Futamura takashi

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Futamura takashi
@ftdagashi
物書き、写真撮り。専門は旅、イタリア、乗り物、言葉など。著書に『ローカル鉄道と路線バスでめぐる 果てしなきイタリア旅』(草思社)、『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)、『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)、『鉄道黄金時代 1970s』(日経BP社)など 。写真は特記以外私が撮影。拙著拙サイトから再掲あり
dagashi.wpx.jpJoined June 2010

Futamura takashi’s posts

国鉄時代の上野駅(18)当時ですら時代遅れだと感じられた中央改札口の列車案内板。若手の職員が手作業で扱っていました。そして、ホームで読書にいそしむ男性。1974年12月
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千葉の鉄道その昔(17)武蔵野線開通前、工事中の新松戸駅。もちろん駅前予定地には建物が1軒もありませんでした。1971年7月
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豊橋駅と飯田線南部(1)名鉄のパノラマカーと国鉄飯田線の旧型国電が同じホームで並ぶ豊橋駅は、関東の人間にとって興味深いものでした。ネガカラーフィルムですが、当時のコダカラーはきれいに再現できますね。1973年3月
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イタリアに来ています。ジェノバの高台にある住宅地に向かう生活密着型ラックレール式鉄道。ケーブルカーじゃないんです😅
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国鉄時代の上野駅(24)正面玄関を入ったホール。中長距離切符の自販機がまだなかったころ、方面別に出札口がずらりと並んでいた様子をパノラマ写真風に撮ってみました。1980年4月
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これまでの鉄道写真で、一番気に入っているのがこれ(拙著や拙サイトにも掲載していますが)。撮影後10年以上たって見返して初めてしみじみと感じ入りました。自画自賛😀写っている人たちは、その後どんな人生を送ったのでしょうね。高校2年生の冬休みにリコーの二眼レフで撮影。1973年1月小牛田駅
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旧型客車のある風景(46)只見線、磐越西線、日中線に客車列車があったころ。会津若松駅南側の踏切から、側線に留置されている旧型客車や、ものものしい交流架線の下で盛んに行ったり来たりするC11が見られました。1972年8月
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千葉の鉄道その昔(16)武蔵野線の新松戸~西船橋開業。他人の記念写真に便乗して撮影(笑)40分ヘッドのダイヤが今は昔です。1978年10月2日
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駅の売店で新聞が飛ぶように売れていたのは、つい最近のような気がします。新聞の差し方によって、タケノコ差し、バイアス差しという名前が付いていることは知っていますが、どれがどれなのか。2002年撮影
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旧型客車のある風景(49)あまりに暑いので涼しげな写真を。小出駅で只見線用の客車の入れ換え作業中。全通前の小出~大白川は、1日5往復すべてがSL牽引の客車列車でした。1971年2月
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寒い日が続くので、気分転換😆に冷蔵車レ12000の写真を1枚。根室本線厚床駅で標津線に乗り換える合間に撮った下り411列車釧路発根室行き。DD51+ハザ2両+荷物・郵便車3両+冷蔵車4両の素晴らしい編成です。最後尾はレテ12453と読めますね。次は13519か? 1976年10月
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千葉の鉄道その昔(15)我孫子駅に停車中の成田線客車列車。常磐線に乗っていてたまたま目にしたので下車して撮影。コダカラーXはネガカラーフィルムだけど、粒状性がよくて発色がきれい。1972年10月
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今となっては車のほうに目が行く路面電車写真(その5)またタイトルを微調整(笑)これも拙サイトで公開している写真ですが、たまたまオート三輪が写っていたので再掲。都電38系統の 第四砂町小学校停留場。当時でさえ、これが1970年代の風景? と驚いたものでした。1970年11月
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千葉の鉄道その昔(2)房総西線(現・内房線)富浦駅に到着する115系湘南色の急行うち房。一般・通勤用車両まで総動員して海水浴輸送をしていました。撮るのはいいけど乗りたくはないなあ。1971年8月
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旧型客車のある風景(44)引き続いて三軸ボギーの救援車。渋谷駅構内脱線事故で新鶴見から出張ってきたスエ38の4と3。その先には操重車も2両。事故は大きなニュースになりましたが、たまたまカメラを持って通りかかかりました。中学に入ったばかりの小僧がキヤノンデミで撮影。1969年6月
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国鉄時代の上野駅(13)高校生となり、SLを追う一方で考えたのは、上野駅の独特な雰囲気を記録しておこうということ。年末の地平ホームに行くと、荷物列車が到着して郵便物の積み下ろしをしているところでした。カメラはミノルタSR-1sに。1972年12月
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車両基地の片隅で(41)「あと5年早く生まれていれば」とは、この趣味をやっている人なら誰でも一度は(いや何度も)思うことです。北海道・浜中町営軌道茶内にて。1976年10月
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千葉の鉄道その昔(9)拙サイトでも公開している写真ですが、千葉の鉄道といえば銚子電鉄を外すわけにはいかないので、デハ201と301が元気だった時代の写真から。1974年1月
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今となっては車のほうに目がいく路面電車写真(その10)横浜市電最終日。優雅な横浜港郵便局前を通過する1500型。右には横浜市営バス。タクシーは日産セドリックか? ミニスカートの女性が赤ちゃんを抱いている。この赤ん坊も今では50歳過ぎ。撮ってる私は当時中学生。1972年3月31日
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福島市に行ったついでに福島交通で飯坂温泉に。あまりの暑さに共同浴場に入る気もおこらず、町をぶらぶらした帰りに曽根田駅で下車。車庫があった時代をしのんで、定点写真を撮ってみました。1972年8月、2024年8月
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国電の時代(23)地上時代の仙石線仙台駅。宮城電気鉄道によって直流電化で開業した路線。73系電車が山手線のようなウグイス色に塗られて走っていました。1977年10月
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千葉の鉄道その昔(10)銚子電鉄のマスコット、デキ3が現役で働いていたころ……といっても動いているところを見られなくて残念。1、2枚目は仲ノ町のすぐ横にあるヤマサ工場引き込み線で1977年1月撮影。3枚目は仲ノ町構内で1974年1月撮影。4枚目は2003年7月の開業80周年
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千葉の鉄道その昔(3)通勤型ディーゼルカーと電車が共存していたころの千葉駅。電化した線区にやってきたのは73系でした。電化に期待していた沿線利用者はがっかりしたとかしないとか。1973年10月
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失敗作だと思っていたらの巻(その1)永代橋をゆく都電28系統日本橋行き。かぶられてがっかりしたけれど……今となってみれば、一世を風靡したこの車もまた懐かしい。1972年9月
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国電の時代(4)色再現が微妙ですが、ブルーの京浜東北線です。なんてことのない写真ですが、よく見るといろいろ写っています。1974年4月
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国電の時代(21)横浜線新横浜駅の73系電車。このときは、上りも下りもこの羊羹のような食パンのような切妻の車両がやってきました。1978年5月
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国鉄時代の東京駅(6)発車を待つ急行「桜島・高千穂」。ここから西鹿児島まで丸一日の旅がはじまります。既出かもしれないし、拙著にも出している写真ですが……。高校生だった私と友人たちは門司まで乗りました。70年代のファッションが懐かしい。1973年7月
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旧型客車のある風景(10)北陸本線水橋駅から乗車した下り243列車福井発直江津行き。日曜日だったので、9時過ぎの列車に乗る中高生は部活かな。機関車(DE10)が見える1両目に乗車しました。1978年8月
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