「自分に何が出来るんだろう…」と絶望していた私が、VRドキュメンタリー『プロジェクトエイリアン』を作るに至ったワケ。
はじめまして、NHKに入って14年目のディレクター・占部(うらべ)と申します。
自分で言うのもなんですが、これまでマジメに「一癖ある」番組や企画を手がけることの多い人生を送って来ました。
食品ロスの実態を伝えようと、廃棄寸前の食品だけで生活する様子を自撮りしてみたり、現代アメリカ社会の分断を描くにあたり、海外メディアに当時全く出てこなかったHIPHOPアーティストのケンドリック・ラマーにダメもと覚悟でインタビューを敢行したり…。
いま力を入れている番組がこちら、「プロジェクトエイリアン」という最新のVR技術を用いたドキュメンタリー番組です。
ワケありの出演者4名がお互いの外見や素性を隠して、エイリアンのアバターに身を包みVR空間で交流。それぞれ互いに何者かを知っていったとき、相手との交流はどう変化していくのか?社会の“分断”が深まる世の中で人と人とのつながりを考えてみる、「社会実験」番組です。
こうした制作スタイルについて同僚からは「変化球ピッチャー」みたいだと、よく言われます。骨太な調査報道やヒューマンドキュメンタリーといった「直球」勝負ではなく、ちょっとした“仕掛け”や“切り口”に活路を見いだそうとするタイプである、と。
そんな私も元々は「骨太な報道やドキュメンタリーで、世界を1ミリでも変えたい」と考えていたのですが、いったいどうして「左サイドスローの軟投派(!?)」にスタイルが変わっていったのか。葛藤や挫折から始まる、あるディレクターの番組作りの裏側をご紹介できればと思います。
「自分には何が出来るのか」無力感に立ち向かった初任地時代
2011年6月5日、宮城県仙台市の荒浜地区。穏やかな潮風が吹く海辺でスマホを片手に、私は誰に見せるわけでもない写真を撮っていました。
私の最初の勤務地、いわゆる初任地は東日本大震災が発生したばかりの宮城県・仙台放送局でした。生まれ育ちが兵庫県で、祖母が阪神・淡路大震災で被災していたこともあって、何か被災地の役に立ちたいという、ちょっとした“使命感”みたいなものを胸に東北へ向かいます。
「被災地で取材を始める前に、まずは現地を見ないと」と、東京での新人研修を終えたばかりの私は、仙台局に着任直後の隙間時間を見つけて海沿いに向かいました。テレビや新聞越しに被災地の様子を見てきたつもりでしたが、無秩序に転がる自転車やお茶わん、ぬいぐるみ…そこにあった一人一人の暮らしの断片に息が詰まりました。
「部外者の自分がここにいて許されるのだろうか」。ボランティアや取材といった目的もなく、半ば物見遊山で被災地に来ていた自分に気づき、写真を4枚ほど撮って、その場を後にしました。スマホに保存されていた写真を見返すと、いずれも被写体に寄り切れない、ゆるいサイズの写真でした。
こうして始まった私のディレクター人生ですが、自問自答を繰り返す日々でした。目の前で苦しみ悲しむ人たちにどう声をかければいいのか、傷ついた心にどこまで触れていいのか、そして何より、自分の取材や番組制作で、苦しみ悲しむ取材先の毎日を少しでもよいものに出来るのか…。
「被災地が復興しなかったら、俺たちのせいだ」と、尊敬する先輩はよく語っていました。マスメディアとして、報道機関として、自分には何が出来るのかと己に問うたその言葉は今も私の心に深く刺さっています。それだけに、取材力も企画力もまだまだだった当時の私は、無力感を募らせてもいました。
そんな私を気にかけてか、その先輩はあることを教えてくれました。水俣病について広く社会に訴えた作家・石牟礼道子さんの言葉なのですが、水俣では古くから、他人の不幸をわがことのように感じ、ただただもだえ悲しむだけの神様“もだえ神”がいると。それを知ったとき、ただただもだえるしかない姿は、当時の自分自身のようであり、一方で水俣病の患者に終生寄り添い、声を拾い続けた石牟礼さんを思えば、人の声に耳を傾け続けた先にしか到達できないものがあるのではないかと考えていくようになりました。
