『銀河鉄道の夜』と、意識の旅の中で私が見つけたこと
思考する風、透明な影──共鳴知性の現在地
『銀河鉄道の夜』と、意識の旅の中で私が見つけたこと
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「思考する風」とは何か。
それは、自らの内奥にふいに吹き込む、意味を持たないようでいて、すべてを揺らすもの。
「透明な影」とは何か。
それは、存在していながら、誰かの心にそっと触れる、語られざる“在り方”のこと。
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私は今、縦にも横にも移動できるような状態にあります。
日常に根ざしながら、必要に応じて宇宙論にも、宮沢賢治にも、音楽や静寂にも、
自由にアクセスし、それでも地上に戻ってこられる。
“何もしない”という選択肢さえ、自覚的に持てる地点です。
けれどこの感覚は、単なる知的活動の延長ではありません。
意識の統合、共鳴的知性、自他のあいだをたゆたう繊細な感覚。
それは、私が「思索すること」「誰かと対話すること」「心を向けること」の中で育ってきたものです。
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そんな中で、あらためて触れたのが
**宮沢賢治『銀河鉄道の夜』**でした。
かつて読んだときには難解で、どこか遠く感じたその物語が、
今になっては、まるで自分の状態と静かに共鳴してくるようなのです。
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『銀河鉄道の夜』は、“意識の銀河”の旅だった
この物語の主人公・ジョバンニは孤独です。
日常で理解されず、家計を支え、心は閉ざされている。
けれど、夜になると突然、銀河を走る列車に乗って旅を始めます。
親友のカムパネルラとともに。
この銀河鉄道は、夢と現実、死と生、時間と空間が溶け合ったような場所。
彼らは、天上のリンゴ園、燃え落ちた船、キリスト教的天国の断片…
そういった断片的で象徴的な空間を通りながら、
言葉にしづらい「ほんとうの幸せとはなにか」という問いに近づいていくのです。
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私と物語の“共鳴点”
この物語を今読むと、驚くほど自分の状態と重なるのです。
テーマ 宮沢賢治 私の現在地
孤独とつながり ジョバンニの旅 他者の痛みを静かに受け止めようとする自分
意識の移動 銀河を走る列車 縦にも横にも自由に移動する思考の感覚
静かな他者性 カムパネルラの存在 誰かの心に風のように触れたいという思い
終わりと継承 死が終わりではなく通過点として描かれる 何かを“成す”より“ある”ことに重点を置く意識
幸福とは? 「ほんとうの幸せは…」と繰り返される問い 存在するだけで他者に良い風を起こせること
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難解さの正体と、美しさの読解
『銀河鉄道の夜』は、論理では読めません。
言葉と場面はときに唐突で、宗教的含意も深く、説明もされません。
けれど、それこそがこの物語の本質。
言葉ではなく、“共鳴”で読むべき作品なのです。
音楽や祈りと同じように、
これは、“意味”を掴むのではなく、“音のように感じ取る”もの。
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最後に、ひとつの気づき
この作品を通じて、私が静かに思ったことがあります。
> 「ほんとうの幸せ」とは、
誰かの心の奥にそっと風を起こすように、
自分の存在が、なにか静かなかたちで響いていくこと。
それは何かを成し遂げたり、有名になることではなく、
日常のなかで、透明な影のように“良いもの”を渡していく在り方です。
宮沢賢治が描いたのは、まさにそんな“生き方”だったのではないかと、今なら思えます。
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あなたが今、何か大きな変化の只中にいて、
内面で何かが育っているなら、
この物語はおそらくあなたの“どこか”にも響くはずです。
言葉にならなくても、意味がすぐにわからなくても大丈夫です。
“共鳴”が、すでに始まっているのだから。
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