「なにしてるの?」
「土下座。これ以上ない懇願のポーズかな」
ヘルタの部屋。ヘルタの人形たちが掃除をしている中、目を覚ましたヘルタに向かって僕は土下座をしていた。
周りの人形たちも珍しい物を見るみたいにこちらに視線を向けて、また掃除を再開して。
僕はそんな人形を指差す──のは失礼なので、手で示しながら、
「これ! これさ! 久々に僕にやらせて欲しいんだ」
なんだかんだあってヘルタと再会して、またヘルタと過ごし始めて。しばらくはこれ以上なく幸福で。
ヘルタ本人と、彼女に似た人形たち。彼女たちに迎え入れられた銀河の片隅の時計塔は、まさしく桃源郷と呼べた。
最初のうちは。
「なんか、僕がお役御免になった感じが強くて」
僕のアイデンティティの一つであるヘルタの理解者としてのポジションは、大勢の研究者に分散的に奪われている。金銭面の補助……パトロン的な側面はアスターさんに取られて。彼女のお世話をするという、正直これ以上ないほどに幸福な役割はヘルタ自身に消されてしまった。
と言うか僕のお世話もヘルタの人形たちにしてもらっているのが、何と言うか背徳的だ。本来ならば僕がずっとヘルタのお世話係だったのに。
実際には、ヘルタが僕に仕事を残してくれていただけなのは分っていたけれど。今みたいに人形のいない昔であっても、僕にしかできない特別なことなどは一つもなくて、結局はヘルタに与えられていただけのものだ。それでも、最初で最後の懇願だ。
「人形たちの代わりくらいは頑張るから。掃除……は、おうちの広さ的に限度があるけれど、身の回りのお世話なら……」
「ふうん?」
見た目こそは、以前一緒に暮らしていた時よりも若返っている。けれど、僕が知らない間にずっと長く生きていたヘルタ。しっとりと微笑むその表情は、魔女みたいに妖艶だ。僕が知っているヘルタとのギャップに、思わず怯むと。
「じゃあ、まずは着替えをよろしく」
「は、き、え? 着替え?」
僕の疑問に答えるように、ヘルタは寝巻の裾を摘まんで。
「人形の代わりができるんでしょ?」
「う、うん…………ふぅ、よし」
ヘルタの人形が運んできた着替えをベッドに置いて、まずは脱がせなければならない。
少しだけ心の準備をして、純粋に尽くすつもりで。
伸ばした手がヘルタに触れる瞬間、手首を掴まれて引き込まれた。別にヘルタが怪力なわけではないけれど、完全に不意を突かれてベッドに頭から突っ込んだ。
上からシーツを被せられて、甘い香りに包まれる。なにが起きたのか分からず混乱するが、とりあえずシーツから脱出して。
既に着替え終えたヘルタが僕を見下ろしていた。
なぜか知らないが不満そうな表情をしている。むしろ僕がその表情をしたいところなのだけれど。
「人形の代わりなんて、しなくていいの」
☆
料理は以前と変わらず僕にやらせてくれているのだが、楽しい。
以前ヘルタと一緒に料理をしたのだが、ヘルタは意外なほどに失敗を続けた。ヘルタ自体に問題があると言うよりかは、雑に自動化しようとしたり、途中で飽きてテキトーになったり……あれ、ヘルタ自体に問題があるのでは?
もちろんヘルタが根気強く料理と向き合えば、ちゃんとできるのだろうけれど。
オーブンレンジが爆発するのを眺めながら、ヘルタと一緒にコーヒーを啜る。
ルアン・メェイが失敗したお祝いにお菓子を作っているのだが、奇物を雑に扱って滅茶苦茶にしたり、人形の使い方が大雑把で吹き飛んだり。
「手伝おうか?」
とは言ってみるのだけれど。
「必要ないよ」
と、取り付く島もない。
後片付けをするのはヘルタ人形たちと、俺なのに。
小さなヘルタ人形がふわふわ飛びながら角砂糖を持ってきてくれたので、少し飲んでしまったがコーヒーに混ぜた。ブラックでも美味しく飲めるけれど、たまには砂糖をいっぱい入れて飲みたい。
人形にそう伝えると、また何個かの砂糖を持ってきてくれた。
コーヒーに入れて混ぜてから、お礼を言って人形の頭を撫でてやる。僕の指くらいの大きさなのに、重いものを運んで働き者だ。あまり反応がないけれど、少し心が満たされた。
ヘルタは今日何杯目かのコーヒーを飲み干して、またお菓子作りの続きを始める。
ケーキを作ると言っていた筈なのに、なんだか明らかに必要のない工程が含まれていた。ヘルタが頑張っていることを邪魔するわけにはいかないし、傍観するが。
コーヒーを飲み終えると、またヘルタ人形が近づいてきてお代わりを運んできてくれた。
「あ、ヘルタじゃないんだから。僕はそんなに飲まないよ」
今日のヘルタは特に飲み過ぎだけれど。
言いながらもお代わりを持ってきてくれたヘルタ人形を撫でてみる。
宇宙ステーションとかにいる、ヘルタ人形。ヘルタが外に出なければいけない時に、代わりとしてよく使う人形だ。今となって、ヘルタと聞けばこのタイプの人形をイメージする人の方が多いのではないだろうか。
ちょうど僕と暮らし始めたくらいの年齢で再現されたヘルタは、やっぱり無表情で撫でられてから、僕の指示はしっかりと理解したらしい。
僕の持っていたコーヒーカップを受け取ろうとしたので、これは飲むよと伝えておく。
またしばらくして、爆発音と焦げ臭さ。今日何度目か数えていない。
ただ、今度こそ終わったようだ。満足げなヘルタが少し焦げ臭いにおいをさせながらも近づいてきて。
