Re:エレベーター解体白書制作秘話Vol.2「1ページに数百ページをつぎ込む」
2015年に発刊したエレベーターの同人誌「エレベーター解体白書」の復刻再編作「Re:エレベーター解体白書」の制作発表から早くも2か月が経ちました。
作者自身のエレベーター研鑽を進める傍ら、掲載内容の集約など徐々に進めていますが、いま大きな壁を迎えています。それは第二章に登場する「エレベーターメーカーの違い」の制作構成。
ちなみに過去作でも二度、1ページに各エレベーターメーカーの概要を集約して掲載してきました。
ざっと読めば理解できなくもない内容にはしたつもりですが、今回はこんな大雑把な要約ではダメだと自負しております。
というのもエレベーター研鑽を通じて確証した話ですが、近代のエレベーター史は昭和20年(1945年)の終戦から戦後の復興にかけて創り上げられたものであり、それらを総合的にまとめたうえで執筆しなければいけないと思いました。
日本国内にエレベーターが登場したのは明治維新後の欧米からの輸入品。国産が本格的に普及したのはほとんど戦後の話なのです。へぇ、これだけでも勉強になります。
日本のエレベーターの歴史は他の文明機械と同様に明治維新後に欧米から輸入された製品から始まった。性能的に優れたものはほとんど輸入品に依存していたが、大正時代に入るとこの輸入品を参考に実用的エレベーターを製造する国産メーカーが誕生し、次第に国産品が増加した。しかし、輸入製品との技術格差は大きく、国産メーカーは十分な技術成果をあげることなく太平洋戦争の勃発とともに、その発展は中断された。
ロープ式エレベーター技術発展の系統化調査
三井 宣夫氏
要旨より
ちなみに。
日本エレベーター製造㈱1919(大正8)年に日本における最初の国産メーカーとなった日本エレベーター製造㈱が設立された。(中略)その後国産技術の奨励の時流に乗り1936(昭和11)年に新しく完成した国会議事堂のエレベーター一式を納入(製品出荷は昭和5年)するなど、国内トップメーカーとして多くの実績を上げた。1936(昭和11)年に日立に買収され、販売、据付、保守を分担する会社として存続したが、1940(昭和15)年に解散してエレベーター事業は日立に一本化された。日立に買収されるまでに合計約3,000台のエレベーターを製造した(なお、現日本エレベーター製造㈱は別会社)。
3-2-1 主要メーカーの誕生 より
私も知りませんでした。
ちなみに現在、国会議事堂に設置されているエレベーターは三菱製だそうです。
戦後のエレベーターメーカー各社の動向については、現在まとめていたり今後の原稿に関する事柄なので省きますが、各エレベーターメーカーの沿革や、中には社史を発刊している会社もあります。それら資料を通じて、より一層エレベーターについて理解を深めて頂けるような本を執筆すべく、現在は各種文献の研鑽と解析を進めております。
それら資料は紙ベース(電子版含)で1社あたり100ページ以上。中には製品詳細の書かれた論文を含め500ページ以上に及ぶ会社もあります。
数百ページに及ぶ資料から、その会社の製品を熟知し、70~80年間に及ぶ歴史を1ページに、そして分かりやすくまとめる。
これほど難しい作業は他の同人誌作家の方でも中々ない難執筆でもあるかと思います。
こうやって、そこら中にあるエレベーターを眺めて、ワチャワチャするだけじゃこの先生き残れないなとめいはちは考え、「このエレベーターのメーカー、はたまた機種・技術のルーツは…」とか、時には「このエレベーターのある建物は」とか、もっと広域にエレベーターというものを捉え、そして発信し、エレベーターを好む皆さんの知性向上を目指して活動していきたいと思っております。
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