実写ドラマとアニメの脚本の違い
実写ドラマもアニメも手がける吉田恵里香さんだが「実写の脚本はアニメっぽいって言われるし、アニメの脚本はアニメっぽくないって言われる」ことがあるという。
実写の場合はキャラの立ち方の強さ、アニメの場合はアニメらしからぬリアルな心理描写などが要因として考えられるが、当人としては特に書き方を変えているわけではないそうだ。
「変えてるのはト書きの書き方くらいです。たとえば実写の場合はどれだけ詳しく書いたとしても、撮影の時点で動きは変わりますし、役者の方々に動きを考えてもらう場合もあるのでそんなに動きを指定した書き方にはなりません。『○○と言いながら水を置く』みたいな」
これがアニメになると、絵に描いてもらうためにより詳しく指定をする必要が出てくる。
「同じシーンを書くとして、『○○と言い、震えながら水を置く』とか『○○と言いながら水を置くが、雑に置くので水が揺れている』のようになります。忠実に守ってもらうためというよりは、私がどうキャラクターやシーンをイメージしているかを伝えるためなので、省かれてしまっても構いません」
そもそもアニメ業界では、ここ10年で脚本のト書きが詳しく書かれるようになったという変化があるそうで、「そもそも詳しく書くタイプじゃない」という吉田恵里香さんも、どういう思いでそのセリフを言っているかの補足部分である「()ト書き」(かっことがき)を書き込むことがあるという。
「【ユイナ:「え~!(怯えながら)」】とか【ユイナ:「え~!(本心では言ってない)」】のように、芝居のニュアンスとして絶対に外さないでほしいところは書きます」
細やかにキャラクターたちの心情を描く脚本術の真髄は、そこにあるのかもしれない。
“心のデスノート”から名前を消せない人
様々なジャンルを横断して脚本を書く彼女のスタイルは、ある目的のためだ。
「一年のうちに、脚本を書いたドラマ、アニメが放送されて、映画が公開されて、演劇が上演されて、小説と漫画が出版されるっていう制覇を成し遂げたいんです。一回リーチまでいったんですが、演劇だけできなかったんですよね(笑)」
かつては一つのジャンルに集中しないことに苦言を呈されたこともあるそうで、その頃の怒りや恨みの思いがあるからこそ「全部のジャンルで覇権を取るのが目標」と力強く語る。
「嫌なことを言われたとしても、自分が何かを成し遂げればその記憶は消していけます。でも、いろいろなジャンルで脚本を書くのはやめた方がいいって言われたことを消すためには、もう全部のジャンルで何かを成し遂げるしかない。だからまだまだやり続けないといけないと思いますし、言ってきたその人の名前も心のデスノートから消すことができません(笑)」
脚本家・吉田恵里香の究極目標と最低基準
最後は吉田恵里香さんの目指す作家像についての話で締めくくられた。
「健康でいられるうちは続けたいですし、アニメも実写も小説も書いていきたいです。そのうえで『吉田恵里香が関わってるなら見てみようかな』って思ってもらえるような存在にもなりたい」
すでにそうなりつつもあると思われるが、その先に目指すさらなる目的のため、吉田恵里香は書き続ける。
「本当は作品を見た人たちに『この作品に出会えたおかげで心が軽くなった!』って思ってもらえるのが理想です。でもそう思ってもらえなかったとしても、『この作品に救われはしなかったけど、寄り添おうとしてくれてた努力は認めてやるよ』くらいは、最低でも思ってもらえるところまで全ての作品を持っていかないといけないと思っています」
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18件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:12900)
加害性について話しているのに、「なんのかんの言ってきたやつは自分の心のデスノートから名前を消さないw」とか言ってるのは流石にちょっと
匿名ハッコウくん(ID:12899)
こういうクリエイターの作品外での発言こそがノイズだし、そういう自我はオリジナルでだすべき。作品をお借りしておいて、いらない表現だと削る判断はともかく、ノイズだと発言するのは原作者に対するリスペクトがなさすぎる。そんな意図ではないとしても、言葉選びが下手すぎて表に出てくる事が不快でしかない。一部の大御所もそうだけど自分の思想は売れないオリジナルでやればいい。
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okda76
This screenwriter is truly amazing. He respected the original work, spoke with the original author and staff, and pushed the work to the next level. By eliminating the "sexual appeal" that is so prevalent in Japanese anime and manga, he has strengthened its original appeal and made it appeal to a wider audience. However, we cannot ignore the fact that there are people who try to incite anti-feminist hatred, as is the case with Kurishita Zenko. This only serves to weaken Japanese anime and manga.