「……じゃあ、ちょっと行ってくるね。それとも一緒に行く?」
「……そういえばルアン・メェイのお祝いだったね。爆発が起き過ぎて忘れちゃってた。いや、じゃあ、パスで。留守番しておくよ」
言いながらヘルタの頭を撫でる。一瞬驚いた表情をしてから、くすぐったそうに目を細めた。違和感。いつもは撫でても無表情なのに。
帽子が少し邪魔だ。いつもと違って鍔があって、しかも大きいから────
「……?」
「……」
「…………」
やばい。人形を撫でるのに慣れちゃって、つい本人の頭も撫でてしまった。
怒ってはいない様子だが、眼で説明を求められてしまう。説明も何もないのだけれど。別にヘルタの人形と見分けがつかなかったわけでなく、本当についやってしまっただけなのだ。
「き、気を付けてね……」
ここは勇気の無視。撫でたかったと言ってみるとか、撫でちゃダメなのかと聞き返すとかやったら怒られそうだし。
「…………ルアン・メェイに許可を出しておこうかな」
「許可?」
「あなたの研究をしたがってたから。復活の仕組みを知りたいらしいよ」
確かに、ルアン・メェイに会いに行った時は物凄い時間をかけて本人確認をされた。ルアン・メェイと僕しか知らない話をいくつも問題として出され、徐々にヘルタが不機嫌になって、ルアン・メェイはだんだんモルモットを見るような目になって。生きた心地がしなかったなぁ。
ルアン・メェイは世間で言われているほど倫理観がないわけじゃない。それでも、抑えきれない探求心の前には、人よりそれが希薄になる。僕とヘルタ、そしてヘルタとルアン・メェイの関係性からしても、まさか解剖されることは無いだろうけれど、あまり会いたくはない。
「あの、ごめんなさい。撫でたかったから……」
「…………」
僕がそう言うと、ヘルタは少しだけ黙ってから、
「ルアン・メェイに会いに行っている間、人形なら撫でてもいいよ」
そう言ってくるりと背を向け、さっさと行ってしまった。
代わりに近くにいた人形がとことこ歩いて来て、僕のすぐ近くで撫でてもらうのも待っていた。他の人形たちも、キッチンに集まり掃除を始める。
ヘルタのことは大好きだけれど、自分そっくりの人形に雑用をさせるのはあまり理解できない。そこが凡人である僕と、天才であるヘルタとの差なのだろうか。
試しに自分の人形たちを想像してみる。ヘルタと出会った頃の、幼い僕。
たまにオンラインにして動かすけれど、雑用係として僕のお世話もさせる。
うん、ピンとこないな。
キッチンで一生懸命に煤を取っているヘルタ人形を見ていると、急に視線を感じた。
目の前で撫でられるのを待っているヘルタ人形。表情はもちろん、視線の動きも違う。
何も言わずに、人形としてのふるまいを続けているので、僕もそれに従うことにした。
人形の手を引いて、椅子に座り、ヘルタ人形は抱き上げて膝の上に座らせる。驚きと、僅かな抵抗が感じられたけれど、ほんの一瞬。もしかして、僕の都合のいい妄想なのではないかと思う程に、ヘルタの人形はヘルタの人形であり続けた。
百年以上前だ。僕はヘルタと初めて会った時に勝負をした。その時は圧倒的な才能の違いを見せつけられたわけだけれど。
ずっとヘルタに尽くしたいと思っていた。僕の命を、僕の人生を、僅かでもヘルタの為に使えたのなら幸せだと思っていた。
なのにまた、勝負をしてみたくなってきた。敢えて帽子の上からヘルタ人形の頭を撫でる。
ヘルタが耐えられるかどうかの、一方的な勝負だけれど、それくらいのハンディキャップは欲しいから。
撫でるのをやめて、訝し気にヘルタがこちらを見上げた瞬間に。
強く抱きしめて、囁くように。
「ヘルタ、大好き」
腕の中のヘルタがびくりと震える。これは気づかないわけがないので、ワザとらしく勝利宣言をしてみることにした。
「新しい機能追加してたんだ。こんなに照れてくれるなんて」
ここであからさまに反応したら、オンラインになったヘルタは、負けを認めたも同然だ。耐えるしかない。
とはいえ煽り過ぎると今度は、帰って来てから面倒だ。拗ねたら一緒に寝てくれないかもだし。
あくまで僕は、人形に対して愛を語る残念な奴を続けなければならない。ヘルタに愛をささやくのはいつものことだけれど。
耳元で優しく囁くなんて普段は出来ない。
「ヘルタ好き。大好きだよ。かわいい……綺麗……」
ピクリと何度も震えて、ふと、その震えが止まって。
「ヘルタ?」
腕を首に回されて、抱き着かれた。顔が間近に迫り思わず目を瞑るが、さらりとした髪が頬に触れる。抱き着かれたらしい。僅かな吐息が耳に触れた。
「私も…………」
口を開く時に、僅かに唾液が鳴った音すら響き。
目を瞑って次の言葉を待っていたが、何も言わない。
恐る恐る目を開けるとヘルタが、僅かに頬を紅潮させて勝ち誇った顔で笑っていた。
と思いきやヘルタは今度こそ確実にオフラインになって、ミス・ヘルタの賛美を始める。
「私の勝ちとでも言いたいのかもだけれど」
人形の頬に触れるが、当然熱は感じられない。困った。出かけたばかりだと言うのに、ヘルタに会いたくてたまらなくなった。
先ほどのヘルタの、少しだけ照れた反応と表情を思い出して。
人形を撫でながら負け惜しむ。
「これは引き分けじゃないかな?」