side:ルーデウス
家庭教師のロキシーが去ってからしばらくした頃。
ルーデウスはここ数日、5歳の誕生日に貰った植物辞典を持って村の散策に出ている。目的は村の内部や、行ける範囲での村周辺の地理の把握だ。
いつもは一人だったが、今日は少し違った。
ルーデウスは振り返り、もう一人の同行者に顔を向けた。
「姉さま。無理だけはしないでくださいね」
「わかってるよー」
「いいですか?絶対ですよ?絶対ですからね?」
「もう!わかってるってばー!ルディは心配性なんだから」
ルーデウスが注意を促すと、同行者である少女……双子の姉、リディスは幼い子供特有の丸みを帯びたほっぺを軽く膨らませた。
リディス・グレイラット。
この世でたった一人の双子の姉だ。
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転生者であり、中身がおっさんのルーデウスと違ってリディスは普通の子供だった。少なくともルーデウスは随分前にそう判断している。
赤ん坊の頃は、ルーデウス程ではないが、リディスもあまり泣かない子だった。とはいえ、それにはきちんと理由がある。
泣くほどの余裕がなかったのだ。
頻繁に咳をするし、一目見て顔色が悪いとわかる時もあった。ルーデウスがハイハイで家中を這いまわっている時も、リディスはほとんど動かずに寝ていることが多かった。
具合が悪くなるたびにゼニスが治癒魔術をかけていたが、またしばらくすると体調を崩す。仕方ないので、ゼニスは勤めている診療所にリディスを背負って行くようになった。
中級の治癒と解毒が使えるゼニスでも治せない。
ロキシーから魔術を学んだ今ならはっきりわかるが、リディスのあれは体質的なものなのだろう。今の状態が正常だからこそ治しようがないのだ。
恐らくは先天性の疾患か。
喘息などが近いように思えるが、前世では医療に携わったことのないルーデウスにははっきりとしたことはわからなかった。この世界特有の病である可能性もある。他人には移らないようだが。
4歳頃に発覚したリディスの神子としての力は『治癒』だったが、これでもリディス自身の体質はどうすることも出来なかった。
あるいは、この力こそが原因なのかもしれない。
最初こそチート能力は羨ましいと思ったが、赤ん坊の頃から苦しみ続けている姉の姿を見れば、そんな嫉妬の感情はすぐに消えてなくなった。
●〇●〇●〇●〇●
そんな儚げ病弱っ娘な姉だが、何も知らない第三者が見ればそうは思わないだろう。性格はゼニスに似て明るく活発だし、物怖じしない所はいっそ男前ですらある。
だが、本当は違うことを、ルーデウスは知っている。いや、たぶんパウロもゼニスも、メイドのリーリャだってわかっているだろう。
あれは、周りを心配させないように明るく振る舞っているだけだ。
実際、3歳ぐらいまではもっと大人しい性格だった。今は母親を真似ているだけだろう。なんとも健気で優しい子である。
美幼女ということでいかがわしい目を向けることもあったが、さすがに今はそういうことはない。そもそも血の繋がった実の姉だし、ルーデウスの体が欲情するようなことはなかった。
……このまま成長していったらどうなるかわからないが。
リディスは体が成長するにつれて体力も増え、自身で治癒魔術を覚えたこともあってか、外出することが出来るようになった。
具合が悪くなる前、少しでも違和感があると自覚した時点で治癒魔術を使うのだ。こうすれば、症状を事前に抑えることが出来る。
それでも、リーリャを含め、家族は皆心配している。
外出する際は必ず家族の誰かと一緒で、何かあったらすぐに帰ることになっていた。
今回はルーデウスが一緒だし、遠出はしない。
ただ、もしもの時は火魔術を空に放って、緊急事態を知らせることになっていた。
とはいえ、リディスは時折咳き込むものの、疲れを見せるようなことはなく、同年代の中では賢い子なので危なげなところもなかった。
むしろ、体力だけならルーデウスと同等かもしれない。
「(そりゃそうか。診療所には歩いて行くようになっていたしな)」
自然と体力がついたのだろう。
思っていたより元気になっていたようで何よりだった。
辞典を見ながら、自生している植物やきのこを観察しているルーデウスの横で、何が楽しいのか鼻歌を歌いながらニコニコと笑っている。可愛い。
誕生日に貰った髪留めで、髪を後ろで束ねた姿はまさに小さなゼニスだ。
でも、笑った顔はパウロの方が近いか。
「(なんかこう……あれだな。授業参観で親に見られているような気分だ。は、恥ずかしい……!)」
ここで逃げたら負けたような気がしたので、意地と根性で耐え切った。
散策は順調だった。
が、途中でアクシデントが発生した。原因は姉弟のどちらでもなかったが。
「魔族は村から出てけー!」
「魔大陸に帰れ!」
「消えろ!」
それはいじめだった。
3人の同年代と思われる少年達が、一人の少年に対して泥玉を投げ付けている。
最近出歩くようになったルーデウスにはどの少年も見覚えのない顔だったが、泥玉を投げ付けている3人の少年達が、前世で自身をいじめた連中と被って見えた。
前世のトラウマを思い出し、一瞬顔を背けたルーデウスだったが……だからこそ反応が遅れてしまった。
「ちょっと!あなたたち何やってるの!」
「な、なんだよお前!」
クソガキ共の前に、一人の少女が立ちはだかっていたのだ。
いい度胸をしている。蹲る少年を庇うように仁王立ちし、まだまだ起伏のない胸を堂々と張ってクソガキ共を睨みつけている。
ていうかリディスである。
いじめの現場を見た瞬間に既に駆け出していたのだろう。
判断が早い!むしろ早すぎる!
