世界初!シーラカンス72時間連続観察はなぜ成功したのか 潜水艇カメラマンが明かす深海での撮影秘話
「ガチャン…」
ハッチが閉まった。
高まっていく心拍数。
準備は完璧にした。
今回が初めてでもない。
それでも怖い。
恐怖心が消えることはない。
ただ、未踏の地を探索する興奮。撮影した時の達成感。そして仲間たちとの抱擁はこの上ない喜びだ。NHKでしかやれないこの魅力に引き込まれ、私は光の無い水深200メートルの海底に向かう。
真っ青な世界から真っ暗な世界へ。
皆さんはじめまして、NHKの加倉井です。ドキュメンタリー番組のカメラマンをしていて、特殊な訓練を受けて水中に潜って撮影する事も許可された「潜水班」というチームに所属しています。
2016年入局。メディア技術局コンテンツテクノロジーセンター所属。現在は主にドキュメンタリー番組を撮影する業務に従事。
「NHKスペシャル 闇からの飛翔~ウクライナ国立バレエ~」(24年12月OA)「NHKスペシャル ディープオーシャンⅡ 紅海 世界初!深海の魔境に挑む」(23年7月OA)「ノーナレスペシャル わたしの小学校 ~“新しい日常”1年の物語~」(22年8月OA)などの撮影を担当。
突然ですが、「潜水艇に乗って深海を撮影する」と聞いてどんなイメージを持たれるでしょうか?『格好良い!ワクワクする!楽しそう』とポジティブな感想を持たれる人もいれば、そもそも『NHKのカメラマンがそんなことやっているの?』と思われる人もいるかも知れません。
今回は私が潜水艇の撮影クルーとして参加した、先日放送のNHKスペシャル「ディープオーシャン 幻のシーラカンス王国」の舞台裏から、NHKが世界に誇る「8K深海撮影システム」についてお伝えしたいと思います。
↓ 画像をクリックすると番組をご覧いただけます↓
生きたシーラカンスを探せ!
国際共同制作プロジェクト始動
2024年8月。
私はインドネシア中部に位置するスラウェシ島北部の海にいました。今回撮影を担当したのは「ディープオーシャン」。この番組は2012年に世界で初めて深海で生きたダイオウイカの撮影に成功した取材班が再集結し、南極の海やマリアナ海溝など世界中の未知なる深海の世界を撮影しているNHKの大型特集番組シリーズです。私が参加するのは前作の紅海に続き2回目です。
今回撮影に挑むのは“生きた化石”と呼ばれるシーラカンス。4億年前の太古の海から今まで、その姿をほとんど変えずに生き残っている幻の深海魚と言われていて、シーラカンスという言葉自体は聞いたことがあるという人が多いと思います。
ただ生きたシーラカンスをその目で見たという人は歴史上ほとんどいません。恐竜とともに絶滅したと考えられてきましたが、100年近く前に偶然、南アフリカの漁船の網にかかったことで、「生きた化石」として世界を驚かせました。しかし、ごく限られた海域の深海で暮らしているため観察が難しく、詳しい生態は全くの謎。これまで、断片的な調査は行われてきましたが、何を食べ、どのように子孫を残すのかなど、基本的な暮らしぶりすら何もわかっていないのです。
謎の生態に迫り世界に発信したい…。
ただ日本の近海ではシーラカンスは発見されていません。生息しているとされる海外の海に機材を運び撮影するのは非常にお金がかかります。そこで今回私たちは国際共同制作として番組を企画し、インドネシア政府の特別な許可を得て、シーラカンスの調査を長年続けている「アクアマリンふくしま」の研究者をはじめ、世界の研究者とともに撮影に挑むことにしました。そして撮影するにあたってタッグを組んだのがアメリカの海洋調査船「Ocean Xplorer(オーシャンエクスプローラー)号」です。OceanXは世界中の海を研究している総トン数5400トンの最新鋭の調査で、巨大な母船にはヘリコプターや小型船が搭載されているほか、海洋でサンプルしたものを解析する研究設備も完備されています。
↓「国際共同制作」については詳しく知りたい方はこちら ↓
NHKが誇る「8K深海撮影システム」
