64画の漢字「𪚥」が「テツ」と誤読されるようになった経緯
「𪚥」という漢字の音読みは「ショウ」ですが、現在は「テツ」と読む人が多くなっています。これは『大漢和辞典』という有名な辞典が「テツ」と記載したためです。この読みは、昔の中国の辞書『字彙補』に書かれた「𪚥」の説明を誤って解釈したことに由来します。それが『大漢和辞典』に掲載された結果、本来の読みとは違う「テツ」が広まったのです。さらに、この辞典には他にも同じような読み間違いがいくつもあり、それらは二次的な資料をそのまま使って確認を怠ったことが原因と考えられます。この記事では、こうした読みの誤りがどのようにして起こったのかを、音の変化や漢字の歴史をもとにわかりやすく説明しています。
(記事公開後の修正:ヘッダ画像を変更、第1章に一文追加、第6章の誤字三箇所を修正しました。)
1. はじめに
漢字の中には、画数が非常に多い、普段目にすることがほとんどないような文字もあります。そのひとつに「𪚥」という字があります。この文字は『大漢和辞典』において、収録されている約50,000の漢字の中で最も画数が多い字(64画)として知られています。
この「𪚥」は、「讋」という漢字の異体字で、本来の音読みも「ショウ」であったことがわかっています。ところが、現在では多くの人がこの文字を「テツ」と読むようになっています。これは、『大漢和辞典』で「𪚥」の項目の読みとして「テツ」が挙げられているためです。実際には『大漢和辞典』以外(以前)にもこの文字に「テツ」という読みを与えている例は存在しますが、今日の「𪚥」字に対する認識がほぼ全面的に『大漢和辞典』に由来していることは間違いないでしょう。
実はこの「テツ」という読み方は、ある誤解から生まれたものです。
本記事では、『大漢和辞典』に記載されているこの誤読がなぜ生まれたのか、その由来を紹介します。加えて、同辞典における他の誤読事例も取り上げながら、漢字の読み方に潜む落とし穴について考察していきます。
2. 「𪚥」という字の由来
「𪚥」という漢字は、その複雑な構造や画数の多さから注目されがちですが、実際には「讋(ショウ)」という漢字の異体字にすぎません。では、「𪚥」がどのようにして生まれ、どのような意味や音をもっていたのかを、歴史的な資料をもとに見ていきましょう。
「𪚥」が確認される最も古い文献はおそらく、13世紀初頭に編纂された字書『篇海』でしょう。なお、『篇海』に収録されているほとんどの文字項目はそれ以前の字書から継承されたものですが、引用元の字書の多くは現存していません。この字書では、「𪚥」は意味の記載はないものの、「折」と同じ音をもつとされています。これは「讋」と同じ音です(音の説明については後述します)。
後の時代の『篇海』改訂版では、「𪚥」の意味を「多言(言葉が多い)」と補足しています。
これは、宋代の韻書『廣韻』に記載されている「讋」の意味の定義と完全に一致しています。つまり、「𪚥」と「讋」は音も意味も同一ということになります。
さらに、『廣韻』よりやや後の韻書『集韻』では、「讋」に対して「𧮩」という異体字が併記されています。
「𪚥」は、この「𧮩」の上部にある「龖」という部分が下部に繰り返された形と見なすことができ、これは異体字の変化としては自然なものです。
最後に、10世紀末に編纂された音義書『龍龕手鑑』の15世紀頃の修正版では、「𪚥」は明確に「讋」の異体字であることが示されています。
3. 「讋/𪚥」の中古音と音読み
『廣韻』によれば、「讋」は中国語の中古音(6~9世紀頃の音韻体系)では
こうした変化は規則的で、例えば中古音で「讋」と類似した音を持つ「渉
「𪚥」は「讋」の形が変化した文字に過ぎませんので、当然「𪚥」の音読みも「ショウ」であることになります。この段階では、今日一般的に知られる「テツ」という読みはまったく根拠がないことがわかります。
