NHKスペシャル「Last Days 坂本龍一 最期の日々」を巡る制作の裏側
音楽家、坂本龍一さん。彼の最晩年の日記には「死刑宣告だ」「安楽死を選ぶか」という闘病生活の苦悩や、「音楽だけが正気を保つ唯一の方法かもしれない」といった深く思考する言葉や本音が刻まれていました。
この日記を軸に生まれたドキュメンタリー「Last Days 坂本龍一 最期の日々」では、坂本さんが自然に返るように亡くなるまでの日々を描いています。ヨーロッパで最も権威ある国際コンクールの一つ「ローズ・ドール賞」をNHKの番組が1970年の受賞から54年ぶりに受賞する快挙を成し遂げました。本作は、なぜ世界に認められるコンテンツとなったのでしょうか。また世界的な文化人の死後、遺族とともにドキュメンタリーをつくることの葛藤、あるいは、その向き合い方とは。同番組プロデューサー、ディレクター、音響効果担当の3名に話を聞きました。
松宮健一 制作統括(プロデューサー) 1995年入局
大森健生 ディレクター 2016年入局
宝珠山陽太 音響効果 2016年入局
【ローズ・ドールについて】テレビ・ラジオ番組におけるエンターテインメント性、卓越性、独創性、創造性を称え、表彰する国際コンクール。1961年に発足。NHKスペシャルが受賞を果たした2024年は、30を越える国と地域から700以上のエントリー作品が寄せられました。本作はアート部門の最優秀作品として「ローズ・ドール(金のバラ賞)」を受賞。
亡き人のかつての面影を、どう拾い集めるか
———イントロダクションを挟んで2019年、ニューヨークにある坂本龍一さんの自宅の庭から本章は始まります。これらの映像は、いずれドキュメンタリーにまとめることを念頭に、早くから計画的に撮っていたのですか。
大森 本作の坂本さんの晩年の姿を捉えた映像の大半は、ご遺族が撮影したプライベートフィルムでして、制作の趣旨にご理解いただき、今回特別に貴重な映像をご提供いただきました。
———「教授」の愛称で世界中の人々から親しまれた影響力の大きさから、逝去の公表後しばらくの間、世間では過熱した弔い報道が続きました。その渦中に、ドキュメンタリー制作の許可、あるいは資料提供を承諾いただくことは容易ではなかったのでは。
大森 もともとのきっかけは2017年の「クローズアップ現代+」で生前の坂本さんにインタビューしていたことです。そのチームとご遺族の関係から今回の話につながりました。私がご遺族に初めてお会いした際にはまず、「現在の報道とは違う形で、彼が生きた姿を伝えたい」とお伝えしました。私自身、連日の報道番組で、坂本龍一さんを深く知るという第三者が、次々にコメントする状況に何となく違和感を感じていたんです。そのほかにも率直に自分が感じていたことをざっくばらんにお話ししたかと思います。その後、2度目にご遺族にお会いした際、「彼が亡くなるまでの日記がある」と伝えられました。
音楽と同じように「日記」という媒体は、古今東西普遍的なテーマです。亡くなる直前までこれほどの思いを書き残しているケースはごくまれで、どうにかこの日記を読んだときの感動を形にしたいと考え、ご遺族には、「音・映像・言語を駆使できるテレビメディアの特性を生かし、多層的に記録に残すことで、次世代の人々が再び坂本さんにアクセスするきっかけになるような作品を目指したい」とお伝えしました。それでも資料提供については、長らく悩まれていましたが、ご遺族との対話を重ねて8か月、本作の核となる日記を託していただきました。
松宮 日記の存在は大きかったです。日記を通じて、死に向かう坂本さんの心持ちが少しだけ分かったというか、死に直面し、より一層、思想や思考を深めていったのではないかと受け止めました。一般的な終末期には、絶望、否定があっての受容、そして死を迎えるものです。しかし坂本さんの場合、ある段階から「誰かに何かを残したい」「誰かのために燃え尽きたい」と、気持ちに変化が生まれる。その変化が、ありのままに日記に残されていて。
———余命半年と言われたところから、坂本さんは、ぐっと持ちこたえられましたね。