この船の中に最新の潜水艇Neptune(ネプチューン)号とNadir(ナディア)号があります。世界で最も厳しい安全基準と言われるアメリカの「ABS安全基準」をクリアし、耐圧性能は水深1000メートル。実に陸上の100倍以上の水圧に耐えながら8時間を超える長時間の調査が可能です。操縦席は厚さ約30センチのアクリルドームに覆われていて、海の中をよく観察できるように340度視界が確保されています。上下左右前後どこにシーラカンスがいても見つけることが出来るというわけです。
そしてNeptune号の前方、○で囲っている部分についているのが8Kカメラです。収録は潜水艇の中で行います。(潜水艇の中の生活はこの記事の後半で詳しくお伝えします)NHKが一から開発しました。8Kの高精細な画質を深海用のカメラで実現するのは難しく、2年の歳月をかけ2021年に完成。前作、ディープオーシャンシリーズの紅海から使用しています。
NHKが開発した8K深海撮影システムの特徴は
収録を潜水艇の中で行う設計にしているため、メディアを交換しながら長時間収録する事が可能なこと
ワイドからアップまで撮影出来る「高倍率ズームレンズ」を搭載していること
カメラを動かすリモコンの操作性が高く直感的に撮影出来ること
などが挙げられます。こうした特徴を備える8K深海撮影システムは世界で唯一無二なものなのです。
調査開始 シーラカンスはどこに
2024年8月11日。
いよいよ大調査の始まりです。8Kでシーラカンスを撮影することができれば史上初、さらに8Kという高精細な画質で映像を記録することで、画像解析の際に生態などまだ分かっていない新しい発見があるかもしれません。期間は2週間。まずは何としてもシーラカンスを見つけなければなりません。
潜水艇に乗り込むのはカメラマンに加えて、パイロットと研究者のあわせて3人。15分おきに母船と安全確認を行いながら潜っていきます。
水深100メートル付近まで潜ると崖のような地形が永遠と続いていて、ちょっとした岩やくぼみが無数にありました。研究者によるとこのような場所にシーラカンスがよくいるとのこと。8時間かけて1つ1つくぼみを見て回りましたが…1日目は見つけることができませんでした。
2日目。
潜水艇で海の中に入ると潮の流れがとても速く、ちょっと離れた岩場を見ようとパイロットにお願いしても、潜水艇はほとんど進みません。5メートル離れた場所に行くのに3~40分もかかってしまう海況でした。崖に近づきすぎると流れに押しつぶされそうな危険な状況であったため、この日の調査は早めに切り上げました。
3日目。
この日は朝から雨で、潜水艇が潜れるかわからない海況でした。OceanXには50人もの乗組員がいるのですが、昨日のこともあって、「もしシーラカンスが見つからなかったらどうしようか…」というどんよりとした空気が流れていました。潜水艇と母船は音波で通信をすることができますが、映像までは確認できません。3人乗りの潜水艇にはディレクターは乗れないので、どこを探すかどんな映像を撮るかなどすべての判断をカメラマンがしなければなりません。雨も弱まり、何とか潜れることに。皆の期待とプレッシャーとを感じながら潜水を開始しました。
捜索を開始して2時間ほど、水深160メートルほどに大きな岩が2つありました。
その岩と岩の間。ちょうど○の部分です。
ほんのわずかな隙間にかすかに揺れているものが…。
魚の尾びれだ。
「あれはシーラカンスじゃないですか!」と思わず叫びました。
人生で初めて見るシーラカンス。幅が一定な2つの光をあてて体長を概算すると、少なくとも1メートルは超える大きさです。魚体には光る白い斑点模様。ゆっくりとくるくると動きつづける胸びれ。そして暗い深海でも良く見ることができそうな大きな丸い目。ずっと見ていたくなるような不思議な魅力を感じながら、夢中になりながら世界初となるシーラカンスの8K撮影を行いました。
その日の調査を終え、海面に浮上し、潜水艇から降りると、シーラカンスの撮影に成功したとお祭り騒ぎ。多くの人に祝福され、まずはシーラカンスを見つけなければいけないというプレッシャーから解放され安堵しました。
潜水艇ってどんな環境?
