない。それでも大丈夫?”

韓国語での“괜찮아?”は「平気?」というニュアンスより、“それを受け入れられる?”という確認のような質問、つまり信仰的・価値観的に「自分としては気にしてしまうんだけど、これはOKなのか?」という迷いを含んでいるように見えた。これは言い換えると「清さを守ってきたこと」を尊いと感じる価値観が投影されている可能性があるし、つまり「付き合う際に母胎ソロであることが自分の理想」ということが前提にあるのか…?と結構考え込んでしまった。

補足:プロテスタント文化との関係
・婚前純潔を理想とする。
・交際は結婚前提の関係とされることが多い。
・家族やコミュニティ単位でそれを信仰の実践とみなす文化がある。
マークは牧師家庭であることを踏まえると、このような価値観があってもおかしくないと考えた。

・“Transformation”を経て

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マーク自身が(多分アルバム制作を行ったことを指す)昨年の過程を「Transformation」と表現していた。

そもそもトランスフォーメーションとは何だろうかと思い調べてみたところ、英語圏のクリスチャン文化では、“Transformation in Christ”(キリストにおける変革)という概念があることを知った。

・「transformation in christ」とは
キリスト教における「キリストにある変革・回心」を意味し、人生の価値観や生き方がキリストの教えによって根本的に変わることを指します。具体的には、内面の罪や汚れから解放され、キリストの愛や真理に基づいて新しい人格や生き方へと変化していくプロセスを意味します。

・主な意味合い
内面的な変化
:
キリストを信じることで、それまでの古い生き方や考え方がなくなり、キリストの教えに従う新しい生き方へと内面的に変化すること。
人格の変容:
自己中心的な考え方や欲望から解放され、キリストの愛と和解の精神に基づいて、より良い人格へと変容していくこと。
人生の目的と方向性の変化:
人生の目的や方向性がキリストを中心に定められ、神の御心に沿った生き方ができるようになること。
継続的なプロセス:
この変革は一度きりの出来事ではなく、日々の生活の中でキリストとの交わりを通じて継続的に進んでいくプロセスであるとされます。

https://www.bfpj.org/know/teachingletter/?id=132

マークがこの言葉を使う背景に、「音楽と信仰をつなげる使命を意識した時期」=自分のライフパーパスを見つけた意味が強いのかな、と。彼にとってこのアルバムは“作品”というより“証”に近いのだろう。だからアルバムの最後に「I know your love is too much…」を置いて終わるのは、「これは僕と神との会話であり、みんなにそれを聞いてほしい」という告白なのではないか。

だから、これは単なる作曲・録音のプロセスではなく、精神的・信仰的な変化の期間を指していると考えられる。それは単なる曲作りのスキルアップや、表現の幅の拡大ではなく、「アイドルからアーティスト」への意識の変化+内面の再構築を指している可能性が大きい。

まとめ:マークのtransformationとは
・アルバム制作の中で自分自身と向き合い、内面の葛藤や迷いを整理した過程
・神との関係や信仰を再確認し、これまでの価値観・目標を超えて新しい自己へと進化した過程

また、「Transformation」と言葉で定義することで、この経験や過程が単なるキャリア上の出来事ではなく、人格・信仰の変容として意味づけられているのかなとも感じた。つまり、マークにとってアルバム制作は神と自己の関係性を深める儀式的な時間でもあったと考えられる。だからアルバムのタイトルが神様に捧げる「初穂」なのだ、とわたしは納得できた。