4. 「𪚥」が「折」と同音であると説明された理由
「𪚥」は、13世紀初頭に編纂された字書『篇海』において、「折」と同じ音をもつ漢字として記されています。この記述は一見不思議に思えるかもしれませんが、当時の中国語の発音変化をふまえると、その背景には明確な言語的理由があります。
『廣韻』などに記された中古音によれば、「讋/𪚥」の音は
しかし、宋代から元代にかけての中国語では、末尾の
この音の合流により、「讋/𪚥」は「折」と同音となり、それが『篇海』における「𪚥,音折。」という記述へとつながったのです。
音の変化による同一視は、漢字の歴史においてしばしば見られます。例えば「接」や「摂」は、中古音(それぞれ
『篇海』が「𪚥」の音を「折」と同じとした背景には、中国語の音韻体系における規則的な音の合流という言語的現象が存在していました。このことは、古典資料を読み解く際には当時の音韻体系をふまえることが不可欠であるという点を教えてくれます。
5. 「𪚥」が「テツ」と誤読された理由
ここまでに述べたように、「𪚥」の正しい読みは「ショウ」であり、「テツ」と読む根拠は本来存在しません。では、なぜ『大漢和辞典』のような権威ある辞書で「テツ」という異なる読みが掲載され、広く受け入れられるようになったのでしょうか。その背景には、字書における音を示す記載に対する誤解があります。
5.1. 誤読の発端:『字彙補』の「知孑切」
17世紀に編纂された字書『字彙補』では、「𪚥」の読みを「知孑切,音折」と説明しています。後半の「音折」は『篇海』から継承された記述で、すでに説明したとおりです。前者の「知孑切」は『篇海』には無かったもので、『字彙補』が独自に追加したものです。『字彙補』ではこのように以前の字書から継承した文字項目に対して音の説明を追加することがしばしば見られます。
「知孑切」は、反切によって「𪚥」の読みを説明しています。反切とは、中国の伝統的な発音表記法で、2つの漢字の音の組み合わせによって、ある文字の音を示す方法です。「AB切」という反切の記述があった場合、「A」の頭子音と「B」の韻母(主母音と末尾の子音)を組み合わせると、対象の漢字の発音を導くことができます。
「知孑切」は『篇海』以降に新しく追加したものなので、近代の音韻体系に基づいています。「知
5.2. 音の時代錯誤による誤解
ところが、当時の中国語の発音体系を正確に踏まえずに、より古い隋唐代の音韻体系をもとに「知孑切」を解釈しなおしてしまうとどうなるでしょうか。これは、
まず、韻母(主母音と末尾の子音)については、既に説明した通り、宋代・元代頃に末尾の子音が合流の後に失われました。『字彙補』の時代には「讋/𪚥」と「孑」の韻母は同一だったので、「孑」の音によって「讋/𪚥」の韻母を説明することが可能でした。しかし、より古い中古音では両者は異なっていました。
頭子音についても同様のことが言えます。近代の
このように誤った時代の音韻体系を用いて反切を解釈した結果、「知孑切」は中古音の
「𪚥」に対する「テツ」という誤読は、『大漢和辞典』に採用されることで、今日の一般的な読みとして定着しました。この辞典は、日本で最も権威ある漢和辞典のひとつとされ、学術研究のみならず教育現場や一般の読者にも大きな影響を与えてきました。それが他の辞典や文献、インターネット記事にも引用され、「𪚥」=「テツ」という読みが一般に広がっていきました。辞書に対する信頼感は大きく、記載内容を疑うことなく受け入れる読者も多いため、誤情報は容易に定着してしまいます。
この誤りの構造を視覚的に示すと、次のようになります。この図では、矢印によって時代による音の規則的な変化を示しており、また、“正規”の読みである「ショウ」と『字彙補』における反切「知孑切」との正しい関係性を青色で、反切「知孑切」の誤解釈を赤色で表しています。