「三対一なんて卑怯よ!男だったら正々堂々一対一で勝負しなさい!」
「う、うるせぇ!魔族だからいいんだよ!」
「引っ込んでろよブース!」
ブスはないだろブスは。村一番の美幼女だぞ。
しかし、リディスの言ってることはちょっとおかしいが、少年達の言い分もおかしいのでここは引き分けか。
いや、そもそもいじめは悪いことだし、この勝負は最初からクソガキ共の負けだな。
と、眺めている場合じゃない。
少年達はリディスにも泥玉を投げ付けようとしている。
リディスは睨みつけたまま動かない。
……なぜだ?リディスは初級の攻撃魔術を習得しているし、あんなガキどもを追っ払うくらいわけないはずなのに。
いや、考えるのは後だ。
「やめろー!」
ルーデウスは思考を打ち切り、鞄を放り投げて駆け出した。
●〇●〇●〇●〇●
家への帰り道。
ルーデウスは前をぽてぽて歩くリディスを気にしつつも、今日の出来事を思い返していた。
まず、あのいじめられっ子の名前はシルフィエットという。
髪が緑色だから。凶暴なスペルド族という魔族と同じ髪色だからという理由で、一方的にいじめられていた可哀相な女の子である。
……そう、シルフィエットは少年ではなく少女だった。
髪が短く、体つきや声に性別的な特徴が出にくい年齢だったのも相まって、中性的な美少年だと思い込んでいたのだ。
名乗った際に、シルフィエットの『シルフ』までしか聞き取れなかったのも後押しして、ルーデウスは勘違いしてしまったのである。
しかし、その勘違いはすぐに訂正されることになった。
「あなた、シルフィエットちゃんよね?ロールズさんのところの」
「う、うん………お父さんのこと、知ってるの?」
「もちろん知ってるわ。何度か診療所で話したことあるもの」
なんと、リディスは診療所でシルフィエットの父親と何度か話したことがあったらしい。
娘のシルフィエットのことも聞いており、「会ったらよろしくしてやってほしい」と言われていたそうだ。
とはいえ、あくまでシルフィエットとは今回が初対面のはずだ。どうして一発でわかったのかとルーデウスが質問すると、この村で髪色が緑なのはシルフィエットしかいないのですぐわかった、という答えが返ってきた。
一人しかいないならそりゃあわかって当然だ。
ともあれ、ルーデウスはこっそりと胸をなでおろした。
「(あ、あぶねぇあぶねぇ。危うく男扱いするところだったぜ。サンキューマイシスター!)」
しかし、今回のことで判明したが、村の内情についてはルーデウスよりもリディスの方が詳しいようだ。
今まであまり外に出れなかったリディスがどうして……と一瞬思ったが、よく考えてみれば何も不思議なことではない。
「(この村の診療所は一か所だけだ。子供から大人までみーんなやって来る。前世でもそうだったが、特に年寄り連中はよく喋るだろうし、色々知っててもおかしくないか)」
理由には納得したが、それでもちょっと悔しい。
今後は散策だけでなく、村人達とも積極的に話してみよう。
そんなことを考えていたルーデウスであったが、ふと気になったことがあったのでリディスの背中に声をかけた。
「そういえば姉さま」
「なーにー?」
「あの時、なんで魔術を使わなかったんですか?」
「………」
「姉さま?」
ルーデウスの質問を聞いた瞬間、リディスは立ち止まってしまった。
不思議に思って近づくと、すぐに気づいた。
顔を俯かせ、両手はぎゅっと強く握られている。
肩も震えている。これは……怒っているのか?
