目次
ブックマーク
応援する
8
2
シェア
通報

#02

     2


 ホンが目を覚ましたのは、籐で編まれた寝台の上だった。


「――はっ!」


 薄暗い中、思わず身を起こし、震える身体で荒く息を吐く。腰のあたりにかかっていた、地厚の掛け布が滑り落ちた。


 ホンはぼんやりとそれを見下ろしていたが、やがてのろのろと身を乗り出すとつかんで引き上げようとした。


 力が入らなかった。さして重くもないだろう掛け布が持ち上げられない。


 そうこうするうち、天地の感覚がひっくり返った。音を立てて硬い床の上に背中から転がる。


 しばらくそのまま梁の横切る屋根裏を見上げてから、ホンはゆっくり身体を起こした。


 片膝を立て、それを抱えるように身体を支えながら辺りを見回す。


 空の寝台が三つ四隅に置かれている以外、部屋にはなにも見当たらなかった。


 次第に意識が明瞭になってくる。


 同時に、それまでぼんやりとしか感じていなかった肩と背中の違和感が、突然苦痛となって襲いかかってきた。


 ホンは顔を顰めて背中を丸め、うめき声をあげる。


「くそ……いったいなにが」


「ふむ」


 まったく気配を感じなかった。


 目を見開き、顔を上げて声の方向に首をねじ曲げる。


 途端、稲妻のように走った痛みに表情を歪めながら、ホンは戸口のあたりに立つ外衣の人影を見た。


「思ったよりも早かった。身体が頑健なのは好ましいことだ」


 ホンが短剣で切りつけた娘ではなかった。


 そもそも体格が違う。痩身ではあったが、頭ひとつかそれ以上背が高かった。


 声もいささかかさついてはいるが、あの異様に嗄れたそれではない。


 やはり深く被った頭巾のせいで、その奥の顔は見えなかった。


 こいつも、あの娘のように仮面をつけているのだろうか。


「あ、あんたは?」


 頭巾がかすかに傾げられる。


撫嵐ブランだ。なるほど、那范ダハンの言う通りのようだ。しかとはわからぬが、確かに面白げな才がある」


 才、才、才。会う人間ごとに同じことばかり。あの仮面の娘といい、巨人――操兵に乗っていた女も然り。


 ホンは内心うんざりしながら、こう尋ねた。


「教えてくれ。おれにどんな才があるっていうんだ。虫や蜥蜴の息遣いが聞こえるってだけで、他になにも――」


 ブランは首を傾げたままその言葉を聞いていたが、ややあってこう答えた。


「虫や蜥蜴だけならば。おまえはこれからさまざまなことを学ぶが、それの一部でも身につけることができれば、その才はおまえをおおいに助けることだろう」


「学ぶ?」


 ブランは大袈裟とも言える動きで大きく頷いた。


「いかにも。おまえは学ばねばならない」


 ホンは痛みを無視して、胸をそらすように立ち上がった。


「学ばねばならない? 別に望んでここにきたわけじゃない。おれには面倒見なきゃならない家族がいるんだ、帰らなくちゃ」


「ふむ。好きにすればいい、それが可能なら」


 ブランはそう言って半身を引き、扉の外へ差し招いた。


 ホンは怪訝な顔でブランを見遣ってから、おそるおそるその脇を通り抜けた。


 部屋の外は長い廊下だった。内と外を仕切る壁はなく、簾が巻き上げてある。


 廊下の外は、白砂の敷かれた庭園になっていた。雑草ひとつ見当たらず、数短距リート(一リートは約四メートル)向こうの塀まではなにもない。


 塀の高さはホンが腕を伸ばせば上に届く程度だった。作りも隙間だらけで、たやすく乗り越えられそうに思える。


 あたりをうかがってから、ホンは廊下の縁から外へ飛び降りた。


 見た目より白砂の目は粗く、砂利に近い感触だった。それを裸足で踏みしめながら、ホンは塀に向かって駆け出した。


 ほんの数歩で塀にたどり着く。勢いをつけて飛び上がり、手をかけたと思った途端、ホンは寝台のある部屋の中に戻っていた。


「どうした?」


 背後に立つブランが小首を傾げる。


 ホンは驚きに目を見開いた。そうして身を翻し、ブランを押しのけて再び廊下に出る。慎重に見回すが、少なくとも先刻と変わるところはないように思えた。


 ホンはひとつ深く息をつき、勢いをつけて外へ飛び出した。砂を強く蹴り、今度は数歩で塀の前にたどり着く。


 そこでホンは足を止めた。


 違和感がある。先刻は必死さが勝って気づかなかったが。


 ホンは振り返ってブランを見た。


「ほう、気づいたか。これはまこと、ダハンの言う通りのようだ」


 戸口から差し込む光を背に、ブランが立っていた。


 ホンが立っていたのは、またも寝室の中だった。


「これは、どういう……」


「それを知りたくば学ぶことだ。学びを究められれば、われらを出し抜いて好きにすることもできるかもしれないぞ」


 ブランが低く笑う。


 ホンは言葉を失った。


 外に出て庭を横切り、塀に取り付いたと思った瞬間、部屋の中に戻されている。


 いったい何が起きているのか。


 ただ、確信はあった。


