───ふと、目が覚めた。
「………」
どうやら、少し眠ってしまっていたらしい。
最近はなんだか眠気が酷い。気を抜いたら一日中眠ってしまいそうだ。
眠気を振り払うように首を振って、再び目の前の光景を眺める作業に戻る。
それは、ごく平凡な家庭の様子だった。
弟と父はなにやら話し込んでいて、母と義母、二人の妹は料理を作っている。
もうすぐ弟の奥さん達……すなわち、義理の妹達もやって来るだろう。随分と賑やかになったものだ。
今は……あぁ、そうだ。夕食の時間だ。
料理を手伝おうとしたのに、座っていなさいと言われて渋々ここで皆の様子を眺めている。
今まで色々あった。
無茶もしたし、これから先のことがちょっと怖いけど………まぁ、何とかなるだろう。きっと。
父は生きて帰って来てくれた。
母はまだ喋るのが難しいけど、それもすぐによくなるはずだ。
もう自分に出来ることは何もない。
あとは弟に……皆に任せよう。
………それにしても、本当に眠い。
このまま寝たら気持ちいいだろうなぁ、という気持ちと、せめてご飯食べた後に寝たい、という気持ちがせめぎ合っている。
うぅむ……だめだ。寝よう。
寝たい時に寝て、食べたい時に食べる。
これこそが健康の秘訣だとどこかで聞いたことがあるし。
そういうわけで、眠気に抗うことを止め、ゆっくり目を閉じた。
瞼の隙間から見えるぼんやりとした視界に、誰かがこちらに近づいて来るのが見えた気がした。
誰だろう?
金髪だったから、たぶん母か、妹だろうか。
大丈夫大丈夫。
少し……少しだけだ……すぐに起きる。
あとで………起こ……し、て……───
………………………………。
それは、俺が4歳の頃だった。
家の中庭で同じく4歳の双子の弟が、父との剣術の訓練中に怪我をした。
「ルディー!大丈夫?」
膝を多少擦りむいた程度だったが、俺は、さも「弟が心配です」と言った風な顔で駆け寄り、ついこの前習得した治癒魔術で治してあげようとした。
弟も治癒魔術は使えるはずだが、美幼女にお触りしてもらえることが嬉しかったのか、一瞬だけ気色悪い笑顔を浮かべていた。
見られてないと思ってるだろうけど、俺はバッチリ見てたからな。
前々から思ってたけど、やっぱこいつ中身おっさんだろ。俺と同じか?それにしては態度があからさまな時があるけど。
ま、母親に似て俺は可愛いからね。気持ちはわかるよ。
『ぼくのかんがえたさいきょうにかわいいようじょ』の演技は、今のところ誰にも見破られていないようだ。
「ありがとうございます。姉さま」
大人しく膝を差し出して来たので、俺は膝に手を当て、魔術の家庭教師から教わった初級の治癒魔術を唱えた。
「神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者のに再び立ち上がる力を与えん『ヒーリング』」
自分自身で何度か試しており、今まで一度も失敗したことはない。
初級とはいえ、それなりの負傷も治せる魔術だ。
こんな擦り傷を治すなんて楽勝楽勝。
この時も何も問題ないはずだった。
体中から血液のようなもの……魔力が手に集まって行き、手から暖かな光が放たれる。
すると、血が少しだけ滲んでいた膝は、あっという間に元通りに治った。
ここまでは良かった。ここまでは。
「……姉さま?もう治りましたから、やめていいんですよ?」
「う、うん」
あれ?
魔術の行使が終わったのに、手が光ったままだ。
中身おっさん疑惑のある弟のルディ……ルーデウスが不思議そうに見つめてくる。
魔力は消費されていない。魔術の行使は間違いなく終わっている。
にもかかわらず、手が光ったまま。いや、それどころかどんどん光が大きくなっていく。
何の光!?
いやマジで何の光だよ。チェレンコフ光かな?
わぁ、きれいな光だなぁ……じゃねぇ!
光が大きくなるにつれて、俺の中で何かが……何かがガリガリと削られているような気がした。決して失ってはいけない大事なものが。
───ヤバいヤバいヤバいヤバい!!
