いろいろな目線

 2016年7月26日、知的障害の方々が入所している相模原の施設で殺傷事件が起きました。僕は被害を受けた施設の嘱託医を数年間していたことがありました。それによる個人的な感情の話を詳しくするつもりはありません。しかし、やはり当然といえば当然ですが、思考がだいぶとらわれてしまって、色々なことに集中できない日が続きました。施設に今は関わっていない僕がこうなのだから、直接被害に遭われた方々の大変さは想像を絶するだろうと思いました。出来る限りのことをしたいと考えて、まずは現場レベルで必要と思われる動きをしています。また、それとは別に、被害を受けた側、つまり「知的障害」の方や「知的障害者の入所施設」について自分の知ることをまとめ、現状の問題点を考えるということも必要ではないかと考えました。そして文章を書き、少しずつ知人に読んで頂き、また、施設の職員さんにも読んで頂く機会がありました。「勇気が出る」と仰いました。であれば、もう少し広めてみようと考え、個人のブログ形式として発表することとしました。推敲に尽力して下さった友人の編集者に感謝致します。以下がその文章です。

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 2016年7月、知的障害の方々が入所している相模原の施設で起きた殺傷事件では、主に事件の加害者に焦点が当たり、この恐ろしい事が何故起きたのか、加害者がどういう人だったのか、薬物依存症だったのか、他の病気だったのか、治療システムは適切だったのか、など多くの議論がされています。

 一方で、施設に入所している知的障害の方、そして、施設で働く職員の方など、被害を受けた方々のことももっと意識的に考えて良いのではないかと思っています。きっと、「知的障害」や「知的障害者の入所施設」について、しっかりとイメージできる人はそんなにいないはずです。

 僕は非常勤ではありましたが、数年間いくつかの施設で臨床をしてきました。入所者の方を診察していて、毎回教えられることがありました。それは、人間の生活における「目線」は無数にあり、自分の目線だけで物事を判断することはとても勿体ないことだということでした。時には、自分にはない目線で創られた、芸術作品とも言える個人的な創作物を見せてもらい、非常に感動することもありました。思いもよらない一言に心震えたこともありました。また、それ以上に、ご本人にも得体の知れない不安やイライラ、衝動性などの症状に苦しむ姿を目の当たりにすることもありました。そして、その方々をサポートする職員の方々の柔軟性に驚かされてきました。

「知的障害」の障害特性、関わる人の大変さ、知的障害者の入所施設の重要性をイメージすることは、「一般」的な目線だけではない目線を知ることだと思います。それを多くの人が少しでも知ることが、被害を受けた方やその周りの方の辛さの軽減にもつながり得ると思います。

・知的障害とは

 「知的障害」とは、先天的に、または後天的な何かしらの要因によって知的水準が永続的に低い状態で、且つ、社会生活への適応機能が障害されている状態を言います。知的水準は知能指数(いわゆるIQ)を目安にしていて、IQの数値による知的障害の分類としては軽度(50〜69)、中度(35〜49)、重度(20〜34)、最重度(20未満)があります。しかし、知能指数を測定する知能検査の再現性にも限界があるため、社会生活への実際の適応機能がどれほどかということもとても重要になります。では、社会生活への適応機能はどのように考えられているのでしょうか。これは大きく3つの領域に分けて考えられます。

 一つめは概念的(学問的)領域です。これは記憶、言語、読字、書字、算数などの実用的な知識の理解や学習技能についてです。生活していると、書かれている言葉を理解したり、お金を計算したり、時間を気にしたり、そういったことが必要ですが、それには概念的、学問的領域の理解力、学習技能が不可欠です。

 二つめは社会的領域です。これはつまりコミュニケーション能力のことです。他者の思考や感情を認識して共感したり、言葉を使って会話を充実させたりすることは人間のコミュニケーションにおいて不可欠です。これは色々な発達障害の合併によってさらに困難さが増すこともあります。また、重度になると話し言葉は限られ、身振りなど記号的なコミュニケーション中心になったり、それさえも困難な方もいます。

 三つめは実用的領域です。これは、日常生活における食事や身支度、入浴や排泄などのセルフケア、そして、仕事や娯楽などに関する自己管理能力などのことです。

 現代社会に生きる「一般」の人、つまり社会で生きていく機能を最低限兼ね備えている人は、少しずつ学び、何か必要なものがあればコミュニケーションをして交渉し、お金の計算をして購入し、日常生活のリズムを考えながら常識的に食事をしたり入浴したり仕事をしたり遊んだりして生きています。しかし、前述したような社会生活への適応機能の障害を呈していると、その「普通の生活」を送ることが難しくなるのです。ここで重要だと思うのは、「普通の生活」というのは「一般」と言える社会生活への適応機能を兼ね備えた大多数の人からの目線であるということです。その機能を生来、または発達早期から兼ね備えていない、「障害」を呈していると言われる方の目線では、その機能がないことが普通かもしれません。かもしれない、と書いたのは、実際その気持ちの深部までは僕には分かり得ないからですが、知的障害の方々が入所する施設で臨床に携わっていると、そんな気がするのです。

