第7回オルツ元副社長、初の告白「弟の暴走止められず」「ただただ悲しい」

聞き手・藤田知也

 大規模な不正会計が判明し、上場から約10カ月で倒産したAI開発のオルツ(東京都港区)。創業社長だった米倉千貴氏(48)の兄で、2022年8月まで副社長を務めた米倉豪志氏(49)が、朝日新聞のインタビューに応じた。カナダに居住する豪志氏は「話す機会を待っていた」と切り出し、弟と過ごした日々を2時間余りにわたって振り返った。

 ――オルツで発覚した大規模な不正会計をどう受け止めましたか。

 「僕はカナダに住んでいるので、最初は(今年4月25日の)朝、起きたらネット上が大騒ぎになっていて驚いた。そのあと怒りが湧いてきた。とても強く。調査報告書を読み終えたあとは、ただただ悲しい。命を削る思いで研究開発をしていた裏で、こんなことが起きていたのかと」

 ――不正を知らなかったのですか。

 「僕自身は不正に関与せず、知ることもなかった。それは最後、僕がオルツを辞めた経緯からも明らかだ」

オルツの不正会計問題の発覚後、元副社長の米倉豪志氏が初めてメディアの取材にこたえました。証言内容を3回にわたって紹介します。

兄は音楽、弟は絵画

 ――弟の千貴さんとはどんな関係でしたか。

 「思考が違っていて、相互補完的な関係にあった。僕は作ることだけに興味がある。弟は社会の欲望を敏感に嗅ぎ取り、それにこたえる素材をととのえて見せる才能がある。表面的には起業して事業を拡大することに興味があり、そういうところが投資家から評価されたと思う」

 「ただね、弟も本当は、ものを作る行為自体に喜びを感じる人間だと思う。子どもの頃から見てきた僕にはそう見える」

 ――2人はどんな少年時代でしたか。

 「僕は中高とブラスバンド部。先端の現代音楽が好きで、作曲にのめり込んだ。弟は絵を習って真剣に勉強していた。デッサンも油絵も、デジタルで描く漫画もすごくうまかった。本当は絵を描いているときが幸せなのだろうと思う。ただ、彼はどうしても社会と結びつける傾向がある」

 ――どういうことですか。

 「弟は(画家の)ジャクソン・ポロックをはじめ、米国のモダニズム以降の現代アートが好きだった。その世界で芸術家がいかに評価され、スターに上り詰めるかに関心があった。音楽をつくるだけが目的の僕とは違う傾向があった」

 ――コンピューターやプログラミングにものめり込んでいましたか。

 「弟はどうだったかな。僕ものめり込むほどではなかった。子どもの頃にMSXというパソコンを買って、雑誌に出ていたプログラミングコードを打ち込み、できたゲームを遊ぶ程度だった」

「顔を見れば売れそうかわかる」

 ――千貴さんは愛知大在学中に携帯電話の販売アルバイトをしていました。

 「僕も一緒にバイトをした。弟は才能があったようで、『客の顔を見れば売れそうかわかる』と言い、名古屋ナンバーワンのセールスとも言われた。僕は全然売れず、先に辞めてコンピューターの仕事を始めた」

 ――どんな仕事ですか。

 「名古屋の小さな機械商社にバイトとして入り、そこで社長が『1年は何をしてもいいよ』と。プログラミングの本を読みあさり、1年くらいでデータ変換技術の特許を取った。それを社長が買ってくれて、『お前は会社勤めより自分で会社をつくれ』と言ってくれた」

 ――千貴さんが名古屋市新興企業で働き始める頃ですね。

 「携帯販売も手がける新興企業の社長が(00年に)IT部門を立ち上げ、弟が手を挙げた。『兄貴が面白いものを作っている』と売り込み、一緒に働くことに。僕はその頃にデータ圧縮技術を開発していた」

 ――その技術で携帯料金を減らすサービスが始まったそうですね。

 「当時は、インターネットの世界なら何でも面白がってもらえる時代だった。その頃から僕は『作る』ばかりだった」

 ――千貴さんは違ったのですか。

 「弟はその頃から『マネタイズ』と言うようになった。流行している着メロのビジネスモデルを調べ、広告も集めて事業化していく。無駄なく作るセンスがあって、本当にすごいと思っていた」

 ――豪志さんの技術をうまく利用したのでしょうか。

 「彼にとって僕の技術が不可欠というわけではなかった。僕が作るものは特殊なものが多かったし、使えるものは使う、ビジネスに役立つなら使う、というスタンスだろう」

暴走のストッパー役

 ――千貴さんは04年ごろに独立します。その後も一緒に働いたのですか。

 「僕はカナダのバンクーバーに住み始めた。弟は名古屋で起業して、業務委託のゲームプロデューサーとしてヒット作をばんばん出していた。そのまま働くほうが幸せだったかもしれない。東京に出てから違う価値観を持ったようで、『人が変わった』と言う人もいる」

 ――千貴さんは過去のインタビューで、27歳のときに半年ほどバンクーバーに滞在したと語っています。

 「人生を見つめ直す機会になれば、と誘った覚えがある。彼は英語学校に通い、英語でウケが取れるかどうかで一喜一憂していた。最後は『海外は合わない』と言って帰国した」

 ――千貴さんは06年に電子書籍などを手がける未来少年を東京で設立し、14年に手放しています。

 「僕が知っているのは未来少年の末期。弟から『手伝ってほしい』と言われて東京に行ったら、ひどい状態だった。弟に長時間、言葉で詰められ、社員が傷ついて辞めていくのを見た。僕は『やめろ』と止めに入った。(労働環境の悪さは)ネットの転職支援サイトにも書かれている」

 ――豪志さんはそこでどんな仕事をしたのでしょう。

 「収益はあっても持続性がないので、組織を整理した。彼ももう無理だと分かって、助けを求めたのではないかな」

 ――困ったときに頼られる存在だったのですか。

 「僕は弟が暴走したときのストッパー役だった。弟にとっては僕がいるとやりづらい面もあるが、当てにしていたところもあったと思う。(最終的に)僕がいなくなり、本来は重要なストッパー役を果たせなくなったことが、オルツで不正が拡大した原因の一つだと思っている」

    ◇

 米倉豪志(よねくら・ごうし) 1975年、愛知県生まれ。2001年12月にメディアドゥ取締役。13年11月に未来少年CTO。オルツでは14年11月にCTO、16年2月から取締役、17年11月から副社長。22年8月に退職し、同年10月にメタリアルの子会社に入り、23年5月からメタリアル取締役CTO。

インタビューの続きは18日(木)に配信予定です。情報提供やご意見がありましたら、keizai@asahi.comメールするへお寄せください。

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この記事を書いた人
藤田知也
経済部
専門・関心分野
金融、事件、郵政、経済政策