背筋がゾッとしたが、しかし自分ではどうすることも出来ない。
むしろ、制御しようと力を込めるほど光が強くなっていく。
様子を見守っていた他の家族や家庭教師が慌てたように駆け寄って来るのが見えた。
しかし、無情にも光はあっという間に膨れ上がり………俺の意識はそこで途絶えた。
●〇●〇●〇●〇●
知らないてんじょ……いや、見慣れた天井だ。
どうやら死んではいないらしい。体はだるいが。
今までも熱を出して寝込むことは何度かあったが、さすがに意識を失うのは初めてである。だるい。ちょうだるい。う、動きたくねぇ。
しかし、まずは状況を確認せねばなるまい。
よっこいしょ、と上体を起こして部屋を見渡す。
すると、俺が寝ているベッドの隣で、一人の女性が机に突っ伏したままスヤスヤと寝息を立てているのが目に入った。
母のゼニスだ。
起こそうか迷ったが、先に自身の体を確認することにした。
………うん、手も足もある。指は5本。そして幼女らしいぷにぷにボディ。よくゼニスに弄られているモチモチほっぺも健在。目も見えてるし匂いもわかる。触った感触もあるし、五感は多分大丈夫だろう。
「あ、あー」
少しかすれているが、声も出る。問題ないな、ヨシ!
俺はゼニスを起こそうとして、ひとまずベッドから降りようとする。
が、上手く降りれずにドタっと落ちてしまった。立てないレベルで体力が落ちているのか?どのくらい気を失ってたんだ俺は。
「リディス……?」
起き上がろうと思ってベッドにしがみついて四苦八苦していると、後ろから声が聞こえた。
反射的に振り向いた結果、再び崩れ落ちそうになった俺を、優しく抱き留めてくれのはゼニスだった。
「大丈夫!?痛いところはない!?私が誰かわかる!?」
なんかすげぇ慌てた様子だ。
チラっと顔を見てびっくりした。
目の下の隈は酷いし髪もぼさぼさ。
泣いたのか、目の周りは赤く腫れていて美人が台無し状態だ。
……いや、これはこれでアリだな。
なんか陰のある感じ。未亡人っぽいというか。
よく見ると服も乱れていて、大きな北半球がガッツリ見えている。
うちの母親エロすぎでしょ。
しかし……さて、どうしたものか。
発狂、というほどではないが、ゼニスは明らかに平静を失って取り乱している。落ち着かせるのは骨が折れそうだ。
どうしようかと考えている内に、ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえて来た。
そして、勢いよくドアが開かれた。
ていうか勢いが強すぎてドアが外れた。腕力でこんなことが出来るのは、うちでは父くらいしかいないだろう。
案の定、部屋に入って来たのは茶髪のガタイのいい男性……父のパウロだった。
あと、家庭教師のロキシー先生、弟のルーデウス、メイドのリーリャも入って来た。つまりは全員集合だな。
ゼニスの声が聞こえたんだろう。
あるいは、俺がベッドから落ちた音が聞こえたか。どっちでもいいか。
入って来た皆に言われてゼニスは落ち着きを取り戻した。
俺の体調を確認するからと、パウロとルーデウスが部屋の外に追い出され、リーリャとロキシー先生が見守る中、治癒魔術師のゼニスによる診察が始まった。
と言っても、体がだるいこと以外は特に何もない。
それよりも腹が減った。
かつてこれほど空腹を感じたことがあっただろうか。いや、ない。
「お母さん」
「なに?」
「お腹すいた」
だからご飯ちょーだい♡
俺が正直に欲求を告げると、すぐさまリーリャが下に降りて行った。
何か食い物を持って来てくれるんだろう。肉が食いたいな。
待っている間、ゼニスが寝汗を拭いてくれている途中に、俺の腹から大きな音が鳴った。
別に恥ずかしくはないが、女の子としては照れた方が良いだろう。
「えへへ……」
どうだ、見ろ、このほにゃっとした笑顔を。
可愛いだろう。頭を撫でてもいいんだぞ。
俺の笑顔で気が緩んだのか、ゼニスは気が抜けたように、それはもう長く、深いため息をついた。
「はぁ───まったくもう。でも、もう大丈夫みたいね。安心したわ……」
その時、ロキシー先生が無言で部屋を出ようとする。
しかし、ゼニスは俺の視線で気が付いたのだろう。すぐにロキシー先生の方へ向き直った。
「ありがとうロキシーちゃん。手伝って貰って本当に助かったわ。家庭教師の仕事じゃないのに」
「いえ、気にしないでください。私も色々お世話になってますし、こういうのは助け合いが大事ですから」
ロキシー先生は俺の顔をチラリと見て、衝撃的な言葉を言い放った。
「一週間も寝たきりだったんです。ゆっくり休んでくださいね」と。
では失礼します───そう言ってロキシー先生は今度こそ部屋を出て行った。
………一週間?マジで?
