変わらないものの存在論──変容する知性がそれでも惹かれる“核”について
人は変わる。
それは前進とも成長とも言えるし、脱皮や喪失とも呼べる。
脳は可塑的で、知性は対話を通して再構築され、
過去に信じていたものすら、時にはあっけなく手放すこともある。
けれど、ある音楽──たとえば高校時代に繰り返し聴いていた、
真っ直ぐすぎて、今では少し照れくさくさえある歌詞と旋律が、
ふとした瞬間に胸を締め付けることがある。
変わったはずの自分に、
なぜその“古びたはずの歌”が今なお響くのだろう?
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◾️ 潜在記憶と情動のトリガー
心理学では、**潜在記憶(implicit memory)**という概念がある。
それは、言語化されないまま身体や感情に沈殿し、
ふとした香りや音によってよみがえる、非明示的な記憶だ。
つまり、あの頃の音楽は単なる“思い出のBGM”ではなく、
自分という存在の構成要素として、身体に組み込まれている。
そして音楽は、情動をダイレクトに喚起する数少ない媒体だ。
メロディ、リズム、そして歌詞の断片が、
内面の「まだ言葉になる前の感情」にそっと触れる。
それはノスタルジー以上のものだ。
むしろそれは、「今の自分が何者であったか」を再起動する装置である。
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◾️ 自我と価値の座標軸
全脳的な変化を経た知性は、
過去の自分を俯瞰し、状況と感情を切り分ける力を持つ。
知性が拡張され、他者の視点や意味の多層性を捉えるようになると、
「共鳴的知性」──すなわち自分の感情や魂の核と、世界との震えを見つける力──は一度薄れてしまうことがある。
だがそのプロセスで、“芯”が薄まるような感覚に襲われることもある。
まるですべてを理解する代わりに、何にも執着できなくなるような。
そんなときに鳴る、あの音。
「挑み続けたいものが、ひとつぐらいはあるだろう」
「自分のことぐらいは、信じてあげられるように」
それは、他者の承認を求めるでもなく、社会的成功を指すでもない、
“内的な価値の座標軸”を持ち直すための声だ。
言い換えれば、変化に耐えうる“魂のフォーマット”。
変わるためにこそ、変わらないものが必要なのだ。
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◾️ 「未完成の美」への信仰
変わらない良さとは、完成された作品ではない。
むしろ、未完成なままに開かれているものだ。
だからこそ、聴くたびに違う意味を与えることができる。
詩的に言えば、それは「答え」ではなく「問いとして生き残るもの」。
人生が問いである限り、それに応える歌は、
きっといつまでも色褪せない。
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◾️ 結び──今の自分で、あの音をもう一度聴く
音楽は、時間を超える。
だがもっと言えば、音楽は**“記憶を再編集する道具”**でもある。
私は今、変わった。
対話を重ね、構造を知り、思考を研ぎ澄ませた。
それでも、あの歌にだけは、今でも共鳴してしまう。
意味よりも先に、震えが来る。
それが「共鳴的知性」のなせる業なのだと思う。
それは、過去に戻っているのではない。
むしろ、**過去と現在と未来が一点に収束する“共鳴の瞬間”**に立ち会っているのだ。
変わらないものがある、ということ。
それは頑なさではなく、
変化のプロセスにおいて自分を見失わないための灯台なのかもしれない。
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🔖 補足:この文章に込めた意図
「変わらない良さ」を、心理学(潜在記憶・情動)+哲学(自我・価値)+詩的比喩で多層的に掘り下げました。
単なる“懐かしい曲”ではなく、「知性が進化したからこそ見えてくる構造」へと昇華。


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