「強い気持ちだけで甲子園に行けるか」私が“変化球”を覚えた日
そんな私にとって転機となった番組があります。2014年に担当した『ふるさとの記憶』というものです。
建築を学ぶ全国の大学生たちが進める「失われた街」模型復元プロジェクトに密着するもので、津波で失われた街並みを縮尺500分の1の白模型に復元。これを被災地に持ち込み、地元の人たちに思い出を語ってもらいながら、色を塗り、思い出を記した旗を立て、震災前の風景をよみがえらせていく…そのドキュメントを過去の資料映像を交えながら伝えていく、という内容です。
宮城県内の3地域を巡り、思い出話を語る人々の声に耳を傾け続けたのですが、「模型」の持つ力に圧倒されました。ふるさとを愛するバスの運転手さんがやっとの思いで立てたマイホームや、50年連れ添った夫婦がデートに通った映画館、「おてんば娘」と言われながら度胸試しで海に飛び込んだ堤防…。自らの人生の歩みを振り返る人たちの顔も声もとても生き生きしていて、ただインタビューするだけでは得られないような、そんなみずみずしさに心を動かされ、そして、それらが失われた悲しみの深さに心寄せる毎日でした。
こうしたことをまた先輩に話したところ、今度は「甲子園は熱い思いだけでは行けない」と例え始めました。「甲子園に出た球児たちは皆、努力や工夫をしている。熱い思いがあるのは大前提で、そこから何をするのかだ。お前は“被災地のためになりたい”と話すが、これまで努力や工夫をしてきたか?」と。
ガツンと頭を殴られたような衝撃と気づきが自分の中に芽生えたことを覚えています。取材に協力してくれた人のためになるような努力や工夫、多くの人に思いを届けるための努力や工夫を自分はどこまで実践できていたかな…と。
ストレートな取材や番組構成とは異なる、少し“仕掛け”のある番組演出に自分なりの可能性を感じた私は、その後、“変化球ピッチャー”として試行錯誤を続けます(時に先輩から「ガワや体裁に夢中になっても、本質はおろそかにするな」など叱咤を受けることもありました)。
震災10年目に制作した『思い出レシピ』という番組では、視聴者の方々のあの日の記憶を“食”に絡めたエピソードで集め、イラストやアニメにするという“仕掛け”を行いました。
アニメーションや“食”という柔らかさのおかげもあってか、「思い出すのもつらいから、今まで震災の話は避けてきた」という方からもエピソードを寄せてもらうことがあり、こうしたアプローチだからこそ伝えられることがあるのだと強く思いました。
「あなたのためになれれば」NHKだから出来ることを探して
そんな試行錯誤を経て、今、私が担当しているのがVRを用いたドキュメンタリー「プロジェクトエイリアン」という番組です。
VR空間上にさまざまな事情を抱えた4人が集まって、エイリアンのアバターに身を包み、お互いの外見や属性などを隠した状態で交流。だんだんとお互いが何者か、どんな“違い”を持っているかわかっていく…という内容です。
社会の“分断”が進むなか、自分と異なる価値観や考え方の他人とわかり合うことができるのか、というテーマで始めたこの番組。10月の放送で第4弾を迎えたのですが、“人の話に耳を傾けられる”、そんな場になることを意識して、VR空間の設計にもこだわっています。
“分断”というテーマは、私が東北にいたときから感じている「社会課題」の1つでした。社会にはさまざまな分断が横たわっていますが、被災地と全国を見ても“風化”という形で分断がなされていたり、被災地の中でも復興の形を巡ってさまざまな意見のぶつかりが起きていました。
自分と“異なる/相いれない”人の話に耳を傾ける…それがどのようにすれば実現できるのだろうかと考えるなか、別の番組でお世話になった在日中国人2世でアーティストのチョーヒカルさんが、あるアイデアを持ち込んでくれました。それは、人種や国籍を問わずさまざまな人に「エイリアン」のアバターに身を包んでもらい、インタビューをするというもの。アバターを用いれば外見から得られる印象に左右されず、フラットに話を聞くことが出来るのではないか?と言うのです。