大森 余命宣告が2020年の12月、亡くなったのが2023年の3月28日。3年近くも先行きの見えない病と闘われました。39度から40度の高熱が長期間、断続的に続くこともあったようです。これほど苦しい闘病の中でも心が折れなかったのは、ご本人の生きたいと思うパワーももちろんあると思いますが、それ以上に病院の先生方やご家族など周囲のサポートが非常に大きかったことが、日記の端々から感じられました。
松宮 ご本人にお会いしたことがないので、あくまでも日記を基に想定で感情や思いをなぞる作業に徹しましたが、下手に感動的につくりあげるのは違う、と強く感じていました。確かに感動的ではありますが、日記に記された事実そのものがすごい。だからこそドキュメンタリーの構成においても、コメントであおることはせず、過度な音楽の演出はしないと決めました。
大森 番組の大方針としても「日記の言葉と音楽だけでつくりきる」と掲げ、チーム全体に共有しました。そのうえで番組に関わる画やトーンに関しては、個別に詰めた次第です。例えばカメラマンには、「制作者の意図や情緒のようなものを、できるかぎり介さないよう、なるべく淡々とした映像を目指したい」と相談し、またデザイナーチームには、「華美な演出はせず抑制的なトーンで、素材そのものに迷惑をかけないトータルデザインを目指そう」と伝えました。「時間の経過を感じさせる仕掛け」「時代が移り変わっても古びないフォント選定」などを判断の軸に、何度もデザインの提案、検証をしてもらいました。
松宮 総じて、愚直にやりました。無駄を省く。できるだけ視聴者と近い形でしっかり構築する。評論家をはじめ“関係のない人”を挟まない。繰り返しにはなりますが、制作側の過剰な演出はしないとしっかり腹を決めて進めました。
———日記の朗読をメインに構成をしていくと決めた後のことについて。実際に彼のことばを読む人を選ぶとき、どのようなことを考えていましたか。
大森 日記の朗読については、「言葉の強度に負けない声」、かつ「坂本さんのことをよく理解している人」との条件で検討を重ね、プライベートでも関係の深い田中泯さんにご担当いただきました。今回の番組では、客観的情報に限った構成というポリシーの制作だったため、日記の読み方については、「とにかく“引いて(離れて)”読んでほしい」とお願いをしました。坂本さんとの心的な距離が近いが故に、気持ちが入って坂本さんが乗り移り過ぎないよう、とにかく淡々と、客観的に朗読をしていただくよう依頼しました。
また収録本番の2週間ほど前に、泯さんから「どうしても本物の日記を読み、言葉を体に通過させたい」との連絡があったことを印象深く覚えています。その時期は坂本さんの一周忌にあたり、ご遺族はかなりお忙しい時期でしたが、泯さんの意を深く理解され、日記そのものを直接読んでいただく機会を設けることがかないました。その後MAルームで朗読を収録した際には、「坂本さんご本人の言葉が降りてきた」と感じましたし、ダイレクトに胸に届く朗読に、お世辞ではなく本当に鳥肌が立ちました。「人」が「肉声」で「言葉を読む」行為の意味について、深く考えさせられる出来事でした。
リアルさに、愚直にしがみつく
———番組の視聴後、「これが人の逝くまでのありのままの姿では」という思いがしました。当然ご本人や遺族には悲喜こもごもの感情の波があるわけですが、時間は淡々と無感情に流れて行く 。その過程に作為的な演出がない分、まっすぐに死を受け取ることができる。「坂本さんが、もう一度亡くなった」と錯覚するほどでした。
大森 著名な故人を扱った多くのドキュメンタリーでは、一次資料や映像が足りない分、第三者の言葉を頼りに構成することがよくあります。ただ故人との関係性が遠くなるほど、当人の生の言葉を、実際に聞く機会は少ないですから、「彼にとって真の意味で近い存在の方々のみに、取材対象を限定する」というルールを、チーム内でかたくなに守っていました。
———使用可能な素材が限られる中で、さらに厳しい制約を自分たちに課したと。
