愛情なんてなくても、物は大事にできる
「物を大切にする=物に愛情を持つ」っていう感覚、正直あまりピンとこない。
愛情は無くても、雑に扱わないし、壊れたら直すし、失くしたら困る。ただそれだけ。
「物に愛情を持て」とよく言われてきた。
でも私は、小さな頃からそういう考え方に違和感があった。
愛情なんて持っていなくても、物を乱暴に扱うことはなかったし、物をなくしたときにはちゃんと後悔していた。
それって、十分に「大切にしていた」ことにならないだろうか?
たとえば、筆箱ひとつでもそう。
お気に入りじゃなかったし、特別な思い入れもなかったけれど、私はそれを長く使っていた。
壊れたときは修理したし、落とさないよう気をつけていた。
でもそれは「愛着」じゃなくて、「機能があるから」「必要だから」だった。
それなのに、周囲からは「物をもっと大事にして」「ちゃんと愛情を持って」と言われた。
まるで、物を大切にするには“感情”が必要だというように。
けれど私は、物との距離を一定に保ちたい。
壊れても、失くしても、次に切り替えられるようにしておきたい。
それが“心を守る”ことにつながるから。
逆に、愛情を持ちすぎてしまうと、捨てられなくなる。
整理ができなくなる。
別れに弱くなる。
「まだ使えるから」「思い出があるから」と、機能しない物をずっと持ち続ける。
それはかえってストレスになる。
私は、感情を込めなくても、丁寧に扱う。
愛着を持たなくても、壊れたら悲しむ。
でもそこに、愛情や物語はいらない。
物を大事にすることと、物を好きになることは別。
大事にするって、つまり「粗末にしない」「長持ちさせる」「選ぶとき慎重になる」だけ。
それだけで、十分すぎるほど誠実だ。
愛情がなくても、物は大事にできる。
むしろ感情を込めないことで、心が軽くなることもある。
「使う」「保つ」「必要なときにそこにある」
その関係性だけで、私は充分に満足している。
だから無理に「好きになろう」としなくていい。
ただ、淡々と扱えばいいだけのこと。


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