・おまけ:藤井風とマーク

(主軸から逸れているので読み飛ばしてもらって構いません!ちなみにわたしは「花」という曲がすごく好きなのですが、MVがとにかく綺麗で、加えて歌詞にも現れる彼の死生観に感銘を受けました。アーティストとしても好きな方です。)
マークが自分のアルバム制作の過程を「Transformation」と呼んでいると聞いたとき、真っ先に思い浮かんだのは藤井風の「ハイヤーセルフ」という概念だった。
まず、藤井風の「ハイヤーセルフ」とは、理想の自分や内なる声、導きとしての存在を指し、自分の行動や思考を導く精神的な指針として働くものらしい(なんと本人がYouTubeにて概念を説明してくれるというすごくありがたい動画があったので、かいつまんで書きましたが詳しくは〈本編〉をご覧ください)。どちらかと言うとメディテーション系かな?とわたしは捉えた。
一方、先述のマークの「Transformation」は、アルバム制作という具体的な創作の過程とつよく結びつきながら、信仰心の深化や自己認識の変容を象徴するものだった。
特にマークの場合、「Transformation」という言葉自体に、神との関係や信仰的な変化=体験が含まれているため、単なる自己成長以上の意味を持つと思う。藤井風の「ハイヤーセルフ」と同じく、内なる変化を外界と照らし合わせ、作品や行動に反映させることによって、自己の精神的な道筋を他者にも伝えようとしているのだろうなーと。
この二つの概念を思い重ねて、わたしが思ったのは、精神的な概念に名前をつけて明確に意識化、定義するという行為に共通点があるということ。それによって自己の内面の変化や成長、精神的なものを整理し、外の世界に向けて表現することが可能になるということ。
ひらたく言うとマークのは「過程」で藤井風のは「存在」というものだと考えられるが、それらの意識こそが彼らの創造力と信仰心、自己理解を支えているのだと改めて考えさせられた。

・娘ができたら伝えること

なんというオタク殺しのタイトル…と書きながら思ったけれどマークから話を振ってきたのだ、本当に。

マーク:娘が生まれたら「恋愛たくさんしてみなさい」って言う?それとも
チャルス:ううん
マーク:わあ、じゃあ君は本物だ
チャルス:何が本物なの笑 本当に母胎ソロ?

チャルスさんから本当に母胎ソロ?という凄まじいツッコミを受けたことは一旦置いて、娘に多くの恋愛を勧めないことが「本物」ってどういうこと?と思ったオタク、少なくない気がする。ここは本当にマークの価値観が顔を出した瞬間だと思う(びっくりしてわたしは二度聞きしました)。かなり彼の信仰・倫理観・人間観が凝縮されているように見える。

「恋愛を沢山しなさい、と言わない(=勧めない、させない方がいい)」ことを“本物”(真面目/純粋/敬虔)だと肯定するということは、言葉を選ばずに言うと、恋愛経験を積むことに否定的、あるいはその節制を評価している可能性があるということ。これは宗教的・保守的な価値観(クリスチャンの純潔観、伝統的な家父長制的価値etc)と少なからず親和性があるため、「本物=信仰や伝統を守る人」と捉えているかもしれない。

(マークの言う“本物”って何だと思いますか…わたしは上記のように〈真面目、純粋〉と、ひらたく捉えましたが、もう言葉そのままの意味でキリスト信者として本物ってことなのかな?と考えています。難しい。多分マークにとって最大級の褒め言葉なんだろうけど…)

あくまでここではキリスト教信者同士の会話であることを加味して解釈しているが、普通に読めばマークが言いたいのは、単に「安易に恋愛を薦めず、深さや責任を教えたい」という意味だろう。娘ができたら親バカになるだろうとマーク本人も言っていたし、その保護的な親像とも取れる。つまり量より質、短期的な遊びより長期的な信頼関係を重視しているという見方もできる。でも個人的には「本物」というワードのインパクトが凄かった。

3. 個別発言・SNS投稿

ここでは、マークが日常で見せた言葉や投稿を集めた。インタビューや楽曲ほど構えたものじゃないけれど、むしろそこに彼の本音が出ることも多いと思うので、それをまとめた。

3-1. Threads 231230

・「抗うべき?それとも、このままでいい?」

マーク以外のメンバー間では過疎化していたThreadsに年明け前に突如投稿されたこの文章。あとから見返すとLoserのポスターにちいさく書いてあって、こんなところまで細かい伏線回収があるなんて、とすごく驚いた。