大森 日記が出てくる以前は、坂本さんのメモの一部しか手元にない状態でしたので、僅かな言葉の断片のみで、作品を成立させるためにどうにかしなければと必死でした。彼と関係が深いといわれる海外の著名人への取材を検討したり、彼の言葉の世界を表現するイメージ映像をとにかく撮りためたり。しかし、坂本さんの晩年を描く方法として果たしてこれが正しいのかと、イメージの撮影をしてはしっくりいかず、悩む時期が続きました。
———「日記の言葉と音楽だけでつくりきる」方針において、映像や音源の素材の良さが番組のクオリティーを大きく左右します。さらに言えば、音楽家のドキュメンタリーであることから、音響効果は通常のドキュメンタリー以上に求められるものがあったかと思われますがいかがでしょう。
宝珠山 悩みましたし、重責も感じました。ドキュメンタリーにおけるBGMは、基本的に視聴者の方が番組の大きな流れを把握する一助になります。
当初は、日記をベースに徹底して叙事的な構成をとるため、全体を貫く話の軸を音の設計で見やすくしようと考えていました。また病気と向き合う日々のシリアスさを、当事者でない人にも伝わるよう比較的しっかりと表現したほうが、番組全体にとっていいのではないかとも。しかし試写段階の映像に音楽をつけて大森くんと松宮さんに見てもらったところ、どうもこの方向ではない、と二人は感じたようです。「病室のシーンで病気のつらさを思わせる音楽を流すのはやめよう」という意見を大森くんからもらい、そのルールにのっとって全体的な方向性を変えました。長い間音楽をかけない、または無音で見せる、などの思い切った判断も含め、テレビ番組としてはかなり抑制的な音の設計になっていると思います。
大森 考え方としては調和するはずの音が、なぜかはまらない。マイナスの感情に、マイナスの音楽が掛け合わさることで「ここで一緒に苦しみましょう」というような印象が強まってしまったことは、編集中の大きな発見でした。音楽と映像がどう影響を及ぼし合うかについては、編集で試してみないとどうにも分かりません。宝珠山くんがかなり早い段階で「音の提案」をしてくれたので 、非常に助かりました。
宝珠山 すごく良いディレクションをもらえたと思っています。ふだんの番組でもBGMの加減には注意を払っていますが、いつも以上に抑制的に描く方向性を示してもらえたことが、その後の音響制作の指針になりました。
大森 「Merry Christmas Mr. Lawrence」や「Aqua」をはじめとする楽曲の数々は、映像に意図せぬ意味性を与えかねないパワフルな曲ですから、使用については慎重になりました。宝珠山くんも、坂本さんが残した音楽を聴き込みながら、うなっていたのではと想像します。いずれにしても今回の音の選定は非常に難しく、編集期間は日々もん絶していました。
宝珠山 もともとは坂本さんの多様な作風を番組内に盛り込もうと思っていましたが、坂本さんが死や病と向き合う様子を取り上げた番組として考えていくうちに、一定のレンジに絞られていきました。選曲は非常に難しい作業ではありましたが、番組制作の早い段階から大森くんが情報共有してくれたこと、制作プロセスの中でいろいろとやり取りできていたことが助けになりました。
大森 番組冒頭の雨が降りしきる中、坂本さんが庭のピアノを弾く作中のシーンに「garden」をチョイスしてくれたときは、これだ!とうなりました。まさに音に助けられたなと……。
宝珠山 これは短い時間の間に、坂本さんが亡くなった頃から、3年以上前の過去へと時間を巻き戻せるだけの「圧」が必要なシーンではないかと考えて、いわばタイムスリップのような効果を引き出せる曲を探しました。庭だからガーデン、とタイトルのつながりを優先したのではなく、しかるべき理由をもって選定した一曲です。
———作品を通じて、深い印象をもたらす「雨の音」についてはいかがですか。
大森 “ご本人のもので番組をつくりきりたい”という我々の意向をご遺族に尊重していただき、番組内で使用されていた「雨の音」などのマテリアルをご提供いただきました。坂本さんが生前収録されていた音も作品内に忍ばせています。
