4月13日、大阪・関西万博がついに開幕。170年超の歴史を持つ万博の軌跡を追いながら、大阪が示す未来社会の道筋をのぞき見る。
国家の万博
国力・産業力示した草創期
18世紀後半、英国で始まった産業革命で生産活動の中心は農業から工業に移った。1851年にロンドンで産声をあげた万博は当初、それぞれの国力や産業力を示す場としての役割を果たした。
1851
ロンドン万博
来場者603万人
参加国25カ国
来場者は当時の英国の総人口の3分の1、ロンドンの人口の3倍にあたる。「世界の工場」として繁栄した英国の産業力を世界にアピールする場になった。
1855 ~ 1888
1855
パリ
来場者516万人
参加国28カ国
1862
ロンドン
来場者609万人
参加国39カ国
1867
パリ
来場者1500万人
参加国42カ国
1873
ウィーン
来場者725万人
参加国35カ国
1876
フィラデルフィア
来場者1000万人
参加国35カ国
1878
パリ
来場者1615万人
参加国35カ国
1880
メルボルン
来場者133万人
参加国33カ国
1888
バルセロナ
来場者230万人
参加国30カ国
1889
パリ
来場者3225万人
参加国35カ国
エッフェル塔はフランス革命から100年となる第4回パリ万博に合わせて建設された。一時的なモニュメントの予定だったが電波塔として利用されることになり、今もパリのシンボルとしてその姿を残す。
1893 ~ 1962
1893
シカゴ
来場者2750万人
参加国19カ国
1897
ブリュッセル
来場者600万人
参加国27カ国
1900
パリ
来場者5086万人
参加国40カ国
1904
セントルイス
来場者1969万人
参加国60カ国
1905
リエージュ
来場者700万人
参加国35カ国
1906
ミラノ
来場者データ無し
参加国40カ国
1910
ブリュッセル
来場者1300万人
参加国26カ国
1913
ゲント
来場者950万人
参加国24カ国
1915
サンフランシスコ
来場者1887万人
参加国41カ国
1929
バルセロナ
来場者580万人
参加国29カ国
1933
シカゴ
来場者3887万人
参加国21カ国
1935
ブリュッセル
来場者2000万人
参加国25カ国
1937
パリ
来場者3104万人
参加国45カ国
1939
ニューヨーク
来場者データ無し
参加国54カ国
1949
ポルトープランス
来場者25万人
参加国18カ国
1958
ブリュッセル
来場者4145万人
参加国39カ国
1962
シアトル
来場者900万人
参加国49カ国
企業の万博
多国籍企業が台頭
第2次世界大戦を経て次第に多国籍で事業を展開する巨大企業が万博の主役の一端を担うようになった。
1964
ニューヨーク
来場者5166万人
参加国データ無し
米国の大企業が中心となり莫大な費用をかけてパビリオンを建設し「ビリオンダラー博覧会」とも呼ばれた。ゼネラル・モーターズ(GM)やGE、コカ・コーラなど米国を代表する企業が出展した。
1967
1967
モントリオール
来場者5030万人
参加国62カ国
1970
大阪万博
来場者6421万人
参加国77カ国
アジアで最初に開催された万博となった。テーマは「人類の進歩と調和」。鉄鋼館、自動車館、電力館など日本の各業界が出展したパビリオンを通じて、高度経済成長期にあった日本の産業力を世界に知らしめた。
1992
1992
セビリア
来場者4181万人
参加国108カ国
市民の万博
1994
BIE決議
万博を「人類社会の 課題解決の場」と再定義
1994年の博覧会国際事務局(BIE)総会で万博を地球的規模の課題の解決に貢献するものと位置づける決議を採択。世界の人口が増え、経済成長も続くなかで持続可能性を重視した「市民」中心の万博へと姿を変える。
GDPはロンドン万博から70倍に
人口は1980年代後半に
50億人を突破
平均寿命は2倍超
エネルギー消費は石油・石炭・ガス中心から原子力の時代に。気候変動問題への意識が高まった2000年以降は再生可能エネルギーにシフトしてきた。
2000
ハノーバー
来場者1810万人
参加国174カ国
94年の決議後初めての万博はドイツ・ハノーバーで開催。テーマは「人間-自然-技術」。
2005
愛知
来場者2204万人
参加国121カ国
テーマは「自然の叡智(えいち)」で環境問題への対応を前面に打ち出した。会場建設や運営でもリサイクルやリユースを徹底した。
2010 ~ 2021
2010
上海
来場者7308万人
参加国246カ国
2015
ミラノ
来場者2150万人
参加国139カ国
2021
ドバイ
来場者2410万人
参加国200カ国
2025
大阪万博
参加国158カ国・地域
55年ぶりに大阪での開催。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。
1970年に描いた 「未来」 は2025年の 「日常」に
1970
2025
日本電信電話公社(現NTT)が運営した電気通信館の目玉はワイヤレステレホン。「夢の電話」と呼ばれ、会場内から無線で全国に電話をかけることができた。
通信
携帯電話で通話するのは当たり前の社会に。スマホを使って情報収集したり、SNSで世界中の人々とつながったり。想像を超える形で情報通信のあり方は変化。
ガソリン車全盛の中、会場ではダイハツ工業の電気自動車がタクシーや輸送車として活躍。
モビリティー
今は世界中の街中をEVが走る。新車販売のうち5台に1台はEVが占める時代に。
8月、関西電力美浜原子力発電所が試送電を始め、万博会場に原子力発電による電気を届けた。商用原発の先駆けだった。(写真は関西電力提供・共同)
エネルギー
2011年の東日本大震災を契機に原発依存を見直す機運が高まった。気候変動への対応のため、各国は太陽光や風力など再生可能エネルギーへの転換を進める。
大阪がさらなる未来社会の姿を示す場に
3グループの「空飛ぶクルマ」が会場周辺をデモ飛行。新たな移動手段の商用運航が近づく。(写真はジョビー・アビエーション提供)
二酸化炭素(CO2)を排出しない水素燃料電池船が国内で初めて旅客運航。大阪市の中心部から会場まで来場者を運ぶ。
iPS細胞をもちいた「ミニ心臓」を展示。将来「心臓病で死なない世界」が実現するか。(写真はクオリプス提供)
人間そっくりのアンドロイドがお目見え。「アバター(分身)」と生きる社会は「老い」や「障害」といった制約を超える可能性を秘める。