ここで今回大活躍した潜水艇の生活がどんなものなのかもお伝えしたいと思います。まず操縦席ですが、非常に狭いです。座った位置からはほぼ動けません。
さらに足下のわずかなスペースに8Kカメラで深海を撮影するための記録システムを設置していくので、足も動かせません。
そして膝の上には約10キロあるカメラのコントローラーを置きます。
足の置き場も限られる狭い潜水艇の中で、10キロのコントローラーを膝に乗せ続けながら8時間、340度海の中を見渡して常に気を張り続けながら調査をしていきます。足はどんどん痺れ、立ち上がることもできないので腰も痛いです。言葉にすると短いですが中々大変です。
そんな体力を使う環境に加え、8時間トイレに行けません。潜水艇に乗る前日の夜から、食べるものを調整します。量を減らし、油が少ないものを食べるようにします。そして当日の朝、コーヒーなどのカフェインを控え、朝食もフルーツを少しだけ食べ何度もトイレに行っておきます。
とはいえ8時間飲まず食わず…ということは出来ないので、水筒とランチボックス通称“深海食”を積み込みます。それがこちら。
アメリカンなランチで、毎回サンドイッチにいくつかの果物と固形タイプの栄養補給食が定番です。私が前回、紅海に潜ったときも同じメニューだったのですが、トイレに行きたくなるのが怖くて1口も食べられませんでした。ところが一緒に乗っている潜水艇の百戦錬磨のパイロットはトイレを我慢するなんて当たり前。ランチの時間になると、このランチボックスをぺろりと完食してしまいます。私も今回の撮影でトイレの我慢に慣れていき、ちょっとずつランチを食べられるようになりました。ただ完食は1度もできませんでした。
ここまで記事にお付き合い頂いた皆さん、ありがとうございます。冒頭に書いた「潜水艇に乗って深海を撮影する」という事について、少し具体的なイメージがわいたでしょうか?深海の世界に行くことができる人って限られていて、とても貴重な経験だと思っています。自分自身もその魅力にまさに引き込まれているわけですが、その裏側にはワクワクすることばかりではない現実もあったりします。
シーラカンスの謎に迫れるか 72時間連続観察
シーラカンスを発見した翌日。
ここからが今回の調査の本番、史上初となるシーラカンス72時間連続観察に挑みます。シーラカンスの同じ個体を連続で観察することで、ほとんどわかっていないその暮らしぶりや生態を少しでも解き明かそうという作戦です。潜水艇はバッテリーで動くため1回に潜れる時間は8時間ほど。OceanXに搭載された潜水艇は2台なので8時間×2で16時間、残りの8時間はROVと呼ばれる遠隔操作型の無人潜水機を使います。
潜水艇2艇ROV1台の3台体制で下記のようにシフトを組みました。
シーラカンスは夜行性だと考えられているため、夜間の活発な動きに対応できるよう、夜の2つのシフトは、目視がしやすい有人潜水艇で追跡をしました。私は黄色のNeptune号担当です。
8月14日16時。ついに72時間連続観察ミッションがスタートしました。まずは、1台目の潜水艇が16時から24時まで潜ります。私は学生時代にコンビニエンスストアで夜勤アルバイトをしていた経験を生かして、3日連続の夜勤勤務を担当しました。この時間は、睡眠のタイミングを大きく変えなければいけないのですが、前日の16時まで潜水艇の中にいたので、搭乗開始する0時までの間に急いで睡眠、食事、機材準備などを整えました。
そして日付が変わった15日の0時。潜水艇に乗り込みます。あたりは真っ暗…。海上も暗い中、潜水艇で夜間に潜るのは初めての経験でした。
海の中でNadia号とすれ違い深海に向かいます。
深海に到着し、前日見つけたシーラカンスに再び相まみえます。写真では小さく見えるかもしれませんが、実際には1メートルを軽く超えるほど大きな魚です。さらに剥製の鱗などの分析結果から100年以上生きることが分かっています。こんな大きな体でなぜそこまで長生きすることが出来るのか…。
シーラカンスと正対する時間が始まりました。私はシーラカンスをずっと見ているとだんだんと笑っているように感じていたのですが、皆さんはいかがでしょうか?