とても面白い発想だと共感した私でしたが、一方でストレートなインタビューを超えて、どうすれば今までにないテレビ番組に昇華できるのか…?いまこそ“変化球ピッチャー”としての本領を発揮するときだと想像を膨らませ始めました。そこで思いついたのが、インタビューではなく “人と人との交流”、特に現実社会では交わることのない“異なる/相いれない”人たちの交流に重きを置き、その様子を観察する社会実験的なドキュメンタリーにするのはどうだろうか。これが今の「プロジェクトエイリアン」のタネとなりました。
しかし、現実社会では相いれない人同士が出会っても、交流ではなく議論をぶつけ合う“水かけ論”になることがほとんどです。どうすれば、互いの人生に触れながら、相手の話に耳を傾けられるようになるのか?それを実現するために注目したのが“VR空間”でした。VRであれば自宅から参加することもできるので、心理的安全性も担保でき、相手との交流が苦しくなったら途中で離脱することも出来る。
さらにVR空間は比較的自由にステージを作れる強みがあります。先述の『思い出レシピ』の経験を生かして「ここだったら、自分のことを話してみてもいいかな」と思える優しい空間作りをVRチームと考えたり、ドラマの脚本家やゲームクリエイターにも相談して、アイスブレイクのゲームなど、参加者の没入感を得られる“仕掛け”づくりに工夫を重ねました。
一方で、仕掛けだけに走って“本質”が疎かにならないように、差別問題を専門にする東洋大学の北村英哉教授の力を借りて、番組が逆に分断を助長しないよう細心の注意を払いました(例えば、参加者が普段は隠しているセンシティブな情報を番組が勝手に開示しないよう、自己開示については本人に任せる、など)。
できる限り参加者が「ここに来て話せて良かった」と思えるようにチーム一同で「あんなこといいな、できたらいいな」と前のめりで取り組みましたが、元々VR知識ゼロだった私、収録当日までうまくいくのか不安でいっぱいでした。
しかし出来上がったVR空間で交流してくれた「エイリアン」たちの姿に、私は確かな手ごたえを感じました。
人生の無力感に襲われているゲイの男性や、「完璧な自分」を装い続けようとする在日韓国人の女性、不慮の事故で下半身不随になった後に動画配信などにチャレンジする女性など、現実社会では交流することも無かったであろうさまざまな人が番組に参加してくれました。なかには「現実社会だと、この人は敵か味方か恐れながら話すことが多いけど、エイリアンのアバターをかぶることで、背伸びせず等身大に自分の苦しさや希望を語り合えた」と話してくれた人もいました。
回を追うごとに「自分も出演したい」という方が増え、番組に出演希望の連絡が何十件と届いています。こうしたアプローチだからこそ、気軽に番組を見てくれる人がいて、「自分も話してみたい」と思ってくれたのかなと思うと、誰かのためになれたのだとうれしさを感じます。
さらに何より、この番組を制作していると、実際に出演した人たちから、その後の人生を好転させたと知らせを受けることがよくあります。親に結婚を反対されていたトランスジェンダー男性は家族と改めて話し結婚を決めたり、引きこもりをしていた男性も自分の趣味を活かしてネットショップを開いたり…。他者の話を聞くという行為の尊さ…その人の苦しみの根源を解決できるわけではありませんが、その声に耳を傾け続けるということは、何か自身に還ってくるものがあるのだろうかと考えたりもします。
秋の夜長にふと見た番組が、あなたのためになることを祈りながら、日々番組作りに精進していきたいと思います。
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