学術的には「𪚥」=「ショウ」であることに異論はほとんどありませんが、一般的な認識では「テツ」という読みが主流になっていることから、辞書の誤記がいかに強い影響をもたらすかがわかります。しかも、このような誤記は「𪚥」だけではありません。次章では、同じように読みが誤解された他の漢字の事例を紹介していきます。
6. 『大漢和辞典』の音の誤り
実は、「𪚥」に限らず、『大漢和辞典』には同様の仕組みで読み方を誤記したと見られる漢字がいくつも存在します。その多くに共通するのは、時代による音の変化を見過ごし、より新しい音韻体系に基づく音を誤って古い音韻体系に基づいて解釈したことによる誤認です。ここでは5つの事例を紹介します。
例1:「𠓞」(正:シュウ→誤:シツ)
『大漢和辞典』は「𠓞」という字に対して、「シツ」という読みを記しています。また、明代の字書『海篇』が「𠓞」の読みは「疾」と同じであると記しているという出典の表記があります。
この「𠓞」という字は、一般的な字書にはあまり登場しない珍しい文字ですが、その構造から見て「亼」の異体字と考えられています。「亼」は「集」の略字であり、したがって「𠓞」の意味と音は「集」と同一であると考えるのが妥当です。
ところが、『海篇』では「𠓞」の音を「疾」と同じとする記述がなされています。これは、宋元代以降の中国語において「集
『大漢和辞典』は、『海篇』の「疾」を中古音の体系で解釈し、「シツ」という音読みを「𠓞」に与えてしまいました。しかし、「疾」の音読みをそのまま当てはめるのではなく、「𠓞」の構造から「集」との関係を考慮すべきでした。
この事例は、『大漢和辞典』が過去の字書の記述を「文献上の事実」としてそのまま採用してしまい、その背後にある音韻変化のプロセスを十分に検証しなかったことによる典型的な誤りであると言えるでしょう。
例2:「𠲚」(正:エイ→誤:イ)
『大漢和辞典』は「𠲚」という字の音読みとして「イ」と記載しており、また次のような出典の記載をしています。
〔搜眞玉鏡〕𠲚、烏計切、音懿。
すなわち、『搜眞玉鏡』という字書によれば「𠲚」の音は「烏計切」であり「懿」と同じであるということです。これは、18世紀初頭の字書『康煕字典』の記載を写したものです。しかし、ここには複数の問題があります。
まず、『大漢和辞典』と『康煕字典』は『搜眞玉鏡』を出典としていますが、この字書は現存しません。これは『篇海』以外では名前を確認できないもので、実際のところ字書の名前なのかどうかさえも本当は不明な謎多き書物です。したがって、『康煕字典』が『搜眞玉鏡』を出典としている記述は実際には全て『篇海』からの引用です。
さらに、現存の限りの原典である『篇海』には「𠲚,烏計切。」としか書かれておらず、「音懿」という説明は存在しません。つまり、「音懿」は『康煕字典』が独自に加えた注釈と考えられます。
『大漢和辞典』が「𠲚」の音読みを「イ」としているのは、『康煕字典』が
加えた「懿」の読みに基づくものと思われます。これは中古音で
それでは、より古い「烏計切」という記述が表す音は何かを考えてみましょう。「烏計切」は、反切法により
したがって『大漢和辞典』の「イ」という読みは誤りであり、「エイ」であるべきです。
例3:「𠀷」(正:ケキ→誤:キュウ)
『大漢和辞典』では、「𠀷」という文字の音読みを「キフ」(現代語の「キュウ」に相当)としています。しかし、この読み方は誤りであり、本来の読みは「ケキ」またはそれに近い音であると考えられます。この誤読も、他の事例と同様に、出典の読み取りミスと音韻体系の理解不足によるものです。
『康煕字典』は、「𠀷」の読みは「及」と同じであるという説明を『字彙補』から引用しています。『大漢和辞典』はこれを引用して、「𠀷」に「キフ」という音読みを記載しています。