そして観察を続けて分かったことがあります。
シーラカンスの動きはとにかくとってもゆっくりなんです。
基本的にはその場所でじっとしています。顔の近くの肉鰭(にくき)と呼ばれるひれをゆっくりくるくる回して、その場にホバリングするように浮いています。海の中では潮の流れが刻一刻と変わっていくのですが、その潮上にむけてゆっくり体を回転させ、流されないように頭を向ける方向転換くらいしかしません。水中で観察を開始して何時間経ってもこの動きしか見られません。
なるほど、とにかく省エネで生活しているのか…。
大きな体で長生きする秘密がかいま見られた気がしました。
ちなみに、8KカメラのRECはこの間ずっと回っている訳ではありません。非常にデータ量の重いものを艇内の狭い空間で行っているため、熱がこもりやすく、長時間撮影を続けると熱暴走を起こしてしまうからです。つまり、この非常にゆっくりでなにも起きないシーラカンスの動きを観察し続け、何かが起こりそうな気配を感じ取って、何かが起こる前にRECボタンを押さなければいけないのです…。
先ほど説明した潜水艇での極限状況の中、シーラカンスが何か特別な動きをしないか8時間ずっと気を張り続けた結果…何も起こらないまま時間が過ぎ去りました。ここで無人潜水機が来て交代です。
水面に上がるとまぶしい太陽に出迎えられました。深海で一晩シーラカンスと過ごしたのだなと実感しました。
私と交代で潜った無人潜水機は有線ケーブルで母船と繋がっていて、映像をリアルタイムで船上監視することができます。しかしシーラカンスはその後8時間ずっとその場に漂っているだけでした…。
72時間連続観察の2日目。
無人潜水機と交代でNadia号が潜ります。そして今回も何も起きないまま16時から24時の8時間が過ぎ去り自分の番がやってきました。また水中でNadia号を交代し観察スタート。
三度目のシーラカンスは、前日と変わらずゆっくり動いているだけ。連続観察を開始してから35時間が経過しましたが、その間捕食も排泄もしません。やっぱり省エネでこんなに動かないのでしょうか。
2日連続の深夜の海の中。ゆっくりゆっくりとひれをくるくる動かすシーラカンス。それをずっと見ているとまるで催眠術のようで強い眠気に襲われます。それでも観察を続けなければいけません…。まさにシーラカンスとの負けられない戦いです。
ついに見つけ出した“シーラカンス王国”
連続観察を開始して39時間がたった朝7時ごろ。ふと違和感を覚えRECボタンを押した直後でした。
シーラカンスが泳ぎだしたのです!
岩と岩の隙間から出てきたシーラカンスはどこに向かうのか…。
興奮しながらも焦らず慎重にそのあとを追跡していきます。15分ほど泳いだ後、アーチ状になっている新しいくぼみに辿り着きました。その窪みを覗いて光を当ててみると…
何匹ものシーラカンスと目が合いました。
ついに群れを見つけることに成功したのです。
驚きました。今までシーラカンスは単独行動をすると考えられていたからです。その後、アーチ形のくぼみを観察していると奥から続々とシーラカンスが顔を出し、最終的にはなんと8匹の個体を確認することが出来ました。8匹も同じ場所にいたということは、もしかしたら集団で生活をしているのかもしれません。これだけでもすごい発見なのですが、なんと72時間観察した間、何も食べず排泄も一切しなかったのです。
今回は直接撮影することはできませんでしたが、こんなにたくさんシーラカンスがいるということは、間違いなくシーラカンスは生殖活動をしているだろうと研究者は言います。4億年前の太古の海から今まで、その姿をほとんど変えずに生き残っているシーラカンス。絶滅せずに生き延びてきた理由が少し見えてきたところで72時間連続観察の挑戦が終わりました。
撮影を振り返って
私が今回のような極限状況でも撮影できたのは仲間がいたからだと思っています。今回の番組では先輩と同期のカメラマンと私の合計3人で撮影に臨みました。インドネシアに行く前に、複雑な8K深海撮影システムを皆で何度も組み上げ、シミュレーションしたほか、OceanXに着いてからも3人で1つ1つ指差し確認をしながらシステムを組み上げました。
潜水艇に乗るカメラマンはみんな同じ潜水班と呼ばれる特殊な訓練を受けたチームのメンバーです。私たちは水中に潜って撮影するときは「バディシステム」といって必ず2人で一緒に潜ります。
訓練を重ね文字通り「同じ釜の飯を食べた仲間」で、会話をすることができない水中でもお互いのアイコンタクトやボディランゲージで意思疎通をすることができます。何よりお互いが命を預けあう関係性なのです。
そして仲間はカメラマンだけではありません。音声担当、編集担当、ディレクター、プロデューサー、コーディネーター、研究者、そしてOceanXの乗組員、たくさんの人が協力しあって今回の調査に挑んでいるのです。
極限状況の中で撮影をすると、時には恐怖を感じ、辛かったりします。そんな時は必ず仲間の顔を思い出して、「自分のためじゃない、仲間のために撮影するんだ」と、心の中でいつも唱えています。
シーラカンスも4億年もの間、姿を変えずに生き延びてきたのは、きっと一人ではなく、仲間がいたからではないだろうか…。そんなことに思いを寄せたロケでした。
次回の潜水班記事は“水中洞窟”について
さて、私が所属するNHKの「潜水班」は、深海以外にもいろいろな場所を撮影しています。現在、他の仲間が執筆しているのは鍾乳洞や地底湖など“水中洞窟”での取材についてです。通常の海での撮影と違うのは「上に行っても空気が無い」ことです。つまり来た道を戻るしかありません。さらに視界の悪さや狭さなど特殊な環境の中、いかに安全に撮影し戻ってくるのか、こちらも非常に面白い内容になると思いますので、是非ご期待ください。