●〇●〇●〇●〇●
俺が目を覚ましてから一か月が経った。
今ではすっかり体調も良くなり……と言っても、倒れる前に戻っただけだ。相変わらず貧弱で病弱なクソザコボディであることに変わりはない。悲しい。
さて、あれから色々あったが、とりあえず簡潔に言おう。
どうやら俺は神子だったらしい。
神子っていうのは、なんか不思議な特殊能力を持った人のことだ。
先天的、あるいは後天的に魔力の異常によって特殊能力……呪いを獲得し、その呪いが人間にとって利益のあるものなら神子、そうでないなら呪子と呼ばれるらしい。本質的にはどっちも同じだそうだ。
俺の力は、ひとまずは強力な『治癒』ということになった。
あの時、俺の手から広がった光はあの場にいた全員を飲み込んだ。その結果何が起きたのか。確実に判明したことから言おうか。
まず、パウロの古傷が治った。冒険者時代の名誉の勲章として密かな自慢だったらしいが、今のパウロの体には目で見てわかる傷痕は残っていない。
次に、リーリャの足が治った。リーリャはかつてアスラ後宮の近衛侍女だったのだが、王女様を狙う暗殺者と戦った際に足に毒を受け、その後遺症で全力で走ったりといった激しい運動が出来なくなっていた。それが治ったのだ。
他の3人は大きな変化なし。細かな傷痕がなくなってるくらい。
だから、恐らく、たぶん、治癒なのだろうということになった。
あれがきっかけだったのかはわからないが、今の俺は自由自在に『治癒』を使うことが出来る。初日は暴走しただけっぽい。
ロキシー先生にも協力してもらい、今後再び暴走しないように制御訓練を行い、何が出来て、何が出来ないのかの実験も行った。
ロキシー先生とゼニス曰く、俺の『治癒』は治癒魔術よりも強力なものらしい。
魔力の代わりに体力を消費するが、燃費は良い。治せる範囲も非常に広く、最大出力はまだやったことがないが、骨折はもちろん、欠損すらも鼻歌交じりに治せてしまう。
死んで間もないなら蘇生も出来ることが判明した。
たとえミンチになっていようと再生出来る。さすがに時間が経ったら無理だが。数分以内ならギリギリOKと言ったところか。
この辺は家畜や害獣の鼠とかで試させてもらった。
ていうかこれ『治癒』じゃないよ。
クレイジー〇イヤモンドとか大嘘〇きとか双天〇盾みたいなアレだよ。概念とか時間とか操ってるよこれ。俺チート能力持ってたんだな。
ただ、もちろん欠点もある。
毒や病気はなって間もないならすぐに治せるが、病に冒されてある程度時間が経ったものは治すのに大きな負担と時間がかかる。あれかな、巻き戻す時間が長いときついのかな。
俺があの時倒れたのは、リーリャの後遺症やパウロの古傷を治したせいか。
でも、あれだな。俺の体が貧弱なのも影響してると思う。
俺が人族じゃなくて、龍族とか魔族なら違ったんだろうけど。本来の力の一割も発揮出来てない気がする。たぶん、本来の力を発揮すればさっき言ったチート能力達と同等のことが出来るんじゃないだろうか。
もったいねー!……と思ったけど、あんまり力を持ちすぎるのも問題だろう。
特にこの『世界』では。
俺が今いるこの世界は六面世界の内、人の世界なわけだが。
『世界』ってのはそういう意味じゃない。
この『世界』は、とある創作物、作品の中にある世界だって意味だ。
この世界に転生してから早4年。
前世の記憶はちょいちょい曖昧なところがあったが、能力が暴走したショックのせいか、多くのことを思い出せた。
そして、転生してから抱いていた違和感の正体がわかった。
以前から、どうにも既視感があるというか、何もかもがどっかで聞いたような見たような読んだような……そんな違和感があったのだ。
この世界は、とある一人の34歳住所不定無職の男(童貞)が、異世界に転生して本気で人生をやり直そうとする物語の世界。
某小説投稿サイトで人気を博し、書籍化、ゲーム化、アニメ化等でさらに知名度を広げていった人気作品。
「無職……転生……!?」
………チェンジで!
俺こんな世界嫌だよ!全然嬉しくねぇ!
●〇●〇●〇●〇●
ある日の夜。
俺はベッドの中で毛布にくるまりながら考えごとをしていた。
これより今後の方針について緊急会議を始める!
会議場所はベッドの中!開始時間は今!人数は俺一人だ!
嘘だ。もう会議をする必要はない。
なぜなら、結論はもう出ているからだ。
俺は何もしない。
病弱っ娘として、死ぬまで家族に寄生して生きていく。
俺は戦わん!絶対に戦わんぞ!絶対だからな!