泣いている?だめだ、ここからじゃわからん。
突然の事態に、前に周りこもうかどうか悩んで右往左往していると、リディスはぽつりぽつりと話し始めた。
「………怖かったの」
「怖い?」
……あぁ、なるほど。
如何に魔術が使えるとはいえ、リディスは正真正銘5歳の幼女だ。
相手は男の子が3人。特にリーダー格っぽい奴は体格もよかったし、悪意を向けられて怯えて足が竦んでしまったのだろう。
ルーデウスの前世でも似たようなことを経験しているから、気持ちはよくわかった。こういう時どう対応すればいいのかも知ってる。
前世の経験をもとにルーデウスが語ろうとした時、リディスがもう一度口を開いた。
「魔術ってさ。簡単に人を殺せちゃうでしょ?」
「……そう、ですね」
そうだ。魔術は簡単に人を殺せる。
初級の水魔術であるウォーターボールですら、木を一本へし折るような威力が出せるのだ。当たり所が悪ければ死んでもおかしくない。
ましてや小さな子供なら、どこに当たっても軽い怪我では済まないだろう。威力を調節すれば問題ないが。
「だから怖かったの。もしも手加減を間違えて怪我させちゃったら、もしも殺しちゃったらって……そう思ったら、何も出来なくなっちゃった」
そう言って振り向いたリディスの顔は、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「ごめんね。何も出来なくて」
「………」
「情けないよね。私、お姉ちゃんなのに」
怪我させても治癒魔術で治せばいい。
死んでしまったら、神子の力で蘇生させればいいじゃないか。
……そういう話ではないことはわかっている。
しょんぼりと俯くリディスを前にして、ルーデウスはかつてのことを思い出していた。
リディスは治癒は中級、解毒は初級まで習得している。
この二種類は、ルーデウスの助言もあって無詠唱で使えるようになった。
治癒に関してはルーデウスは無詠唱では使えないので、密かに羨ましいと思っている。
ただ、攻撃魔術はあまり覚えられてなかった。
水、土、火、風の4種を初級まで習得したところで辞めてしまい、無詠唱も使えるようにはならなかった。
さすがにルーデウスと同等までは無理でも、頑張ればもっと上に行けたのではないか。途中で辞めるなんて勿体ないと当時は思っていたが、その理由が今わかったかもしれない。
リディスは優しい子だ。
今でこそゼニスの真似をしているが、本来の性格は臆病で、内気で、引っ込み思案な普通の女の子なのである。
人を容易く傷つけ、命を奪えてしまう攻撃魔術は使いたくないのだろう。ルーデウスだって荒事は得意ではないが、リディスの場合は得意不得意以前の問題。そういうことが出来ない性格だ。致命的なまでに相性が悪い。
それでもあの場を動かなかったあたり、人を傷つけるのは怖いが、誰かが傷つくのも好まないのだろう。結果、自分を犠牲にしてしまう。
前世でもいた。どう転んでも損するタイプの性格だ。
………でも、そういう性格は嫌いじゃなかった。
「じゃあ、僕が守りますよ」
「ふぇ?」
「今度同じようなことがあったら、僕が守ります。その代わり、僕が怪我したら姉さまが治してくださいね」
「ルディ……」
「僕たちは姉弟なんですから、足りないところは互いに補っていけばいいんです」
まぁ、持ちつ持たれつというやつだ。
もしも万が一、自分が魔物に襲われたり、事故に遭ったりして重傷を負ったら、リディスの力で治してもらおう。
そんなことをルーデウスが考えているとは露知らず、リディスはいつもと違う、気の抜けた笑みを浮かべながらルーデウスの頭を撫でた。
「ありがとう……やっぱりルディは優しいね」
その後、仲良く手を握って帰宅した二人を、なんとも複雑そうな顔をした父パウロが出迎えた。
パウロが見えた瞬間、リディスは握っていた手を離して元気よく走り出した。
「お父さーん!」
「お?おぉ、リディスか。おかえり」
「ただいまー!あのねあのね!今日は凄いことがあったのよ!ルーデウスがいじめっ子をやっつけたの!」
「なに、いじめっ子……?」
俺が今日あったことを話し終えると、パウロは呆れた顔でため息を吐いた。
「そういうことか……どおりでおかしいと思ったぜ」
「父さま、何かあったんですか?」
「ああ、それがな───」
パウロの言うことを簡潔にすると。
今日の昼下がりに、クソガキのリーダー格、太っちょソマルの母親が怒鳴りこんできたと。