———病室の再現シーンに関して、実際に坂本さんが過ごした病室での撮影は難航したと聞いています。「本物だけでつくりきる」方針を立てたものの、最終的には病室のセットというフィクションの設定を甘受したプロセスと、実際にGOを出した経緯を教えてください。
大森 リアルのみでやりきりたいと粘る一方で、さまざまな事情があり、打診をしたすべての場所で撮影許可が下りたわけではありません。入院期の日記には、当時の素直な思いが多くつづられていたため、通院していた病院での撮影ができないのは、制作する上で大きな制約でした。そこで松宮さんや、共に取材をしていた先﨑ディレクターとも議論を重ね、NHKアートチームの手を借り、病室を作ろうと。
松宮 この撮影を成功させるにあたり、窓の大きさからクッションに至るまで、綿密なリサーチを行いました。「とにかく細部までこだわりたい」と、これまたご遺族の皆さんのお力をお借りし、病室に置かれた大なり小なりのあらゆるプロダクトを拝借することを前提に再現シーンでの撮影に踏み切ったんです。視聴者に「これは再現だ」と思わせないクオリティーのものを作らないと、本物の映像には太刀打ちできないことが分かっていましたので。撮影中も繰り返し検証を重ねました。
大森 病室は緻密なセットですが、病室内に置かれたペンやぬいぐるみ、そして眼鏡なども含め、中身は全てご本人が実際に使用していた私物です。“魂は細部に宿る”との思いから、ペンの位置から単語帳の開き具合、またシャーペンの芯は出ていたかなど、こちらでできる限りの再現を試みました。撮影チームには多少の負担をかけてしまいました。結果として、そのこだわりが、映像に宿ったのではないかと思います。
松宮 飾ってある絵も本物ですし、大森くんの緻密さは目に見えないところにまで及んでいます。セットである違和感を払拭するため、実際の当日の気温や天気、太陽の傾き具合、彼の体調記録などをすべて調べて再現していますから。
大森 放送後も、「あの病室のシーンが良かった」と多くの反響をいただきましたが、あれがセットだと忘れてしまっていたとの声も多数聞き、スタッフと力を尽くした甲斐があったと改めて思いました。
時代の流れに揺らがず、視聴者を信じる
———日記に記された日付を追いかける非常にシンプルな動画構成は、短尺で、シーンの切り替えが早い今風の動画文化と一線を画すものがあります。時代的な動画のトレンドあるいは風潮を踏まえて、視聴者の捉え方は意識されましたか。
大森 本作は映像もスタティックですし、1カット1カットも非常に長く、一見するとテレビ番組としては冗長にも見えてしまうようなつくりです。しかし一方で視聴者への分かりやすさや時代の風潮を優先しすぎるのもどうか、との思いもありました。
松宮 おべっかを使わず、正直に。そうしないと番組の質は上がらないと思います。やはり視聴者の目線をスタンダードに据えてやっていくのがいいと思うわけです。
———情報性の高いNHKスペシャルで番組を放映するにあたって「この番組で何を伝えたいのか」と制作陣が問われた際、必然性が理解されにくい音楽や、日々の何気ない日記の言葉を守りきるのは、制作中の一つの大きなテーマだったのではないでしょうか。ある意味では、視聴者を信じる(委ねる)こととも言えると感じました。
大森 「意味からの解放」というテーマについては、坂本さん自身が生涯をかけて、音を通じて試行錯誤していた問題にも通じることかもしれないと思いますし、日記を託された身として、この制作スタンスを堅持することが、亡くなった坂本さんへの敬意の示し方なのではないか……。といったことを自分なりに解釈しながら、日々悶々と、どのように意味性から逃れつつも作品としてまとめ上げるかを考えていました。あえて一番遠い視聴者として、冷徹に番組を見続けた松宮さんと数か月にわたり議論に議論を重ねた結果として、意味性(分かりやすさ)にも叙情性(分からなくてもいい)にも偏り過ぎない、バランスのよいものが生まれたと個人的には思っています。
あの日は、雨だった