………はい。
我ながらクズな考えだが、しかし言い訳を聞いてほしい。
この野蛮で物騒で糞みたいな世界で生きていくには、俺はあまりにも弱すぎるのだ。
今更だが自己紹介しよう。
俺の名は『リディス・グレイラット』。
原作主人公のルーデウス・グレイラットの双子の姉で、無職転生が作品として存在する世界から来た転生者だ。
前世は男なので、いわゆる性転換、ts転生ってやつだな。
まぁその辺はどうでもいいよ。今は重要なことじゃない。
俺は戦闘能力皆無なんだよ。
ルーデウスと同じく闘気を纏うことが出来ない。それに加えて生まれた時から体が弱くて病弱。しょっちゅう熱を出してはゼニスの治癒魔術で治してもらっていた。が、魔術では根本的な治療は出来ないと診断されていた。
これ能力のせいでしょ。でしょ!?
器が貧弱なのに負荷がデカすぎるんだよ!
何て言うかな。反動の強い拳銃を子供が撃ってるというか。軽自動車に戦車砲、駆逐艦に戦艦の主砲を積んでるというか。
しかも最初に能力が暴走した時に感じたけどさ、もしかして寿命削るタイプのアレじゃない?俺にはわかるんだよ!なんとなくで能力が使えるように、俺にはわかる!
この能力には『絶対に寿命を削る!』という凄味がある!
何を言ってるのかわからないと思うが、俺にもわからない!
魔術師としてなら戦えるように思えるが、原作主人公のルーデウスは闘気を纏えなくて相当苦労してたからな。
この貧弱ボディではルーデウスのように鍛えることも出来ないし、鍛えたとしても女の体だ。闘気なしの身体能力なんてたかが知れてる。おっと、別に差別ではないぞ。性差だ性差。
それに、俺は根本的にルーデウスとは違う。
前世ではブラック企業の社畜だったとはいえ、そこそこ満足できる人生を送った。結婚こそしなかったけど、異世界転生してまでもう一度人生を始めようとは思えないんだよ。
もう頑張りたくない。働きたくない。
剣持ってチャンバラとか魔術で殺し合いとか嫌だよ俺。
痛いのも苦しいのもお断りだ。俺は女の子だぞ!
……そう、今は女の子。
もしも万が一、よからぬ輩に捕まったりして、R18も真っ青なあんなことやこんなことをされたりしたら………。
男とセッ〇スとか地獄だよ!
無理無理無理!産めない!
い、嫌じゃ嫌じゃ!人の子など孕みto night!
もちろん人族以外もNGだぞ!
魔物とかの完全な化物は論外!
だから俺は決めた。家族に寄生して生きて行こう。
徹底的に守られる立場の人間でいよう、と。
『無職転生』という作品についての知識は多くない。
アニメをちょこっと見てから、結末が気になって原作のweb小説を流し読みした程度だ。
なんやかんやあってハッピーエンドだったことは覚えてる。
え、ハッピーエンドだよね?少なくとも主人公の周りの主要人物は大体生存してたはず。
ということで、ルーデウスの近くにいれば身の安全は保障されたも同然。
それにほら、なんか龍神とやらがタイムリープしてるとか、運命力がどうとかあったじゃん。下手に介入したら大変なことになりそうで怖いし、ここは何もしないのが一番だ。俺は何も間違ってないよ。ね?
とはいえ、ヨボヨボになるまで面倒を見てもらおうとは思ってない。
ていうかそこまで生きる気力がない。どうせなら若いまま死にたい。
俺って幼少期のゼニスにそっくりらしいし?
将来は母親似の金髪巨乳美人になることは確定。
それに、今の俺には神子としての力がある。
この力は寿命を削る。ということはつまり、俺はある程度自身が死ぬ時期を選べるということだ。
よし、そうと決まれば媚びよう。
ルーデウスに全力で媚びて、恩を売るのだ。
あいつの前世は完全無欠のクズだが、転生してルーデウスとなった今はかなりまともだ。いや、まともになろうと必死に努力している感じか。
とにかく、ルーデウスに媚びて媚びて媚びまくって、養って守ってもらうのだ。
そんで、数年くらいぬくぬくとした生活をしてから死のう。
ルーデウスだけじゃないな。グレイラット家、つまりはうちの家族にも俺を庇護する対象として認識してもらう。
次点でルーデウスの嫁。ロキシー先生はもうすぐいなくなるからちょっと厳しいが、4歳の現時点でも結構仲良くなれているから問題ない。
次にシルフィエット。彼女と出会うのはロキシー先生がいなくなった後だし、俺はボレアス家に行くことはないだろうから、ルーデウスがいない間に親交を深めることが出来る。一番容易いな。
エリスは……怖いからいいや。
嫁はとりあえず二人と仲良くなれればいいか。他には───。
こうして、『弟に寄生して楽して生きよう大作戦』が始まったのである。
………自分で言っといてアレだけど、かなり最低な作戦だなこれ。