しかし、より古い明代の字書『篇海』では、「𠀷」の読みは「古的切」とされています。
この反切「古的切」は中古音で
「𠀷」という字の形は「鬲」に非常によく似ています。また、『廣韻』によれば、「鬲」の中古音には
いずれにせよ、『字彙補』の「音及」という記述は近代の発音体系に従って新しく生まれた反切であり、「キフ」という音読みは適切ではありません。
例4:「𢇕」(正:シ→誤:ユウ)
これまで、『大漢和辞典』における時代錯誤による誤読の例を見てきました。ここからは、異なるパターンの読みの誤りを見ていきましょう。
「𢇕」という字に関して、『大漢和辞典』では次のように記述されています。
イウ 義未詳。〔龍龕手鑑〕𢇕、音幽。
「𠲚」の字の場合と同じく、この記述は『康煕字典』の引き写しです。実際のところ『大漢和辞典』は、日常あまり見ない字については、その大部分が『康煕字典』からの転載に終始していると思われます。
この記述を見ると、「𢇕」の読みは「幽」と同じであるかのように解釈されます。そしてその根拠として『龍龕手鑑』という書物が挙げられています。「𠲚」の字の場合と異なるのは、出典である『龍龕手鑑』が現存することです。
そこで実際に『龍龕手鑑』を確認すると、「𢇕」に対して「音齒」とあります。
つまり、「𢇕」の読みは「齒」と同じ(音読み「シ」)だと記載されています。さらに、17世紀に編纂された字書『字彙補』においても、「𢇕」は「齒」と同音とされています。「幽」(イウ→ユウ)とはまったく関係がありません。
したがって『康煕字典』に「幽」とあるのは明らかに「齒」の誤記または誤読によるものであり、『大漢和辞典』はそれをそのまま引用してしまったと考えられます。この「𢇕」という文字は「幽」が2つ重なっていますが、「幽」とは関係がなく、「齒」という字の下側の部分が変化したものと見て間違いないでしょう。
「𢇕」の誤読「ユウ」は、一次資料である『龍龕手鑑』の確認を怠った結果、出典の誤植を見抜けずに辞典に取り込まれた典型的な例です。この事例は、古典的な出典に依拠する辞書であっても、情報の正確性を担保するには原典への忠実な確認作業が不可欠であることを教えてくれます。
例5:「𡗧」(正:ホン)
『大漢和辞典』では、「𡗧」の音は不明であるとされています。
音未詳
みき。木𡗧。〔康煕字典〕𡗧、廣雅、木𡗧、榦也。
「𡗧」という文字は、3世紀に編纂された中国の百科辞典『廣雅』を出典としています。『康煕字典』はその『廣雅』の記述を引用し、『大漢和辞典』もまたそれを受け継いだと見られます。
しかし清代の著名な学者、王念孫は『廣雅疏證』という注釈書の中で、「𡗧」は単に「本」の筆写ミスであると明確に指摘しています。この解釈は非常に理にかなっており、現存する他の資料や用例を見ても、「𡗧」という文字が独立した語彙や発音を持つ形跡は確認されていません。
この「𡗧」が「本」の誤写であることを補強する資料として、10世紀ごろの文献『可洪音義』に非常に似た形の文字が収録されており、正しくは「夲」であると注釈がつけられています。この「夲」は「本」のことで、当時はこのように書くのが一般的でした。
本来であれば、『大漢和辞典』が『廣雅疏證』の注釈に基づき、「𡗧」は「本」の異体字とするのが理想的でした。しかし実際には、『廣雅疏證』以前に編纂された字書である『康煕字典』をそのまま引用しただけで、王念孫による信頼性の高い注釈を参照していないのです。これは、『大漢和辞典』が一部の字に関して出典の検証や考察を行わなかった例といえます。
7. 『大漢和辞典』の編纂姿勢と限界
『大漢和辞典』は、日本を代表する大規模漢和辞典であり、その膨大な収録語彙と資料的価値から、学術界・教育現場・一般読者に広く参照されてきました。しかし、その権威性の陰で、いくつかの構造的な問題が見過ごされてきたことも事実です。特に、音読みの誤記に関しては、いくつかの根本的な限界が見受けられます。