———番組の幕引きも絶妙でした。雨の合間に、自然に返るような終えんで。
大森 「番組を見た人たちが、とにかく暗くならないように」というのがご遺族の希望でした。制作の初期段階では、坂本さんが残した明るい曲調の楽曲に頼ろうかなどと考えていましたが、「番組の終わりに明るい楽曲をかける」編集判断自体が、制作者サイドからの“暗くならないでね”というメッセージのようにも聞こえてしまいかねないジレンマがありました。最後には亡くなってしまう結末である以上、どうしても番組の終わりが暗くなってしまう。それでも何か、この幕引きに救いはないか……と考え続けて8か月。病室での撮影直前にようやくあることに気づくことができました。
松宮 坂本さんが亡くなった日は雨だったと。
大森 放送まで3か月を切ったタイミングでした。病室の撮影に向けて、最期を迎えたとき、その場で何が起きていたのかについてできるかぎりいろいろ調べまして。当日、坂本さんのそばにいたマネージメントの方に、その日の天気を伺ったところ、偶然にも雨だったんです。天気図を見た瞬間、何かが降りてきたと思いました。これだ!と、なりました。
———番組の要所で雨は大事なキーアイテムになっているほか、坂本さんの生前のインタビューには「理想の音は雨」との発言もあり、雨に関する楽曲も多く手がけられました。
松宮 雨というのは微妙な伝わり方をしますから、上品にやらないと難しい。編集の中でも特に難しい部類です。雨が降る中で息を引き取ったシーンをしっかりと伝えるために、これまた大森くんが撮影していた、病室セットの窓に雨が打ちつけるシーンから雨のラインが非常に強いものを選んで、日本一のカラーグレーダーに時間をかけて作業してもらいました。雨の印象がぶれないよう雨粒のシャープネスを強めて、背景のトーンを若干落とすことで線を際立たせて。それ以外にもかなりいろいろオーダーしましたね。
大森 雨の日に、一連の物語が幕引きする姿が見えたとき、番組の目指すところが見えたように感じました。雨は、本作を通底する大事な要素ですし、坂本さん自身も大事にする要素でしたから。
松宮 綿密に取材をするとそういうことがありますよ。神様が来る瞬間というか。いずれにしても制作者が労を惜しまず努力をすると、神様が来る確率は高まります。
———本作が「ローズ・ドール賞」を受賞した要因、あるいは、NHKが同様のコンテンツをつくることができる環境にあるか、考えを教えていただけますか。
大森 今回の受賞は何よりも、そもそもの「坂本龍一」さんという存在の大きさによるものが第一かとは思います。その一方で、ご遺族の皆さまに、この制作チームを信じていただけたことも大きかったですし、最終的に今回のような形に結実したのは、ひとえにこれまでのNHKに対する一定の「信頼の蓄積」があったからではないかとも感じています。もし私がNHKの人間でなければ、そもそもこの話は始まりませんでしたから。
今はテレビ以外のコンテンツプラットフォームも多数出現し、制作者にとっては群雄割拠の戦国時代でもあります。NHK内にはそれぞれ得意分野を究めたディレクターやクリエイターがたくさんいますし、それぞれの番組枠を信頼する視聴者から、「あの番組ならやってくれる」という一定の期待の蓄積があることが、NHKの武器でもあると思います。今回は偶然、坂本さんのお力をお借りしたことで、このような国際的な賞をいただけたことは幸いでしたが、テレビを所有する人が少ない時代に突入した今、これまでの信頼と蓄積を生かせるかどうかは、制作手法や視聴者への届け方も含めて、どれだけ今後こちら側がしなやかに変化していけるかにかかっているのではと感じています。これから先、自分たちが生き残るために求められていることなのかなと。
———これからも新しい挑戦を期待しています。
大森 実はこの番組はまだ終わりません。坂本さんが亡くなられて2年がたちますが、引き続き現在完全版の制作を続けています。この番組を通し、再び坂本龍一さんを知るきっかけ、そして生前残した膨大な作品群と出会うような契機になったのであれば、制作者冥利 に尽きます。


