三谷温泉プラネタリウム館絵葉書 蒲郡・三谷温泉(VIEW OF MIYA SPA)
三谷弘法山遊園地は昭和34年(1959年)に開業。プラネタリウムもこのときに設置されたそうで、園内には各種遊具の他、観覧車、バンビセンターなどがあった、とのことです。バンビセンターというのは、鹿を放し飼いにしていて餌をやったり、さわることができたりの施設だったのでしょう、多分。(プラネタリウムの開館は昭和34年7月17日)
愛知県蒲郡市を含む三河湾一帯は昭和33年に三河湾国定公園の指定を受けています。そしてこの年に遊園地のある弘法山と近くの乃木山(乃木大将像があるそうです)との間にロープウェーが架けられていますので、開園当初は昭和29年に発見された同市の三谷温泉との相乗効果で賑わったのではないかと想像しますが、昭和59年(1984年)に廃園となっています。プラネタリウムの閉鎖はその前の昭和45年(1970年)です。
設置の機材は興和プラネタリウムⅠ型でドーム径10メートルです。興和製のプラネタリウムは2台製作されていますが、そのひとつがこの「三谷温泉プラネタリウム館」、もうひとつは、浜松市児童会館(昭和37年8月20日開館)に納入されています。
壁面のデザインが障子みたいでしかも下端が「縁側」に見えたり、入り口に掛けられた紅白幕が「暖簾」のようでキッチュな雰囲気が遊園地内のプラネタリウムにふさわしくて、こういうのは案外好きです。
「氷」とか「お汁粉」などの旗などがあればなおよかったのですが、うれしい事に入り口の上に掲げられた横長の赤い看板はよく見ると「不二家ミルキー」とあります。さらに左端のベンチの背もたれには「明治アイスクリーム」と書かれています。
子供じぶんに連れて行ったもらった遊園地にもこんなのがあったような・・・。
日がな一日、ベンチに腰をおろして三河湾を見ていたい気分です。
多い様ですが、わずか半世紀にも、ならないのに記録がしっかり
してないと、 さっぱり判らなくなりますね。
教育的とか啓蒙などという言葉は好きではありませんが、見世物プラスこれらの何かを加えたところは比較的長続きしたようですね。解説員とかの人材の問題もあるでしょうね。
現在のプラネタリウムも娯楽的要素を含んでいて「見世物小屋」と言ってしまえばそれまでですが、見世物小屋大いに結構、と私は思ってます。みんなでプラネタリウムに出かけて星の美しさにビックリしてもらいたいですね。
出来たのは、完全にその線でしょうし
遊園地等もしかり 当然人気が無ければ
そこまででしょうし、機械の故障等で、終了と
なったのでしょうか?
こうなると どんな投影をしてたのかも気になります
プラネタリウム図鑑という連載で、三谷温泉プラネタリウムの開館の写真と投影機を納めた 興和光学
の話が掲載されてます。 興和光学が2台だけ
作った2号機とのことです。
三谷温泉の建物は現在延命山大聖寺大秘伝という仏教施設?に
なっています。
プラネタリウムはさまざまな機種がありますので、国産機種ひとつとっても、誕生から休止までスリリングな物語が展開していそうですね。プラネタリウム施設も同様に開館から閉館までそれぞれの施設に固有の物語があって、当時の世相のようなものまで抱合しているように思えます。機械遺産・文化遺産としても大事にして行かなければならないと思います。
そこには、三谷温泉だけでなく、岐阜プラネタリウム、豊橋向山天文台の金子式、同じく金子式が納入された静岡プラネタリウム(静活という映画館の上に設置されたプラネタリウム館)が出ています。情報の少ない黎明期の日本のプラネタリウムを知る上で貴重な資料です。