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興和中型プラネタリウム/SKY AND TELESCOPEの広告写真  1960年2月号


拙ブログの 2010年10月7日に「三谷温泉プラネタリウム館」の絵葉書を載せていますが、「SKY AND TELESCOPE February 1960」に、絵葉書とほぼ同じ構図の写真(広告)が掲載されています。

絵葉書はこちら→https://irukaboshi.exblog.jp/12043972/

使用されている機材は「興和中型プラネタリウム」の1号機です。設置場所は昭和34年(1959年)7月開業の「三谷弘法山遊園地」内で、プラネタリウム館開館も昭和34年でした。同遊園地は、1984年(昭和59年)3月で営業を終えていますので、恐らくプラネタリウム館もこの時に閉館されたのではないでしょうか。

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SKY AND TELESCOPE February 1960 ↑ 三谷温泉プラネタリウム館/興和中型プラネタリウム


プラネタリウム製作は、昭和21年に愛知県蒲郡市に設立された興和光器製作所(現・興和光学株式会社)で、設立当初は、メガネレンズ、オペラグラス、35mm映写レンズ、双眼鏡などを製作していました。昭和29年からは二眼レフカメラ「カロフレックス」の製造も手掛け、のちにレンズシャッター式6×6cm判一眼レフカメラ(コーワシックスシリーズ)を発表し高い評価を得ています。


プラネタリウムの製作は昭和33年からで、主任設計担当者は当時入社2年目のそれまではプラネタリウムを見たこともなかったという大河内偵一氏です。(天文と気象1980年10月号と11月号に大河内偵一氏へのインタビュー記事がのっていますので、開発開始の経緯などはこの号を参考にしています。)

興和中型プラネタリウムは設計・開発段階からすでに設置場所が決まっていたそうで、完成までに1年の猶予しかなかった、とのこと。その1号機が「三谷温泉プラネタリウム館」でした。

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「KOFUKU SANGYO(興服産業)」は、大正元年設立の「株式会社服部商店」の商事部門で昭和18年に服部商店から興服産業に商号を変更しています。プラネタリウム製作の興和光器製作所は興服産業の新規事業部門。


2号機は昭和37年8月20日開館の浜松市児童会館に設置されています。しかし、興和中型プラネタリウムは1号機・2号機の2機が造られただけで、以後は製作を中止しています。

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ドームサイズ10メートルと13~15メートル、20メートルの3種類に対応できるようです。 ↑ 専門の解説員は置いて無く、テープに録音された解説にあわせて係員が矢印で指し示す方法をとっていました。 太陽・月・惑星の動きはなく、投影だけですが、恒星は日周運動、歳差運動、緯度変換が可能でした。

設計者の大河内氏は1号機の不具合部分を改良した2号機の図面を引いて退職(名古屋工業大学機械工学科へ転職)されています。したがって「興和中型プラネタリウム」の製造が2機のみで中断された経緯については分からない、としていますが、恐らく採算が取れなかったからではないでしょうか。(ブログ主の想像です。)


しかし、1号機納入の半年後にSKY AND TELESCOPE誌に広告を出しているところを見ると、少なくともこの時点では興和光器製作所または興服産業は、興和中型プラネタリウムの海外進出を企図していたのではないかと思われます。



by iruka-boshi | 2019-08-25 13:56 | プラネタリウム/天文台 | Comments(0)
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