子曰、黙而識之、学而不厭、
誨人不倦、何有於我哉。
しのたまわく、もくしてこれを
しるし、まなんでいとわず、
ひとをおしえてうまず、
なんぞわれにあらんや。
先生が仰った。
沈默のうちに心に銘記する、
あくことなく学ぶ、人を導く
事に面倒がらず、それだけは
私に出来る。
私に出来るのは、ただそれだ
けだ。
先日亡くなった友人は普段は
外では見せぬ顔を持っていた。
私も彼の家によく遊びに行き、
また彼も一人で私の部屋によ
く遊びに来た。
そして、私たちがやっていた
裁判闘争を通した社会運動が
いよいよ佳境となった頃、彼
は私に説いた。
孔孟の教えとはいうが、彼は
孔子よりも孟子に非常に惹か
れていた。
普段、二人で馬鹿やる事が多
かったので、彼が論語読みだ
とはそれまでは知らなかった
が、一つの真剣なつきあいの
中で垣間見られた人の実像に
私は深く聞き入った。
彼の行動の原点にある思想性
には私も深く感銘を受けた。
仁・義・礼・智・信。
彼は孟子の説くそれに生きた。
曾子曰、吾日三省吾身、
為人謀而不忠乎、
与朋友交而不信乎、
伝不習乎。
そうしいわく、われわがみを
ひにさんせいす、ひとのため
にてはかりてちゅうならざる
か、ほうゆうとまじわりてし
んならざるか、ならわざるを
つたえしか。
曾子が言った。
自分は日に三度己を省みる。
人から相談を受けて真心を
尽くさないことはあったか。
友とのつきあいで信義を欠き、
不誠実であったことはなかっ
たか。
自分がまだ習得していないこ
とを人に伝えなかったか。
死んだ友との関係のコアは互
いにまさにこれだった。
真実のつきあいがそこにあっ
た。