被害者意識こそ最悪の暴力。
父親が暴力を振るい、母親が暴力に対して何もアクションを起こさずに服従する姿をこどもたちに見せるのは、最悪の教育。暴力は陽のコントロール。服従は陰のコントロール。結局どちらもコントロール。コミュニケーションとコントロールは違う。コミュニケーションにはコントロールがない。コントロールには「こうなって欲しい」「こう思って欲しい」の期待がある。信頼はフリー。期待はコントロール。父親に幻滅し、母親に幻滅したこどもたちは、そんな父と母から生まれた自分に幻滅する。同じ血が流れていることを呪う。
女性A様から「話を聞いて欲しい」とご連絡をいただいた。旦那が暴力を振るう。こどもの学費も出さない。私が働くことも許さない。家事がおそろかになると大きな声を出して怒鳴る。こどもたちからは離婚をしてもいいんだよと言われるが、片親にさせるのは申し訳ない。父親のことも愛して欲しいから、そうなってもらえるように努力して来た。坂爪さんに会うのは怖かった。何が怖いのか考えた。坂爪さんに怒られたり殴られたりする可能性があるから怖いのではなく、見ないようにしていた自分を見るのが怖かったのだと思う。
A様は「ごめんなさい」や「すみません」を多用した。被害者意識が強いのだと思う。被害者意識が強い人は、被害者意識をばらまくことで、目の前にいる人間を加害者にする。自分が傷ついている姿を見せることで、相手を加害者に仕立てあげる。被害者意識を見せることは、立派な暴力だ。物理的な暴力が陽の支配なら、愚痴や不満を浴びせ続けることは陰の支配になる。おそらく、A様はコントロールをコミュニケーションと履き違えているのだろうなと思った。コントロールが一切ないコミュニケーションを経験したことがないから、人と関わる時はコントロールし合うものだという設定の中を生きているのだろうなと思った。
私は「ごめんなさいとかすみませんとか言わないで欲しい。それを言われると俺が悪いことをしたみたいになる。弱い振りをすることで、相手を加害者にしないで欲しい。被害者ぶることで、あなた自身が加害者にならないで欲しい」と言った。ごめんなさいとかすみませんとか、言った本人はスッキリできるのかもしれないが、言われた方は微妙になる。謝られても元気にならないし、謝られても楽しくならない。そんなことより遊ぼうよと思うのだが、一向にそんな空気感にならない。A様は謝ることをやめなかった。私が「やめてくれ」と言ったことを、A様はやめなかった。こどもたちの気持ちがわかった。こんな母親の近くにいたら病気にならない方がおかしい。嫌なことをされ続ける日々は虐待だ。被害者意識は暴力だ。
暴力を受けるのはまっぴらごめんなので「いい加減にしなさい」と言って帰った。自分の存在意義を感じるために、こどもたちや障害者など社会的に弱い立場の人々をサポートしたがる人は多い。誰かを使って自分の穴を埋めようとするのは、どれだけ正しいことをしていたとしても、支配だ。誰かのためとか言い始めたら1アウト。こんなに頑張っているのにと思ったら2アウト。やりたいからやっていますと言えなくなったら3アウト。チェンジ。生き方を変える合図だ。自分が好きとか自分が嫌いだとか、ちゃんちゃらおかしい。自分には自分しかいないのだから、自分を愛する。自分の運命を愛する。自分の運命を愛して、目の前に来たものにぶつかって行く。被害者意識は暴力になる。敵を知り己を知れば百戦危うからず。被害者意識をぶっ壊す。軽快に、爽快に行こう。
おおまかな予定
9月18日(木)京都府京都市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
9月23日(火・祝日)静岡県伊東市伊豆高原
EVENT@チャイニーズオーベルジュ仙豆飯店
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
いいなと思ったら応援しよう!
ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


コメント