7.1. 出典の未検証と二次文献からの転載
最大の問題は、以前の字書(特に『康煕字典』)に記された内容を、十分な検証なしに踏襲している点です。『大漢和辞典』の凡例には「和漢の原典によって正確にこれを引用」とありますが、実際には『康煕字典』をそのまま引き写しただけの記述が少なくありません。
例えば、先述の「𠲚」の読みを「懿」としている件では、現存しない『搜眞玉鏡』を出典としている一方で、実際には『搜眞玉鏡』には無かったであろう『康煕字典』が追加した記述に基づいていました。また、「𢇕」の読みを「幽」としている件では、出典とされる『龍龕手鑑』にそのような記述はなく、明らかに『康煕字典』の誤植をそのまま転記したものです。つまり「原典による正確な引用」という方針は実行されていなかったと言えます。さらに、『大漢和辞典』のこれらの字の項目には出典として『康煕字典』の記載はありません。
7.2. 音韻体系への理解不足
編者の間で中古音や宋元代の音といった時代ごとの音韻体系に対する深い理解が欠けていたことも、誤記の原因と考えられます。多くの誤読は、反切の時代的意味や音変化を踏まえれば回避可能だったにもかかわらず、それが十分に考慮されていなかった形跡があります。
7.3. 編纂体制の制約
『大漢和辞典』は、戦後間もない困難な時代に長年かけて編まれた労作であり、膨大な文字数を扱う作業の中で、すべての字について細密な調査を行うことは現実的に難しかったとも考えられます。当時は、現代のようにデジタルで資料を横断的に検索する手段もなく、人的リソースにも限界がありました。そうした制約下では、「とりあえずの出典をつけて埋める」という方針が優先された可能性もあります。
7.4. 権威ある辞書であるがゆえの責任
『大漢和辞典』は、その名のとおり「大辞典」であり、多くの人がその内容を疑うことなく参照します。だからこそ、たとえ一つひとつの誤記が些細に見えても、広範な誤解を生み出し、漢字文化の理解そのものをゆがめてしまう危険性をもっています。
誤記があること自体よりも、それが訂正されにくい構造や、誤りの元となった出典にさかのぼらない姿勢にこそ、より深刻な問題があるのではないでしょうか。
8. おわりに
本稿では、画数の多い漢字「𪚥」(ショウ)が、なぜ誤って「テツ」と読まれるようになったのかを出発点として、漢字音読みの変遷と辞書における記載ミスの構造を考察してきました。その背景には、時代による発音変化や反切の解釈を誤ったこと、さらには古い字書を批判的に検討せずに受け継いだ姿勢など、複合的な要因がありました。
とりわけ『大漢和辞典』のような権威ある辞書において、そのような誤りが数多く見られるという事実は、私たちが辞書や文献をどのように使うべきかを改めて問い直すきっかけになります。どれほど信頼されている資料であっても、そこに誤りや限界が存在することは十分あり得るのです。
また、音韻の変化や言語の歴史といった知識がなければ、ある漢字の読みや意味を正確に理解することは難しいという現実も浮かび上がってきました。辞典や字書の記述をうのみにするのではなく、時代や文脈を意識しながら多角的に検証する姿勢が求められます。
漢字という文化の奥深さと同時に、その解釈や継承において生じる人為的な誤り――。それらに気づき、訂正し、問い直していくことこそ、現代における「文字との向き合い方」のひとつの姿なのかもしれません。



コメント
1小野 梓 さんの 幼名は 「𪚥一(てついち)」です。「𪚥 → てつ」は すでに 日本の 人名で 使われていたので,「𪚥 音読み: ショウ 名乗り: てつ 小野 梓 さんの 幼名 「𪚥一(てついち)」では 「てつ」の 読みで 使っていた。」のように 掲載することが 妥当でしょう。