放送100年 BKの歩みとこれから
2025年6月、「大阪・関西万博」が開幕して2か月が過ぎましたが、夢洲の会場周辺だけでなく、大阪の街中でも多くの外国人観光客の姿を見かけるようになりました。そんな世界の注目が集まることし、大阪放送局(通称:BK)は放送100年を迎えました。
今回は、BKのこれまでの歩みを振り返りながら、放送100年に関連したさまざまな取り組みや、BKを形作ってきた”5つの柱”についてお伝えしたいと思います。
1.放送100年の歴史とBKならではの取り組み
いまから100年前の1925年6月1日、日本で2番目の放送局として、現在のNHKの前身のひとつである社団法人大阪放送局がラジオ放送を開始しました。
コールサインは「JOBK」。大阪放送局が「BK」と呼ばれるのはこれに由来します。
当時のスタジオは大阪・船場の百貨店屋上に建てられ、買い物客が見学できるようにいくつもの丸い窓が設けられていました。ここから近畿2府4県に加え、四国や中国地方の一部にも放送が届けられました。
放送開始日のオープニングプログラムとして放送されたのは、坐摩神社の25分間の祝詞だったという記録が残っています。
そして、祝詞に続くプログラムは、午前が米や株の相場情報、午後は浄瑠璃などの芸能番組。大阪に3か月先駆けて放送を開始した東京放送局(通称:AK)が音楽や祝辞で始まったのに対し、BKは実用情報と娯楽を組み合わせ、関西らしい親しみやすさを大切にしていました。
それから100年、BKはさまざまなニュース・番組をお届けしてきました。
なかでも「人権・福祉」「スポーツ」「歴史」「芸能」の分野と「連続テレビ小説(朝ドラ)」は、BKならではの個性として代々NHKに根づいています。
⚫多様な声に耳を傾けて ~人権・福祉~
BKでは1950年代から差別などの社会課題に向き合い、福祉番組へと展開してきました。「きらっといきる」(1999-2011年度)、「バリバラ」(2012-2024年度)と、障害や多様性をテーマに、当事者が発信する声に耳を傾ける福祉番組を制作し続けています。
ことし4月からは、新番組「toi-toi」(Eテレ 木曜午後8時)がスタート。多様な視点を持つ人々が対話を通じて、違いを認め合う社会のヒントを探っています。番組をご覧いただいた方からは、
・いろいろ考えさせられる話題に、深刻になりすぎず一緒に考えていける番組だと感じた。
・ふだんあまり意識してこなかった問題について考えるきっかけを与えてくれる。
・「誰かの正しさ」 ではなく、問いそのものに価値を見いだし、言葉になりきらない感覚にも丁寧に寄り添ってくれて心から励まされている。
など、多くの反響が寄せられています。
この日のテーマは「”自分を大切にする”ってどういうこと?」
⚫実況の原点はBKに ~スポーツ~
1927年、BKは甲子園球場から全国中等学校優勝野球大会をラジオで実況中継します。実は、これが日本で初めてのスポーツ実況でした。開幕から決勝まで21試合を1人のアナウンサーが担当したという記録も残っています。この時の優勝校は高松商業でした。
1953年からはテレビ中継も始まり、高価なカメラを守るため、助手がグラブを持ってファウルボールに備えていたというエピソードもあります。
自らも三塁手として全国大会に出場した経験を買われて抜てきされました
⚫“その時”を見つめて ~歴史~
京都や奈良など、千年を超える歴史と文化が息づく関西。BKはそうした地域の特性を生かし、歴史番組の制作にも力を入れてきました。
2000年に始まった「その時歴史が動いた」は、松平定知アナウンサーの司会で歴史の転換点に光を当てた人気番組。番組の展開が大きく変わる際のコメント「いよいよ、今日のその時でございます」でおなじみです。
その後も「歴史秘話ヒストリア」「歴史探偵」と、水曜夜は“BKの歴史番組”をお届けしています。
2.上方落語とともに
BKがラジオ放送を始めた当初、最も人気だったのは芸能番組、とりわけ上方落語でした。1931年にリスナーに行った「ラジオ嗜好調査」(10万人が回答)でも、最も放送してほしいジャンルは「大阪落語」だったという結果が残っています。
戦争で多くの落語家が命を落とし、演芸場も失われた中、上方落語の復興に尽力したのがBKと同じ1925年生まれの人間国宝・桂米朝(1925–2015)です。「私とNHKは同い年」と語っていた米朝は、落語の魅力を幅広く伝えることができる放送の価値を、いち早く見抜いていました。
