皇室典範の「18歳成年」の特例
じつは、秋篠宮殿下のこうした直系と傍系の区別を重んじられるご態度は、近代の皇室制度の建前ではごく当たり前のことだった。
明治憲法の標準的な教科書だった美濃部達吉博士の『憲法撮要』(改訂第5版、昭和7年[1932年])を見ると、“傍系の皇嗣”について次の諸点をあげている。
②他の皇族と異なる特別な待遇を受けない。
③「立太子の礼」と類似の儀式は行わない。
以上のうち、ご成年の年齢も直系の皇嗣(皇太子・皇太孫)が18歳なのに対して、傍系の皇嗣は一般の皇族と同じく20歳とすることも、②に含まれている。
これは天皇に事故があるなどして「摂政」を置く時に、未成年なら摂政になれないので、なるべく他の皇族ではなく、次代の天皇たる直系の皇嗣を摂政にあてるためだった。
もちろん現代では民法の改正で、一般の皇族も国民も等しく18歳で成年を迎える、という制度になっている。それでもすでに述べた通り、皇室典範には天皇と直系の皇嗣(皇太子・皇太孫)に限って成年年齢を18歳とする規定(第22条)が、そのまま残っている。
もちろん法的にはすでに意味を失った条文だ。しかし直系・傍系の区別を重んずべき“皇族の心構え”として、秋篠宮殿下ご自身にとっては必ずしもまったく無意味になったとは考えておられない可能性がある。
あえて18歳の成年式を避けた
すでに指摘したように、直系の皇嗣が次代の天皇たることが確定しているのに対して、傍系の皇嗣はそうではない。
一般的に言って、新たなご出産や制度改正などで「直系の皇嗣」が現れた場合、直系優先の原則によって瞬時に、皇位の継承順位が第1位から第2位に変更される。それによって、たちまち皇嗣でなくなる。だから、あくまでも暫定的なお立場にすぎない。
そのことを誰よりも心に刻んでおられるのは、おそらく秋篠宮殿下ご自身だろう。
そう考えると、その傍系の皇嗣のお子さまである悠仁殿下の成年式を、皇室典範の規定では天皇および直系の皇嗣に限った成年年齢である“18歳”のうちに行うことは、何か僭越な振る舞いのように感じられていたのではないだろうか。そのために、へりくだった奥ゆかしいご配慮から、あえて成年式を1年間も延期されるという、前例のない選択をされたのではないか。
少なくとも、成年式がここまで延期された理由について、消去法で考えると、他に説得力のある説明の仕方がないように思える。