4. 考察まとめ

4-1. 音楽を通して伝えるメッセージ

マークは、自分の信仰を直接的に語ることは少ない。少なかった(追記:初のソロアルバムを出して以降、自信が出たというマークから信仰についての話をこれまで以上にたくさん聞くようになって、すごく感慨深い)。でも、彼の音楽をじっくり聴いていると、その価値観や人生観が確かに息づいているのが分かる。信仰が彼の人生の核にあるなら、音楽はそのアウトプットの一つ。つまり、マークにとっての音楽とは単なるエンターテイメントではなく、自分の生き方や考えを形にする手段なのだと思う。

だから、結局のところマークにとっての音楽は、ある種の「祈り」なのだ。彼は、「自分が何者なのか」を音楽の中で探し続けているし、それを聴く人にも問いかけている。彼の歌詞には、「迷ってもいい」「答えはきっと見つかる」というメッセージが込められているようも感じる。

そして、その根底にあるものは今までもこれからも変わらず“faith”(信仰)だと思う。神に委ねることで、自分自身の進むべき道を見つける。そのスタンスは、彼の音楽活動そのものにも反映されている。

マークの音楽は、単なる自己表現ではない。彼にとって、それは「信仰の実践」であり、自分の生き方を形にすることだと考えた。

4-2. ファンが考える彼の信仰心

マークの信仰心について、とても興味深い記事があったのでここにシェアしておきたいと思う。わたしはこの投稿者の方々の考えにとても共感したし、色々な意見や価値観を知ることができて良かったと思う。

①クリスチャンのファンが考えるマークの信仰心

https://www.reddit.com/r/NCT/comments/1jwylyt/mark_and_his_faith_is_just_beautiful_it_inspires/

②マークの強さの根源について

https://www.reddit.com/r/kpopthoughts/comments/m4hqc0/mark_lee_and_his_seemingly_infinite_strength/

③クリスチャンのマークについてのスレッド

(↓特に印象的だった部分を挙げておきます)

訳)キリスト教では、誰もが自分の「十字架」、つまり日々の戦いを持ち、最終的には勝利に導かれると信じています。そこで私は一つの結論に達しました:おそらく、アイドルであることがマーク・リーが毎日背負う「十字架」なのかもしれません。

https://twitter.com/minhychrist/status/1355294205954940934

4-3. ファンとしての懸念点

ここでは完全に個人的な危惧を述べているだけなので完全に飛ばしてもらって構わない。ネガティブなワードが幾つか出てくるので、こういう考えを持つオタクもいるんだなあくらいのスタンスで読んでほしいと思う。

・ワーカホリックであること

マークって本当に「人間の限界に挑みながらも、それを“普通のこと”みたいにしてしまう存在」だと思う。でもそれが「すごい」を通り越して「末恐ろしい」くらいに感じる瞬間もある。だってまだまだ若いのに、もうすでに大人が一生かけて背負うようなものを抱えているように見えるから。どこかに「立ち止まったら自分が壊れる」みたいな感覚が潜んでいる気がする。もちろん実際に本人がそう言っているわけではないけど、そう思わないとあの生活リズムや仕事量は成立しないんじゃないか?と思えてしまう。

しかも、音楽や仕事を“使命”として捉えていることや、作品を「最初の実り」とか「捧げるもの」と表現してきたことを思い返すと、休むことは「奉献の停止」みたいに感じられてしまうのかもしれない。加えて、マークのアイデンティティは「アーティストとしての活動」と強く結びついているので、仕事をやめることはそのまま「自分でなくなる」ことに直結する、という思考さえ持ちうる。これは宗教と関係なく、アーティストや表現者にとっては共通する部分でもある気がするのだが、信仰が重なるとその圧はさらに増すのだと思う。自分を証明する手段として「労働」が選ばれるから、無限ループみたいに動き続けてしまうというか。