BKでは6月、放送100年関連の特別番組として、JOBK100年「桂米朝 なにわ落語青春噺(ばなし)」を放送します。
「落語家米朝誕生」「盟友松鶴との切磋琢磨」「上方落語 若きスターたち」という3つの切り口から、米朝宅に残る資料、関係者の証言、NHKに残されたアーカイブスを駆使し、上方落語復興の過程を多角的に描く今回の番組。制作担当者に制作背景や見どころを聞きました。
桂米朝さんと聞くと、大体の方が思い浮かべるのが大師匠、人間国宝になってからのお姿だと思います。しかし、その人生を紐解くと、最大の功績である戦後どん底からの上方落語復興を成し遂げたのは20代~30代の青年期。まだ何者でもない青年が、若さと熱情で上方落語をこの世に残したという、あまり知られていない事実に心を打たれ、米朝青年を中心とした若者たちの群像活劇にしたいと企画しました。
今回の番組をご覧頂き、落語を生で聞きたいという方が一人でも増えれば幸いです。
番組では、ドキュメンタリーと再現ドラマで桂米朝の軌跡をたどります。実話を元にしたドラマパートは、桂米朝にゆかりのある落語家の皆さんが演じています。
桂米朝役を孫弟子の桂吉弥さん、米朝の師匠、四代目桂米團治を米朝の長男、五代目桂米團治、そして米朝のライバル、笑福亭松鶴役を松鶴の孫弟子にあたる笑福亭鉄瓶さんがそれぞれ演じています。
米朝さんや松鶴さんゆかりの方々が演じることで、なんとも味のある仕上がりになっています。今も続く、米朝さん、松鶴さんのDNAの濃さをお感じいただけると思います。
さらに、初代・桂春團治さんの実際の落語や、1970年代・80年代の若手落語家の貴重映像も見どころの一つです。放送は関西向けですが、全国の皆さまもNHKプラスの見逃し配信でご覧いただけます。
JOBK100年「桂米朝 なにわ落語青春噺(ばなし)」
2025年6月21日(土) 午後7時30分~8時42分 <総合>※関西地方
📱放送後2週間、NHKプラスで見逃し配信あり
3.BKと朝ドラ
2025年5月31日・6月1日、大阪放送局の一階は多くの人たちでにぎわっていました。
放送100年を迎えるのに合わせて開催した「BK100年まつり」。100年前のスタジオを再現したブースや、復刻された当時のラジオでの聴取体験など、100年の節目を記念したさまざまな展示を行い、およそ13000人の方にご来場いただきました。
特にBK制作の朝ドラ全48作品のパネル展示と、ドラマで実際に使われた小道具や衣装などの展示には、多くの方が足を止めてじっくりと眺めていたのが印象的でした。
そして、会場の中でひときわ注目を集めていたのがこちらの冷蔵庫です。
歴代の朝ドラヒロインたちのサインがびっしりと書かれたこの冷蔵庫は、スタジオ横にある衣装部屋で大切に保管されてきたもの。実は、一般に公開したのは今回が初めてです。
一番最初にサインを残したのは、「てるてる家族」(2003年)の主演を務めた石原さとみさん。それ以降、クランクアップ後にヒロインがサインを残すことが慣例になりました。「おむすび」(2024年)の橋本環奈さんまで、これまで29人のヒロインがメッセージを残しています。
そして、今回のイベントに合わせて「ちりとてちん」(2007年)の貫地谷しほりさんも新たにサインを加えてくれました。
BKの朝ドラと言えば、人情味あふれるストーリー展開が特徴です。一番最初にBKで制作された作品は、1964年放送の「うず潮」でした。この作品は初めて若い女性を主人公として評判を呼び、いまの朝ドラに通ずる“女性の一代記”というスタイルを確立したと言われています。
BKでは現在、第49作「ばけばけ」の撮影が鋭意進行中。5月には記念すべき第50作「ブラッサム」(2026年秋放送)の制作も発表しました。ぜひ今後もご注目いただけるとうれしいです。
4.最後に
BKは関西のみなさまに支えられて100年の放送を続けることができました。そのことに心より御礼申し上げます。
節目となる2025年、私たちはこれまでの歩みを“感謝”の気持ちで振り返りながら、101年目からも、暮らしに寄り添い心に届く質の高い番組をお届けする“決意”を新たにしています。これからもBKをどうぞよろしくお願いします。
(NHK大阪放送局)


