🌠 どこでもドアの先に広がる宇宙──問いの奥にひそむ、時間と意識のかたち
どこでもドアの話は、本来ここで終わってもよかったのかもしれません。
でも、その扉の向こうにはまだ見ぬ風景が広がっていました。
皆さんを、もう少しだけ思考の旅へお連れしたいと思います。
前回、私たちは「連続性」という問いに触れました。
ドアをくぐるたびに“私”は同じなのか、それとも少し違う存在なのか。
その怖さの奥に、小さな希望が見える──そんな話でした。
けれど、この問いをさらに押し広げてみると、
時間や宇宙そのものの姿が見えてきます。
⏳ ブロック宇宙 ── 過去も未来も、すでに在る
相対性理論に基づく考え方のひとつに「ブロック宇宙」があります。
そこでは、過去・現在・未来は等しく存在していて、
“今”という瞬間だけが特別なのではない、とされます。
時間は川のように流れているのではなく、
地図のように広がって並んでいる。
そう考えると、どこでもドアで“私”が途切れてしまったとしても、
その瞬間の「私」は時空の中に永遠に残っている。
「消えるのではない」と知ることは、
怖さを少し和らげる視点になるのかもしれません。
🌌 ホログラフィック原理 ── 宇宙に刻まれる情報
もうひとつの見方は「ホログラフィック原理」です。
これはブラックホール研究から生まれた考えで、
宇宙のすべての情報は“境界”に保存されているというもの。
もしそれが正しいなら、
私という存在も、体験も、痕跡も、
宇宙という巨大なホログラムの中に記録されていることになります。
個としての私は消えても、
その情報は宇宙に残り続ける。
それもまた、ひとつの希望のかたちです。
👁 意識は「今」を照らす光
では、私が「いまここにいる」と感じるのはどういうことなのでしょう。
ブロック宇宙を地図とするなら、
意識はその地図の一点を照らす懐中電灯のようなものかもしれません。
時間は流れていない。
ただ「今」を照らす光が移ろっているから、
私たちは時間を“流れ”として体験している。
どこでもドアが不安を呼ぶのは、
その光がプツンと消えるのではないか、と感じるからです。
けれどもし光そのものは消えずに別の点を照らすだけだとしたら──
連続性は新しい形でつながっていくのかもしれません。
🌱 死生観へのつながり
死とは「私が完全に消えること」だと考えると、恐怖が大きくなります。
でも、ブロック宇宙の視点に立てば、
生きた瞬間の「私」は時空に永遠に残っています。
そしてホログラフィック原理の視点に立てば、
その情報は宇宙に刻まれ、どこかに保存されています。
そう考えると、
死とは“完全な消滅”ではなく、
「形を変えて宇宙に残る」ことなのかもしれません。
つまり残るのは“生の終わりのあとの私”だけではなく、
**“いま生きている私の仕草や言葉”**もまた、宇宙に保存されていく。
だから、生きることそのものがすでに希望の物語なのです。
まとめ
どこでもドアの小さな問いは、
やがて宇宙そのものの構造にまでつながっていきます。
「私とは誰か」「時間は本当に流れているのか」
「死んだらすべてが消えるのか、それとも残るのか」。
その答えはまだ分からない。
けれど問いを抱くこと自体が、すでに人間の豊かさの証です。
そしてその奥には、やはり小さな希望が潜んでいるのだと思います。
──次の扉を開くかどうかは、あなた自身に委ねられているのかもしれません。



コメント