 これには、何か奇しい術が絡んでいるのだろう。


 あの仮面の娘が、操兵と術で戦っていた光景を目の前にしたのだ。あれに類する何かがここで使われていないはずがない。


「さて、一緒に来る気になったかね?」


 ブランがそう言って廊下の外に出る。ホンはその背中をじっと睨みつけたが、諦めたようにため息をつくと、それについて部屋を出た。


 黙って従うしかない。


 それがひどく業腹だったが、いまそれを晴らす時ではないことはわかっていた。



 長い廊下の端は渡り廊下につながっていて、その向こうには大きな建物があった。


 見たこともない造りだった。


 建物を支える無数の柱は太く、まっすぐな木を滑らかに磨き上げたもので、継ぎのない一本の梁が、その端から端まで渡されていた。


 それらの端々には緻密な装飾が彫り込まれ、彩色されていて、建物全体が巨大な美しい細工物のようですらあった。


「ここだ」


 ブランは言って、渡り廊下を端に寄って振り返った。


「中に入れ。おまえたちの世話役が待っている」


「たち?」


 ホンの言葉は無視され、ブランはただ頭巾を小さく傾げて見せた。


 中に入ると意味がわかった。


 そこには、ホンと似た年恰好の連中が四人、円座を敷いて座っていた。


 一番身体の大きな少年が、不機嫌顔でちらとこちらを見た。


 残りの連中も眉を顰めて振り返る。


 その視線にきまり悪げな思いをしながら、ホンは一番手前に置かれた円座の上に腰を下ろした。


「揃ったようだな」


 その声に顔をあげる。信じられないほど広い板張りの広間の真ん中に、見覚えのある人影が立っていた。


 彼女は頭巾をかぶっていなかった。だが、例の仮面はつけたままだった。


「わたしはバラハン。おまえたちの世話役を言いつかった」


「世話役?」


 そう声を上げたのはホンだった。


 バラハンは仮面のまままっすぐホンを見返した。


 その視線に射すくめられた瞬間、ホンは思わずうつむく。あの時、外衣の裂け目からのぞいた裸身が、残像のように目の前にちらついていた。


 バラハンはなにも言わず、ただじっとホンを眺めていたが、ややあってふたたび全員に向かって続けた。


「ここで生きていく保証はしよう。見返りに、おまえたちはわれらの課す務めを果たさなければならない」


「別におれは、おまえたちに面倒を見てもらおうとは思ってない」


 ホンが言う。


「ここに望んで来たわけでもない。家族はおれを待っている。帰らなければならない」


 ふたたびバラハンの返した視線は、どこか面白がるような光を帯びていた。


「ならばそれでもよい。務めを果たさねば見返りもない。それだけのことだ」


 言いながら、バラハンは残りの四人を見下ろした。


「おまえたちもだ。やつとおなじ考えなら、好きにするがいい。家に戻っても責めはすまい」


「そ、それだけはご勘弁を!」


 例の大柄な少年が、這いつくばるように頭を下げる。


「おれたちには戻るところなんかありません。どうぞ、お見捨てにならないでください」


 その声は哀れなまでに震え、ひび割れていた。


「帰ってもまた売られるか、山奥に捨てられるかだけです。どうかここに置いてやってください、お願いします!」


 その言葉に、近くで呆然としていた残りの子供たちも、額を擦り付け平伏する。お願いします、と口々に懇願しながら。


 ホンはただそのさまを見ているしかなかった。

ネオページに新規登録してみませんか?
マイページの便利な機能が利用可能!読書活動を参照して、読みたい作品をスムーズに確認できる!
読書履歴が一目で確認!
魅力的なキャンペーンが充実!アマゾンギフトカードなどもお手軽に獲得できる!
お気に入りの作家を応援できる『応援チケット』を毎日届きます!
作家や読者とのコミュニケーションを楽しめる!
コメント(2)
https://neo-op-common.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/FD97CC3A819C5A9556C62D492431294B8529F1DCDAC8F99FD9AC6D078C4AB632.png
#1を1〜5に分割いたしました。 更新ではなく申し訳ございません。 #6からが次回投稿分になります。
2
0
1
0/2000
https://neo-op-common.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/8BC1C469302B4FD42888059A8D8A77CF9E27B122D8324FC23782EFD3EB6AA8B2.png
遅ればせながら追い始めたら、なんか凄く懐かしい名前が……!
1
word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word

mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1