今宮健太は「二刀流」で甲子園を沸かせた 「打倒・菊池雄星」に闘志を燃やし高校通算62本塁打・最速154キロ
父・美智雄さんが監督を務める、別府大平山少年野球部で野球を始めた。幼稚園の頃から、小学生に交じって試合に出ていたという。投手を始めたのは小学校3年で、明豊中3年時には、エースとして軟式野球の全国大会に出場している。 高校に進むと、すぐにショートの定位置を獲得したが、「硬式と軟式では、ボールの重さや速さ、弾み方などにギャップがあって。とくにゴロは、いまも捕りきらんのです」と語っていた。それがプロ入り後は名手になるのだからおもしろい。 今宮が高校1年の夏、大分の3回戦で敗れると、大悟法監督は今宮を投手に抜擢した。ことに外角低めの制球がよく、自滅することがないためだ。見込みどおりに、投手の軸に成長。打撃との両立に配慮した大悟法監督が好きな打順を選ばせると、「自分で点を入れ、自分で抑えて試合をつくりたい」と、エースとしては異例の1番を打ち、投打の活躍で、チームを選抜初出場に導いた。 だが、2008年の選抜はほろ苦いものとなった。相手は常葉菊川(静岡)。前年の選抜を制し、夏はベスト4、さらに秋の神宮大会でも優勝した実力校だ。その強豪を相手に、長打4本を含む10安打を浴び、6失点で敗れてしまった。今宮は当時をこう振り返っている 「さすがは全国ナンバーワンの打線です。ほんの少し甘くなったら打たれる。まだ、日ごろが甘いということ。もう一度鍛え直して、また菊川と対戦したいです。それにはとにかく、スピードアップしないと」 【投打で存在感示し甲子園初勝利】 その夏の明豊は大分の準々決勝で敗れたが、今宮自身は、大分大会の3回戦終了まで14回2/3を無失点に抑え、球速も146キロまでアップした。投手に手応えがあったのだろう、今宮はこう語っていた。 「選抜で常葉菊川に負け、夏も甲子園に出られなかった。投手で勝負したいという気持ちになりました」 あえて炎天下の時間帯を選んで走り込み、スタミナアップに努めたのはそのためだ。新チームでは大分を制し、秋の九州大会でも今村猛(元広島)のいる清峰(長崎)に敗れたが、ベスト4。