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麻原三女に絡め、公安庁の団体規制法によるテロ予防は、教団や脱会信者集団の裏支配の監視には適さない。テロ組織は普通、正式な団体・入会制度・資産施設など発表せぬ地下ネットワーク。麻原後のオウムも暴力的犯罪はアレフ会員ではなく、三女自身の旭村事件、分派のケロヨン事件、分派のシガチョフ事件。以下詳細 第一に、三女自身の旭村事件は、当時長男と同居していた長女と、三女や教団の他の幹部は対立関係にあって、後継指名を受けた長男を長女が利用しないためにも長男を連れだすために、この事件の直前にできたアレフにはまだ入会していなかった三女次女と男性の出家信者3名が、長女の自宅の玄関の鍵をバールで破壊して不法侵入したという事件だ。こっそり入ったのではなく、三女側の出家信者と長女側の出家信者でももみ合いも当然あったと聞いている。なお、この事件の影響のため、三女次女やその周りの信者(警備班・お世話係)はアレフに入会することが社会的に不都合となって入会しなかった。 第二に、分派のケロヨングループの連続傷害致死事件についてだが、残念ながら、これも三女は無縁とはいいがたく、そのグループから内部告発の情報があったが(告発者は実質的にアレフの信者でもありながら、そのグループに参加していた)、人が複数、過激な修行によって死んでいるにもかかわらず、三女は警視庁に対してケロヨングループの告発を行わなかった(外部の分派での動きだから、警察に告発しない限り、止めようがない)。そのため、当時、三女によって、軟禁的な幽閉状態だった私が、幹部らと相談して告発するに至った。 第三に、シガチョフ事件に関してだが、これも残念ながら、三女は無縁ではない。シガチョフの麻原奪還計画を当初称賛し、それがシガチョフに伝わってしまったので、それを否定する動画を私が三女に頼んで作ってもらい、ビデオと共に出家信者を渡航させてシガチョフに見せたという経緯がある。なお、四女の著書によると、シガチョフ事件とは別に、三女は側近信者と自ら奪還構想を語っていたと言う(私も情報は得ている)。 これらは、三女が16歳から20前後の話であり、決して幼少であって、訳が分からない時のことではないし、旭村事件では、実際に逮捕されて保護観察処分を受けたが、他の男性信者は成人としての刑事処分を受けた。