Interlude-ViewOfTheReader 神は覗いている(真)
そこは世界群の中枢および神座の心臓部。数多の世界を”枝”と喩えるなら、”幹に相当する場所。
一見すると、白い空間と薄緑の地面が際限なく広がるだけだが、見る者が見れば分かる。虚空には、あのゼクスの魔力量でさえ足下に及ばないほどのエネルギーが犇めいていた。いちいち数えるのがバカバカしくなるほどの圧倒的物量が、その内に込められていた。
そんな神座の心臓部の、さらに中心。そこに、この場における唯一の人工物が存在した。白亜に囲まれた豪奢な椅子だった。この世のものとは思えないほど美しく、荘厳で、神々しい玉座だった。
これぞ、世界群を管理するメインコンソール。文字通り”神の座”である。
そして、その座に腰かける人物こそ、世界群の管理者――神だ。
神は美しかった。白い空間に溶け込むような長いホワイトブロンドの髪に、深海を彷彿とさせる勝色の瞳。白く単調な衣服をまとう体は華奢で、ガラス細工の如き儚さが感じられる。外見年齢は十六、七歳ほどか。ヒトの眼で観察した場合、ただの麗しい少女にしか見えないだろう。
とはいえ、神がただの少女であるわけがない。表情は無機質で、瞳は凪のように揺るがない。背筋を伸ばして座る姿は不動。生き物らしさを微塵も感じない彼女は、まるで人形だった。
置物かとも錯覚してしまうが、そういうわけでもない。玉座の周囲には、宙に投影されている数字の羅列が秒間二回転ほどの速度で回っており、神はそれを目で追っていたのだから。
延々と同じ作業を繰り返すだけと思われたが、とある人物がこの場に入り込んだことで変化が訪れた。
数字の羅列は消失し、それに合わせて神の視線が訪問者に向かう。
神の前に現れたのは白髪黒目の美男、元神の使徒であるアカツキだった。
「相変わらずの人形っぷりだな」
彼は、神に対する嫌悪感をまったく隠そうとしない。眉をひそめたまま、呆れを含んだ声音で語る。
「何の用だよ。堕ちた俺を呼び出すなんて、規則を重んじるお前らしくない」
疾くこの場を去りたいのか、アカツキはいきなり本題に入った。いつもは無駄話ばかりの彼らしくない行動だろう。それだけ、神と相対していたくないのだと分かった。
一方、当の神は一切揺らがない。正面から嫌悪をぶつけられているにもかかわらず、表情も姿勢も瞳も、何一つ動かなかった。
<<急務>>
彼女の短い言葉は、口から発されたものではなかった。【念話】の類を行使しているようで、頭の中に直接言葉が放り込まれてくる。実際、彼女は口を動かしていない。
また、単語だけとは思えないほど、彼女が伝えたい内容の詳細が理解できた。おそらく、圧縮言語という奴なのだろう。
「緊急性の高い問題だから、ねぇ。ダルク関係か?」
<<後任>>
「いきなり二人も減ったせいで、神の使徒の後任が不足してる? じゃあ、新しく作ればいいだろ」
<<不安定>>
ここで初めて、神は体を動かす。首を横に振って新しく”神の使徒”を作るのはダメだと言い、その理由を説明した。
どうやら、神の使徒そのものを作ると、何らかの不具合が発生する可能性が高まるらしい。それこそ、ダルクのように精神的不安定さを抱えかねないと。
そういった問題点があるゆえに、アカツキ以外の神の使徒は、まず”神の使徒の卵”として生み出され、少しずつ成長させるという手段を取っていた。
そして、現時点で神の使徒たり得る”卵”は一人しかいなかった。
このままでは使徒に空席が生まれてしまい、世界の管理に支障が出てしまう。神は、それを避けたかったのだ。
現状を把握したアカツキは、自分が何のために呼び出されたのかを悟る。
「つまり、俺を神の使徒に戻したいのか。ダルクの抜けを埋めるために」
<<肯定>>
神はアカツキの言葉を認めた。
ただ、彼女のセリフはそこで終わらない。
<<限定>>
「後任が育つまでの期間限定でいいだって? しかも、引き受けてくれた場合は対価を支払うと。気前がいいな。どういう風の吹き回しだ?」
アカツキは訝しんだ。
彼の知る神は、杓子定規でしか物事を測れない堅物だったのだ。世界群を管理する合理的な手段しか念頭になく、他の何が犠牲になろうと気にも留めない存在だった。
だから、今回もそういった命令を下すと、アカツキは身構えていたのだ。アカツキを無理やりにでも神の使徒に縛りつけることが、世界群の運営にとって一番の利益になるから。
だのに、神は交渉という手段を取った。絶対者である彼女の立場を考慮すると、それはとても非合理な選択だろう。
そもそもの話、一度追放した者を引き上げようとしている時点で、不自然なのだ。前述した通り、神は融通の利かない存在である。いくら緊急事態とはいえ、一度下した判決を覆すのは驚きだった。
あまりに不自然すぎる選択の連続に、アカツキは警戒心を強めていく。彼女が何を画策しているのか探ろうと、神経を張り詰めていく。
場の空気がドンドン重くなっていくが、やはり神は動じない。無表情のまま、話を続けた。
<<特異点への配慮>>
――否、無表情のままではなかった。神の頬は、僅かに上気していた。加えて、圧縮言語も若干失敗している。
その態度を見て、アカツキは瞠目した。天変地異が起きたとしても慌てないだろう彼が、この世の終わりとでも言うかのように動揺し、愕然と口を開く。
大袈裟な反応に思えるかもしれないが、彼に非はない。何せ、神が感情的な反応を面に出したところを、彼は初めて目撃したのだから。
無機質な人形の如き存在だと考えていた相手が、生物らしい素振りを見せた。これを驚かずして、何を驚くというのだろう。
驚愕した点は他にもある。神が個体名を口にしたことだ。
アカツキは、彼女が個体名を呼ぶところを見たことがなかった。神の使徒でさえ、通称や二人称だったのである。
(これ、ヤバイんじゃ?)
