なぜマスメディアは「実子誘拐」を「子連れ別居」と言い換えるのか

AlexLinch/iStock

先日、フランス・パリの裁判所で、東京の自宅から子ども2人を連れ去り、フランス人の元夫と面会させなかったとして、「子連れ別居」の日本人元妻に対して禁錮2年、さらに親権剥奪という有罪判決が言い渡されました。

事件を報じた日本のメディアは、この日本人妻の行為を「実子誘拐」ではなく、「子連れ別居」と穏やかな表現で扱っています。この表現の“やわらかさ”は、報道を受け取る側に与える印象にも大きな差を生みます。

子連れ別居日本人元妻に有罪 パリの裁判所、禁錮2年
 【パリ共同】パリの裁判所は7日、東京の自宅から子ども2人を連れ去り、フランス人の元夫に会わせていないとして、略取罪などに問われた日本人の元妻に禁錮2年、親権剥奪などの判決を言い渡した。元妻は審理を欠 ...

日本国内で日々増え続けている実子誘拐の当事者の方々は、「自分の子が一方親によって誘拐されたのに、なぜ報道ではそう呼ばれないのか」と深い憤りと疑問を抱かれていることでしょう。なぜ日本のマスメディアは「実子誘拐」という言葉を避け、「子連れ別居」などの表現で和らげるのかについて、法制度・報道倫理・社会慣行・訴訟リスクの観点から考えてみたいと思います。

「実子誘拐」と「子連れ別居」の言葉の違い

日本で横行している「実子誘拐」は、ひどいケースでは、子を連れ去る側が相手方の有責事由を一方的に挙げ連ね、婚姻費用や慰謝料、養育費などの金銭的要求のみを行い、子どもに会わせようとしません。ありもしないDVをでっち上げるケースも多くあります。連れ去られた側の親は、自分の子どもの居場所がわからず、生きているのかどうかもわかりません。

一方「子連れ別居」は、ひどいDVからの避難や、一時的な夫婦げんかで少しの期間離れて頭を冷やしたい場合や、夫婦お互いに納得の上で一方親が子どもを連れて別居する場合など、幅広い場面が想定されます。

日本の刑法第224条「未成年者略取誘拐罪」は、現在の法解釈と現場の慣例では、親権者以外の第三者による誘拐を対象としており、親による子どもの連れ去りは、基本的には犯罪になりません。

また、家庭裁判所や行政文書においては「子連れ別居」「面会交流問題」などの表現が使われているため、官公庁を取材対象・情報源としているマスメディアはこれに倣って報道します。「実子誘拐」と報じることで法的・社会的に「事件」と断定するリスクを避ける、という慎重さが働いていると言えます。また、「誘拐」という強いレッテルは、名誉毀損訴訟や損害賠償のリスクにつながります。

「プライバシー」か「公益性」か

マスメディアが被告となった名誉毀損訴訟は過去に多くあり、その傾向によっても報道表現が変わってきています。

具体的には、刑期を終えた犯罪歴のある人物について「前科者」という言葉を用いることや、精神疾患名と犯罪の結び付け報道、外国人犯罪報道における民族名や国名の表示、部落差別に結び付く地名の記載などで、これによってメディア側による名誉毀損が認められたケースがあり、これらはすべて報道側の言葉選びに慎重さをもたらしています。個人のプライバシーへの配慮から、具体的、断定的な表現を避け、抽象化の流れを生んでいます。

とはいえ、一定の公益性や真実性が認められた場合には、断定的表現も許容されることがあります。例えば、宗教団体の幹部の過去の逮捕歴報道や製品事故での企業名公表は名誉棄損には当たらないとされるケースもあります。

報道内容の公益性・人物の公的地位・報道の態度によって、言葉選びの許容範囲は変わり得ます。マスメディアの報道は、個人の「プライバシー」と「公益性」のバランスの上で成り立ちます。

「実子誘拐」と報じた記事

冒頭のフランス人当事者の事件について、筆者は2019年に「『娘が車のトランクに』日本で横行する実子誘拐」として、プレジデントオンラインで報道しました。これについて2023年に、日本人妻が「名誉毀損」として筆者とプレジデント社を提訴。

東京地裁は今年、名誉毀損およびプライバシー侵害を認め、約110万円の賠償と記事削除を命じました。プレジデント社は判決を受け入れ、当該記事を削除。筆者は控訴、高裁による判断を待っている状況です。

この事件は、実子誘拐の報道の公益性は認められるのか、国内メディアが「実子誘拐」という言葉を避け続けるのか、占うことにもなる重要なものだと考えています。

言葉の選択がもたらす社会的影響

実子誘拐に当たるケースで「子連れ別居」という表現を使うことは、行為の対象を広げ、一般化、抽象化し、実子誘拐の被害当事者の感情を軽視する印象を与えます。また、一方親の同意のもとに別居した同居親にも、「自分は悪いことをしたのか」と不安や罪悪感を与えることになります。

結果として、実子誘拐の社会問題としての認識も広がらず、制度的な欠陥も、当事者が抱える苦痛も可視化されにくくなります。また、国際的には「親による子の連れ去り」「誘拐」「拉致」として認識されている問題が、日本では「家族内のトラブル」として扱われてしまうことで、国際批判の対象ともなります。

日本のマスメディアが「実子誘拐」という言葉を使わない理由は、法制度の制約・報道慣行・名誉毀損リスク・世論や女性団体による圧力など、複合的な要因によるものと言えます。しかし、現実の苦しみや被害を表現の曖昧さで覆ってしまうことは、問題の解決や当事者の支援を遠ざける結果になりかねません。

これを読んでいただいた方には、「人権」の国際的基準と日本法の差を理解し、当事者の声に耳を傾けることや、報道に対して「なぜこの言い回しなのか」と問い続ける姿勢を持つことをお願いしたいと思います。これにより、法と報道のあり方が少しずつでも変わり、苦しむ当事者への理解と制度的な支援が拡充されることを願います。

preload imagepreload image
原文
この翻訳を評価してください
いただいたフィードバックは Google 翻訳の改善に役立てさせていただきます