獄道者-少年期-裏社会への階段
昭和37年10月半ば、武生は事故無く普通に務めていれば、10ヶ月間で仮退院を出来るところを、22ヶ月間を、人間回転魚雷訓練基地跡地の、山口県柳井市熊毛郡平生町佐賀阿多田の、特等少年院・新光学院に入院をし、退院をした。
14歳で特等少年院に収容されたのは、武生が少年院史上初めての年齢最年少であった。(武生が仮退院になる年に、15歳の梅川昭美が広島県で強姦殺人事件を犯し、入院をして来た。
彼は後年に大阪の三菱銀行を襲撃し、人質を取って銀行内に立て籠り、世間を震撼させる事件を犯し、射殺をされるが、後にドキメンタリー作家の福田洋が【タトウあり】の題名で小説に書き、宇崎竜童、主演のTVドラマ化され、放映されたが、私の後輩にあった)。
梅川は、常人の驚く様な事件を犯し、15歳で特等少年院に収容をされるが、17歳の時に入院をして、新光ではヤクザ者の多くが配役をされている、超有名な第三班金属工場の最高幹部の顔役になり、凶暴な教官で、院生からも恐れられた大軍鶏、子軍鶏、カバらでさえも、彼には手出しをする事を恐れる程の超根性者でとおっいた武内の邦さんが、仮退院取り消しで二度目の入院をして来た時に、梅川を、ポコ=ケツの穴や口腔=尺八で性交をさせられる女役にされ=ケツの穴を掘られる=突っ込まれる、にされていた。
武生はその邦さんの兄弟分にあった、広島の中等少年院=16歳〜18歳を収容の、八本松で総幹を張った和泉を、育成学園の後輩の磯村一男のために、身体を張り15歳の武生が彼を半殺しの目に合わせ、仮退院を取り消しになった経緯があった。
二度目の仮退院取り消し謹慎罰を受けたのは、武生の舎弟分で岡山県の中山の事だった。
病護班から炊事場に4人で
武生は群れを作らず、常に我は我として一匹狼を貫き通し、誰にも媚び諂わず、安目を売らずに男として最後までやって来た。
通算28ヶ月間を経て、社会復帰を果たした武生は、社会生活の仕組みや、すべき手順と謂うか、自分の立場を理解する事ができず、唯その日をノンべンだらりとパチンコやスナックに過ごしていた。
特等少年院で兄弟分になった、在日朝鮮人の下関市東大坪の高山義雄コト、番外の次郎の通称で通っていた彼と連絡を取る事ができ、交友が始まった。
彼はヤクザ者が一目も二目も置く根性者の顔利きで、映画館やスナック、バー等は 「頼むぞ」 の顔パスで全て只で出入りが出来た。
次郎らと13番街のダンスホールに出入りしいていた武生に、次郎の舎弟の昌山福生とダチになり、彼とツルムようになり、ある夜の事、番外で新光学院で一緒だった在日の林と出会い、福男とダチだった林は
「福ちゃん、我しは昨日出て来たばかりで、まだオメコもしとらんけぇ、女を世話してくれんか。どんとの女でもええ、オメコさえさせてくたらええけぇ、福ちゃん頼むよ」
スケコマしの福は、化粧の濃い小柄の女コマして来て、林と福との3人で、唐戸市場通りにある、100円旅館に4人で入り、宿泊をする。
女は3人で姦(マワ)される事を承知をしているようであった。
最初に林が乗っかり、抜かずの2発をやり、次に福男がやり、武生に福男が
「お前もいけぇや」
促すが
「いや我しゃええけぇ」
拒否をする。
彼らの精液の入ったあの穴の中に、我がのチンポを挿入する事への気持ちの悪さと謂うか、潔癖感が赦さなかった。
仕事があるからと林は、起き抜けに一発をやり、福男も一発を抜き旅館を出て行った。
襟脂でテカリ汚れをした枕と掛け布団を胸元に掛けて微睡んでいた武生の口中に、違和感のある感触が伝わり、目覚めるとその女がシュミーズ一枚の姿で抱きつき、キスをしなから喘ぎつつ
「ねぇあんた、私を抱いて、あんたなら何をしてもえぇんよ、うちはあんたを見た時から好きやったんよ。早うして、入れて」
迫って来たが
「ええっちゃ、わしゃしとう無いけぇ、せんでもええ」
と拒否をする。
林と昌山の精液の入った女のアソコに、と想うと不潔感と気持ちの悪さで、とても挿入をする気になどにはなれかった。
帰る旨を告げ、身支度を整えて朝まだき薄闇の街を出ると、彼女も帰ると着いて来て、下関駅前にある喫茶店 ベニスに誘われ、モーニングを頼んでくれる。
彼女は、北九州の戸畑出身で、高校を卒業してから下関大丸の化粧品売り場に働き、彼氏に棄てられて今は男遊びをしていると言う。
ねぇアンタ、うちと付き合ってくれん?アンタとなら真面目に付き合って行けそうやけん、、、」
「そんとの事言うても、我しゃぁまだ16歳じゃぞ。姉さんの方がだいぶん歳上じゃろうが」