 ただ、間違いなく言えることは、知的障害を呈している方やそのご家族はとても大変だということです。その方の機能を超えた適応をしないと一般社会でスムーズに生活することは難しいので、その超えている部分は周りの人が担うことになります。日常生活の行動を常時支えたり、見守ったりする必要があったり、独特なコミュニケーションをする場合は通訳のような形で側を離れられません。また、知的障害の方は、他の精神や神経疾患を合併する率が優位に(一般人口の3倍以上)高いと言われています。例えばイライラが抑えられず暴力や自傷に発展してしまう場合、てんかんを合併してけいれん発作を起こしてしまう場合、他にも例を挙げればキリがありません。そのような場合は、薬物療法が不可欠になるため、受診に付き添ったり、お薬を工夫して内服してもらったりと、ご本人もご家族もとても大変なのです。

 そして、障害の程度がとてもシビアで、ご家族だけでは手が回らない場合もあります。その時に検討されるのが施設への通所や入所です。

・知的障害者の入所・通所施設

 僕には知的障害の方が通所・入所する施設での臨床経験がありますが、経験を積めば積むほど施設の重要性を実感していました。施設では「入所者」という立場の面でも、単純に人数比の面でも、「一般」の人よりも「障害」の人が主役です。それ故に、色々な常識が「一般」的ではなくなります。入所されているホームの具体的な様子は文章だけでは恐らく伝わらないので書きませんが、「障害」の方がなるべくストレスなく、且つ、「一般」の雰囲気をなるべくなくさないように、色々な工夫が施されています。その一つが、ホームで入所者の生活サポートをする職員の方々の意識です。僕の印象でしかありませんが、職員の方達は無意識的に、それぞれの入所者の方の適応機能を見極めて、そこに無理がないようにコミュニケーションをとったり、生活のサポートを考えたりしながら、社会復帰に少しでも近づくように関わっています。つまり、「一般」という目線ではなく、それぞれの相手の目線に合わせた考え方や行動をしながら「一般」的であることを目指しています。それぞれの相手のご家族の代わりをしているわけです。これはとても尊重されるべきことだと思いますが、1対1ではなく、1対 多数 という形になるわけで、心身ともに負担は大きいです。うまくいかないこともたくさんあり、知的障害の方は時には症状によって暴力的になってしまったり、相手が傷つくことを言ってしまったりもします。そんな時は看護師や医師と連携しながら何とかサポートを続けるのです。そして、定期的にご家族に状態を説明し、安心してもらって関係性を保ちます。施設では医師の診察は、処方の調整などの面で重要な1ピースですが、ケアの主役は常勤している看護師や日々の生活のサポートをする職員の方々です。

・相模原の事件に思うこと

 事件に関して、大きく心配なことがいくつかあります。ひとつは、被害を受けた施設がすぐに十分に機能するのはなかなか難しいのではないかと思うことです。もしかしたら、現在入所している方々全員が施設に居続けるのは困難なのではないか、というのが心配です。その場合、近隣の病院や施設を中心とした地域連携を密にしていくことが必要になってくると思います。

 そして、事件によって物理的に、入所されている方の人数は減りました。その影響で、施設運営のために行政から当てられる資金が減ることがないかどうかも大きな問題です。なぜなら、100人を超える方をサポートするにはとにかくマンパワーが必要です。元々人員に余裕があったわけではないと思うので、もし資金が減らされるようなことがあると、これまでと同様のマンパワーを維持できるのでしょうか。この問題については行政的なシステムを、僕は把握できていないので、深刻化しないことを祈るばかりです。

 さらにもうひとつは、施設で働かれていた職員の方や入所者の方のメンタルケアが重要です。日々一生懸命生活サポートをしていた方、同じホームで暮らしていた方が亡くなったのです。驚きや怒りや不安や気分の落ち込みなど、そしてもっと複雑な、言い表せないような感情が押し寄せてくる可能性がとても高いです。場合によっては、その人の心身に大きく影響を及ぼす心的外傷になりかねません。そのサポート体制(ポストベンションといいます)を整えることがとても重要だと思います。

 また、この地域連携の問題や、施設で働く方々のメンタルケアは平常時からもとても大切なことです。例えば知的障害の方は、身体的要因のために入院治療を要する場合でも、入院の必要性が理解できず治療にも拒否的になってしまうことが少なくありません。病棟で大きな声をあげてしまうなど、治療がスムーズにいかず、さらに他の入院患者の治療に支障をきたすと考えられると入院自体もままならなくなります。そのような場合を考えて、精神科病棟を擁する、または精神科医がいる総合病院などとの地域連携が必要になります。 

 ポストベンションとは、不幸にも自殺や今回のような事象が生じた場合に、遺された人々に及ぼす心理的影響を限りなく少なくするための対策のことですが、そのような事態にならなくても、施設で入所者の方のサポートをすることは前述した通り、とても大変です。サポートする方は一生懸命やっているのに、入所者の方はそれが理解できずに噛みついてしまったり、罵倒してしまったりなど、サポートする方の頭では理解できてもジワジワと心理的なストレスを抱えることも少なくありません。そのために、施設内で働く職員同士、職域を超えて意見交換をするなど、大変さを抱え込まないようにする取り組みなどが常時必要になります。

 

 「障害」の方と直接関わる方はもちろん、今のところ関わる機会のない方々も、「一般」とは違う目線があることを実感するということ。それは、物事のとらえ方に柔軟性をもたらす、とても豊かなことではないでしょうか。色々な立場、色々な状況について、分かりきることは難しいかもしれませんが、それぞれの目線から考えてみようとすることで見えてくる多様性、生まれる理解があるように思います。

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