死を目の当たりにした15歳
2020年11月、人生で初めて親戚が死んだ。コロナウイルスが蔓延している状況もあり、最期に会うことはできなかった。
今まで知り合いが亡くなることがなかったから戸惑いが隠せず1人で抱え込めないからnoteに書こうと思った。
亡くなったのは祖母だった。祖母は今まで認知症を患っていてずっと現状維持の状態だった。名前などはまだ分かったが自分がご飯をいつ食べたのか、今日は何日なのかがわかっておらず5分に1回くらい同じことを尋ねてきた。
コロナウイルスで会えなくなるのが嫌だったため病気にかかってからも家でずっと療養していた。栄養バランスのとれたとろとろしている食べやすい食事をよういした。でも結局なかなかご飯を食べてくれないから栄養がすごい不味そうなドリンクを飲ませていた。起き上がることもできないから自動で動くベッドを買った。呼吸が苦しいから鼻からいつもチューブで酸素を送っていた。トイレが苦しいからずっとオムツを履かせていた。それでも全くと言っていいほど治る気配はなかった。
正直、好きな人が目の前で苦しんでいるのに何もできないという状況に耐えられず家は隣駅にあるのに中々行かなかった。いとこの家と祖母の家が一階と二階でつながっていたためそっちに衣食住のことを任せていた。今考えたらもっと話しておけばよかったなあと後悔したりしなかったり、
そんなふうになっていたある日、急におばあちゃんの病状が良くなった日があった。ご飯もちゃんと食べてちゃんと話せて、なんだ、これから回復していくんだ。と思った。
次の日、病院に運ばれた。今思えば最後の人間としての生きる本能だったのかも知れない。
病院での面会をした。これが会える最後のチャンスだ、というような暗黙の了解で親戚一同向かった。実際は面会は出来なかった。というのはiPadでの通話だった。感染リスクを考慮して生で会うことさえ許されなかった。
私は面会最後のグループだった。最初の方は元気に話してくれていた。祖母がよく言っていた、「へいまんぼ」という決まり文句を言ったりしていておばあちゃんは私たちのことよくわかってるなあと思った。
私たちの番になると疲れたのか何も喋らなくなってしまった。喋りたいけど喋れない、というようなニュアンスで苦しそうな顔をして私たちの話を聞いてくれた。4人で自撮りして、これが顔が見れる最後なんだろうかと思うと泣きそうになったがおばあちゃんの前では絶対泣きたくないと思って病室の外に出た瞬間静かに泣いた。
面会できた日はとても奇跡の日だった。大阪に住んでいる社会人のいとこが帰ってきて当初の帰る予定より長居していた。私の母もちょうど仕事がなかった。他のいとこもバイトを入れておらず急遽病院に運ばれた日だったのにみんないた。
夕方だったのにオレンジの空にすごく綺麗に月が見えた。こんな演出いらないよ、とかほんとに死ぬみたいじゃん、とか思ったりした。
まるで神様が最後に用意してくれたみたいでなんか嫌だった。
そんなこんなで、静かに息を引き取った。最期は苦しまずに亡くなったらしい。せめて死んだ後の世界では楽しく生きてほしいなとおもった。
私の祖父母の家は寺だったため、家でのお葬式がとり行われた。葬式までの間本堂に冷たい祖母が寝ていた。たまにみんなで行ってみんなで食べたご飯を置いて線香を変えて、おばあちゃんを囲んで笑いながら思い出話してりして、なんかこの家系に生まれてよかったなあとすごい思った。
火葬をしたときに祖母は80を超えていたのに骨は40歳にあたるくらい多く量が残っている、と言われた。そういえば親戚全員骨折したことないね、骨太家系なんだね、なんていう話をしてみんな泣きながら車で帰った。
お墓に納骨をして、大変な約一週間はおわった。
お葬式屋さんがミルクボーイの小さい方ににてるとかいってみんなで笑ってた。棺にお花を入れる時に祖母の大好きだった麻雀のカードを入れた。みんなが書いたお手紙も入れた。
手紙には全然書けなかった。他のみんなは2枚3枚4枚といっているのに2枚書くので限界で私ってこんなに情がないのかな、と思って一人で焦った。
お手紙に書くような思い出がなくてたまに会って一緒にテレビ見てなんかするとすぐ怒られていつも笑ってて、そういう日常のときしか知らないから何も書くことがなかったけど、自分の祖母への気持ちはちゃんと伝わるかなと思って諦めた。
なんだかすごい経験をしてしまったなと15歳にして思った。人が死ぬって他人事じゃないんだ、こんなに辛いことなんだ、と今まで知らなかった、経験しなければ分からないことがわかって私も成長できた気がした。
なんで朝の6:57にこの文章を書いているかというと、次は祖父が危ないからだ。祖父は私が幼稚園くらいの頃に
俺は100歳まで生きるから、(祖母)は110歳まで生きろ!俺より先に死ぬなよ!
とよく言っていた。
祖母が亡くなってから生きる希望を失ったのかあんなにしつこく一粒も残させてくれなかったご飯も段々食べなくなって、持病も悪化し、今病院から血圧が急激に下がった、ときた。ついこの間、祖父がこんなふうに言っていた。
(祖母)はどこだ………ああ、もうあの世か。
と、私と祖父しかいないリビングでひとりでに言っていた。見えないように私は陰で少し泣いた。もしかしたら後追いみたいな形で病気が逆に応援しているのかな、なんて考えたりもした。
死ぬのだろうか、また、大好きな人が死ぬのだろうか。すごく怖くて誰にも言えなくてとても辛いけど何も知らない顔でこれから学校に向かおうと思う。
追記:
先程、祖父が亡くなった。嘘みたいな話だが今日は祖母が亡くなってからちょうど半年らしい。やっぱりそういうのってあるのだろうか。天国で2人健やかに生活していることを願っています。
コメント
1経験を通して辛い‥苦しい氣持ち‥哀しかった事を‥感じたままに言葉‥文字として‥氣持ちを‥少しでも‥吐き出せるnoteという場所があって良かったです‥。
少しでも‥吐き出していただいて‥ありがとうございます。
コメント失礼させていただきました。