連れて来たソマルの目尻には青い痣が出来ており、母親曰くこの痣はルーデウスが殴ったために出来たもの。痣が残ったらどうしてくれるのなんちゃらかんちゃら~と言って来たらしい。
ここまでは原作通りだな。
そして、この言い分を素直に信じたパウロが、帰って来たルーデウスの言い分を無視して一方的に怒鳴りつけ、手を上げてしまう。
なんやかんや和解するが、パウロは今回の件も含めて父親としての自信をなくしていき、ルーデウスを『今の自分よりもよっぽど優れた天才児』と認識するようになり、これが後々問題になったりならなかったりするんだ。
俺はギスギスした空気の中で暮らしたくないので、パウロが何か言う前に事情をパパっと説明したのだが……その必要はなかったかもしれない。
「───一緒にいたリディスのことが一言も話題に出なかったからな。なんか妙だと思ってたんだ。大方、女の子に言い返されたのが恥ずかしくて、ソマル坊が言わなかったんだろ。男ってのは、子供の頃からプライドが高い生き物だからなぁ」
そういうわけで、最初こそルーデウスを叱ろうと思っていたらしいが、違和感に気づいてからはどう対応しようか今の今まで悩んでいたらしい。
そうこうしている内に俺達が帰宅し、俺が先に事情を説明したので早まらなくてよかったと安心しているようだ。たぶん、俺がいなくてもルーデウスの話を聞いてくれたんじゃないかな。
「とにかく、よくやった。ルーデウスも、ちゃんとお姉ちゃんを守ってくれたんだな。偉いぞ」
「当然ですよ。強さとは、弱い者を守るためにある……ですもんね」
「ははっ。ああ、その通りだ。お前は立派だよ」
パウロがちょっと雑に頭を撫でると、ルーデウスは照れを誤魔化すようにドヤ顔を作った。
前世のこともあってか、謙虚に生きようとしているが承認欲求が強いところもあるからな。誰かに認められたり、褒められるのが嬉しいんだろう。
わかりやすい奴め。
親馬鹿フィルター&前世を知らないパウロやゼニスはともかく、俺にはお前の内心が手に取るようにわかるぞ。
所詮は無職童貞、無様なもんだ……だがこの俺は違う!
社会の荒波で鍛えられた演技力を活かし、死ぬまでダラダラ生きてみせる!
ところで話は変わるが。
ついこの前、弟のルーデウスに恩を売って媚びていこうと決めた俺だったが、この作戦は早々に方針を変えることになった。
だって今5歳だよ?
7歳でルーデウスはボレアス家に行ってしまい、その後は転移事件もあって長らく会えなくなる。俺の予定では、再会した後の時間もそう長くは取れないし、俺もボレアス家に行ってルーデウスと一緒に転移……ってのは無理。魔大陸とか死んでも行きたくない。
そうすると、残りの期間は2年のみ。
特に大きなイベントもないだろうし、恩を売るのはちょっと厳しい。
だから、媚びを売りつつ好感度を稼ぐ方針に切り替えた。
ま、今のルーデウスは家族を大切にするようにしているし、ごく潰しだろうと簡単に切り捨てるようなことはないと思うが……念のためだ。稼げる時に稼ぐ。ていうか稼げるのが今しかない!
悩んだ末、俺は『気丈に振る舞ってるけど本当は弱気で健気な儚い病弱美少女』キャラで行くと決めた。
守りたくなるようなキャラを演じることで、俺を『守る対象』であると強く認識してもらうのだ。
将来的には、ラノア王国のシャリーアに建つグレイラット邸の一室に住み着き、アイシャの世話を受けながらのんびりだらだらぬくぬく生きて、頃合いを見て昇天。これがベストだな。
働かない。結婚もしない。毎日いくらでも寝て良くて、何もせずともご飯が出て来る。可愛い妹メイドがお世話をしてくれる夢のような生活が俺を待っているはずだ!
ボディタッチ多めのスキンシップしてやるから!
シルフィとの仲も取り持ってやる!
最初から女の子だとわかってたらどう接していいかわからないだろ?
ノルンにもお前がいい奴だって刷り込んでやる!
俺がいる限り、家族仲がギスギスすることは多分ないぞ!多分な!
だから頼むぞルーデウス!
死んでも俺を守れ!養え!
あ、いや、死ぬのは駄目だ。俺が困る。
俺が死ぬまで死ぬな!フリじゃないからな!
……え、大丈夫だよね?
あいつ主人公だし。最後まで生存するよね?
どうだったっけなぁ、龍神との最終決戦には勝利するんだよな?あれ、龍神には負けるんだっけ?じゃあ最後は誰と戦うんだ?
ヒトガミか?でも奴はルーデウスの子供達が倒すとかなんとか……んん?
い、いかん。不安になって来た。
うろ覚えの原作知識では安心出来ん。
何か対策を講じなければ……!!