神の異常行動に、いよいよアカツキは危機感を覚えた。神が狂った可能性を危惧し始めたのだ。
同時に、ゼクスへの心配も胸中に湧いた。神に目をつけられるなど、あまりに災難すぎる。
ゼクスの未来を憂いた彼は、一歩踏み込むことにした。
「お前は、ゼクスを排除しようと考えてたんじゃないのか?」
ダルクは、神の許可を得て暗躍していたという。だから、神がゼクスの排除に賛同しているものと思い込んでいた。
しかし、今の反応を見る限り、何か違う気がしたのだ。その点をしっかり見極めておきたい。
すると、神は首を横に振った。
<<確信>>
「はぁ?」
彼女の言葉に、アカツキは素っ頓狂な声を上げた。
神はこう言ったのだ。ゼクスならば、ダルクを必ず退けると確信していたと。
<<拝見>>
彼女はさらに続けた。ゼクスの活躍を見届けたかったと。
頭痛を覚えたアカツキは額を片手で押さえ、声を絞り出す。
「……つまり、ゼクスが勝つと分かってて、あいつの活躍を見たかったから、ダルクを止めなかったわけか?」
<<信頼>>
それに対して、神は再び首を横に振り、訂正の言葉を告げた。勝つと分かっていたのではなく、勝利を信頼していたのだと。
アカツキの頭痛は酷くなった。両手で頭を抱え、言葉にならない声を漏らす。
あまりにも異質だった。彼の知る神は、世界群の管理以外に関心を寄せない人形だったはず。しかし、今の彼女は、明らかにゼクス個人に関心を寄せていた。それどころか、並々ならぬ熱量を注いでいるように思う。
程なくして、心を落ち着かせたアカツキは彼女に問う。
「お前は、ゼクスをどう思ってるんだ?」
<<推し>>
即答だった。若干アカツキのセリフにかぶるくらいの即答だった。
しかも、彼女は語り続ける。
<<要観察、興味、新鮮、感心、好意、応援、見守、好意、推し、応援、応援、応援――>>
圧縮言語をもってしても、一単語で収まらない内容。すべてを直接伝達されたアカツキが頭を痛めるほど、膨大な量の文章だった。
この熱意が偽物のわけがない。神は、本気でゼクスを推しと認識しているようだった。立場を忘れて直接介入はしていないようだが、『介入したことがある』と言われても納得してしまいそうな熱狂っぷりだった。
アカツキは今の神をどう表現すべきか迷っているようだが、ここにゼクスたち転移、転生者がいれば、こう表現しただろう。『動画配信者に沼った視聴者のようだ』と。
「分かった。お前の熱意は伝わったから、少し黙ってくれ」
未だ続いていた神の”語り”を止め、アカツキは溜息を吐く。
それから、僅かな間を置いて、再び口を開いた。
「神の使徒代理の件、引き受ける。今のお前を放置する方が怖い」
何かの拍子に、ゼクスにいらぬお節介をかけそうで、本当に怖かったのだ。
ついでに、次期神の使徒の育成も手伝うと申し出る。次の神の使徒に、神の暴走を抑えてもらうためだった。
細かい契約内容を詰めた後、アカツキは神の前から去る。
ある程度離れたところで、彼は盛大に溜息を吐いた。先程の神の様子を見ると、自分の負担がかなり大きくなりそうだと予感したからだ。
「これもケジメの一つと考えよう」
溜息交じりに溢された言葉には、多分に哀愁が含まれていた。
アカツキの胃が無事で済むかどうかは、神次第である。
今話で一旦、区切りとなります。
この後にキャラ紹介しますが、続き――アフターストーリーは2月9日から開始予定となります。ご容赦願います。