その結果、心配なのはやっぱり体調不良等の面。ファンから見ていても、ずっと最前線を走り続けているようで、ふいに不安になることがある。もちろん本人が選んで望んだ生き方だとしても、身体も心も無限じゃないので。(マーク、お願いだから健康診断だけは定期的に行って欲しいよ。何かあってからでは遅いから!)(でもマークが入社してから一度も受診したことがない事実が怖すぎて震えました。マークは体を見せることを好まないタイプだしそれが理由なのか…はたまた本人の中で「まだ必要じゃない」という区切りがあるのか…理由は分かりませんが、30歳になったら受ける!とは言わず早急にお願いしたいです泣)

・全面的に示すことへの危惧

マークはずっと「信仰を持っている人」ではあったが、これまではそこまで直接的に宗教的なモチーフを押し出してきたわけではなかったと思う。どちらかと言うと彼の発言や行動の中に「信仰を持つ人ならではの考え方」が節々に滲んでいるような感じだった。だからこそ、彼の音楽や言葉を、宗教を意識せずに受け取ることもできたし、どんなバックグラウンドのファンでも共感しやすかったのだと思う。

しかし、今回のアルバムを見る限り、今回はもうそういう「暗に匂わせる」レベルではなく、明確に彼の宗教における価値観や考えを発信しているように思える。それはものすごく大胆なことである上に、ある意味でリスクも大きいと思う。なぜなら、宗教とは、信じる人にとっては絶対的な真理でも、信じない人にとってはただの思想のひとつにすぎないから。当たり前かもしれないが、結構大事な前提だと思う。マークは「俺はこう信じる」と示すだけのつもりでも、それを受け取る側は「マークはこうあるべきだと主張している」と感じるかもしれないし、場合によっては「宗教色が強すぎて共感できない」と距離を感じるファンも出てくる可能性がある。

それに加えて、やはりエンタメの世界では「宗教色が強すぎる表現」は避けられることが多い。これは単に商業的な問題だけではなく、宗教が政治や歴史と密接に絡んでいる以上、強く打ち出しすぎると誤解を生んだり、対立を生んだりする危険性があるから。マークは自分の信念に基づいて表現しているだけなのに、それを勝手に「宗教的なメッセージを広めようとしてる」と受け取る人が出てきたら、彼自身の意図とは違う形で話題になってしまうかもしれない。

・どのようにバランスを取るのか

とはいえ、先程も何回か述べたようにマークは自分の信仰を押し付けるタイプではないし、今までも「自分の生き方として信仰がある」という姿勢を貫いてきた。彼自身、周りに影響を与える立場であることは分かっているだろうし、「自分の信じるものを語ること」と「誰かに信じさせること」の違いも理解しているはずだ。

でも、その選択には上記のような「危うさ」もついてくる。マークの信仰や生き方に感動するのは分かるが、彼を「絶対的な正しさ」として見てしまうのは、彼が本当に望んでいるものとの間に乖離が発生するような気がする。(と言いつつも彼自身の素晴らしさを神格化してしまうファンの気持ちにも共感できる。こんなことを書いておいてだが、わたしもそちら側かもしれない。)

だからこそ、ファンとしては、マークの考えを知ることと、それを鵜呑みにすることの違いを意識しながら向き合う必要があるのかもしれない。彼の見せる世界に感動しつつも、「自分はどう思うのか?」を考えること。それが彼の表現を受け取る上で一番大切なのではないか、と考えた。

5. 最後に

マークは単なるアイドルではなく、一つの現象であり、思想であり、影響力を持つ存在だと言える。彼のキャリアはまだ長く続く道の途中である上に、これからどのように進化していくのかすらも未知数だ。けれど、彼が持つ「信じる力」や「誠実さ」、「ひたむきな努力」は、どんな形であれ、これからの未来を生きる多くの人びとに希望を与えるだろうし、音楽の新しい可能性を示し続けることは間違いないと思う。