「歳なんか関係無いよ。それはそうとアンタ名前はなんて言うんね。うちは松尾恵子、21歳なんよ」
「我しは福井武生、ついこの間特少を出て来たばかりなんじゃ」
「ふ〜ん、そうなん。そんな事なんか構わんよ。ここ払っとくから。今日番外で会ってよね。絶対よ。アパートに帰って、仕事に行くからね」
いつものように、ダンスホール13番外に、次郎の兄弟分の虎と木島のマー坊、福男らと出かけた。
福男の弟の三男坊のサマナを紹介された。サマナは武生と同い年の16歳で、中学3年生の時に不良だったので、担任教師から
「お前の様な奴は日本の学校なんかに来ないで、朝鮮学校に行け」
それで頭にきて担任を殴り、大阪の鶴橋にいる知り合いを頼り、その町のネジ工場に働き、最近帰って来たばかりだと聞かされる。
その夜の内に意気投合をし、ダチになり、この夜を境にして彼とツルムようになった。
福男の紹介で中西(中国人の陳)健次=健坊を紹介される。
この夜は福男にサマナ、健坊の4人で女を引っ掛け(ナンパ)に来ていたが、気に入ったのに出会わず、帰途についた。
その途中に小柄の三十代の女が、スピッツを連れて散歩をしていた。
健坊が近寄り
「姉さん散歩しょうるんね。茶店にでも付きおうてくんないや。ええじゃろうが、一緒に行こうや」
「やかましい、あっちへ行け。うるさいと言うとんじゃ。どこのどチンピラかぁ」
「なんじゃと!わりゃ、女と思うてええ気になっとったら、こらえんど」
「なんじゃと!もういっぺん言うみぃ。わしゃのう、チバの女房じゃ」
「それがどうした。じゃからなんじゃと言うんじゃ。上等じゃねえか」
「おおう、よう言うたのぅ。今呼んできちゃるけぇ待っとれよ。、、、あれっ、お前を知っとるぞ、内の博打場によう来とる奴じゃないか。逃げてもつまらんぞ、顔を覚えているからな、待っとれ」
「おいっ皆逃げろ、捕まったら殺されるぞ、バラバラになれ」
健次の声に福男が
「何かジーケン(健次の逆さ語で、当時の東大坪では、この逆さ語が当たり前の様に話され、日常語として使われていた)、知っちょたんか、何であんとの事を言うたんか」
「何でもええけぇ直ぐ逃げろ、絶対に捕まるなよ」
武生には、何が何だか訳が判ら無かったが、兎に角ヤバクなったと謂う事だは察し、一目散に逃げ出し、柄受け人になっている姉夫婦のアパートに帰った。
数日して福男に会ったら、あの夜から2日後に健次が番外で捕まり、皆の事をウタイ、豊前田のダンスホールにいた福男が捕まり、竹崎町の近くの神社に連れて行かれ、2人共半殺しのヤキを入れられたが、本当に殺されかと思う程のヤキだった言う。
チバさんが直ぐに若衆を総出にし、ダンスホールからスナック、バーと全部をシラミ潰しにして、健次らを捜し回ったらしい。
「あの夜に捕まえていたなら、お前ら全員を殺していた」
とも言っていたそうだ。
それから数日して、虎の実兄で元流星会会長のカンジョラと福男、サマナ(逆さ語)、武生の4人で歩いていたら、下関駅のガード下の所で、若衆を3人連れたチバさんに行き合う。
カンジョラとは知り合いらしく、親しげに話していたが、福男に気づき
「あれっ、お前はこの間の奴じゃないか、ええか、後の2人にもよう言っとけよ、今度あんな事があったら只じゃ済まんからな」
色黒の肌に若草色のダブルの背広、デップリとして180㌢余はありそうなタッパに凄みのある眼光、両手の指は何本かエンコ詰めをされていた。
通り過ぎる後ろ姿を見送りながら、ホンマ者のヤクザは凄い、その思いだけが強く残った。
マサナと大丸百貨店に遊びに行った時、2人連れのいかにもズベ公(いまで言うサセコ)タイプの女がいたので、何となく見ていると目と目が合い
「何だよ、何か用か。ちょっと屋上まで顔を貸せぇや」
サマナも武生も呆気にとられてしまい、次の言葉が直ぐに出てこなかった。女からいきなり、こんな風に上等をかけられた事も無ければ、ましてや正面を切っての喧嘩を売られた事も無い。
「クフイ、こんとのバカ女なんか相手にしとったら笑われるぞ。行こう、行こう」
何となくスッキリしない気分のまま、大丸百貨店を後にした。
少年院の中では、斬った張ったの修羅場は数多くググり抜けて来たが、女とのゴロ巻き(喧嘩をする)何て事は、夢想だにした事はなかった。
以上の事は
幻冬舎 白いカラス-獄道者-少年期 龍王武熾
に書いたが、紙面の都合で書けなかった事を加筆してみた。
これらが上京編で、裏道に足を踏み込み、ヤクザ者としての階段を歩き始める。
Like
Comment