チャルスさんとの動画で「いずれかは教会で賛美歌を演奏したい(大意)」と楽しそうにマークが話した時、彼の人生のゴール地点は世界的スターよりも「信仰と音楽で人を導く」という方向に寄っているのだろうなと感じた。最終的にマークは「自分の信じるものを表現するアーティスト」であることを選んだのかもしれない。

全体を通して、マークとは「アイドル・アーティスト」という枠を超えている人物であると実感した。彼は音楽やパフォーマンスを通して、「信じるものがある人間はどこまで強くなれるのか」を見せてくれているのだと思う。そこが、彼の唯一無二の魅力であり、人生の証明なのだと考えた。

6. 個人の所感

(以降オタクの独り言です)
マークみたいな人って、現代のエンタメ業界ではすごく珍しいと思う。こんなにも混沌とした世界で何を信じるか分からないまま漂う人が多い中、マークは「俺には信じるものがある」と言い切れる、多くの人の目の前でそれを公言できる強さと誇りがある。それってただのアイドルじゃなくて、一人の思想家とか、リーダーのような存在になり得るんじゃないかと。

だから、マークという存在を見ていると同時に色んな感情が湧いてくる。
まずひとつはマーク自身への感嘆。なぜここまで真っ直ぐ、迷いなく、形ないものを信じられるんだろう、と思う。きっとこの問いすら彼には愚問なんだろうけど。わたしは何かを絶対的に信じてきた経験がないからこそ、その揺るがなさに強い驚きと尊敬を抱く。
もうひとつは、その根底にある信仰への驚き。ここまで自分を委ねて、日々の言動や創作を貫くほどに、確信をもって信じられるものを持っていることに、ただ圧倒される。
あとは、宗教や信仰という存在そのものへの畏怖と尊敬。思想が人をここまで形づくり、あたらしい表現や生き方を生み出す力を持っていることを改めて彼を通して実感させられる。
やっぱり羨望も大きい。絶対的な拠り所がある安心感と力強さって半端ないと思う。自分や相手の行動のすべてが神様の名によって何か意味のあるものとして理由づけられる世界ってどんなものだろうかと想いを馳せる日々。(暇人?)見える世界が違うんだと思う、本当に。

あと、マークのタフさとかスタミナって単なる「体力がある」っていうだけの話じゃなくて、(もちろん体力も凄まじいレベルだけど)精神的な強さが桁違いなんだよな〜とも思う。普通だったら、あのスケジュールを何年も続けていたら、どこかで燃え尽きるような瞬間があっても絶対おかしくない。でも、たぶん彼は迷いながらも折れないし崩れないんだと思う。信仰が彼のスタミナの源であり心の拠り所だから、限界をすらも超えてやり続けられる時すらあるんじゃないかな、と。それは「根性」とか「努力」で片付けられるものじゃなくて、「これは神が与えた道だから、自分は歩き続けるんだ」っていう確信があるからこそできることだと思っていて、言い換えると「神が自分に与えた使命だからやる」という覚悟とも考えられる。信仰があることで、どんなに辛くても「これは神が与えた試練であり、意味があること」と思えるし、「自分が頑張ることで、神の意志を体現する」みたいな感覚があるのかもしれない。

マークの生き方を見ていると、信仰というものが単なる「思想」じゃなくて、どれほど人間の生きる力となり得るのかがよくわかる。「何があっても、この存在が自分を見ている」「この愛に包まれている」という確信。それが、どれほど人を満たし、強く、優しくするのか。普通なら折れてしまうような人間離れした生活の中でも、決して揺るがない彼の姿勢。それは、単なる精神力や努力だけでは説明しきれない。「信じる力」が彼を突き動かし、守り、支えているのだと思う。結論、マーク・リー永遠なれ。

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コメント

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ecstasywalking
ecstasywalking

コメントいきなり失礼します。今まで読んだ文章の中で一番入り込んで読めて興味深くてわかりやすい最高な記事でした。シェアありがとうございます!

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