Mineo Takamura・髙村峰生
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Mineo Takamura・髙村峰生
@mineotakamura
Comparative Literature, American Literature, Creative Writing; Ph.D; American, British, French and German; Modern and Contemporary; Teaching at KG.
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しかしこれだけのヒットでも、まだまだ「『鬼滅の刃』の興行収入300億<アベノマスクにかかった費用500億」というのは、稼ぐのは本当に大変だが、使うのは一瞬であるという教訓を与えてくれるなあ。
しかし、本当に人間は年を取ると「教育を変えなければならない」と言いがちだが、日本は大学卒業後以降の学習時間が先進国でかなり低く、こちらのほうが改善の余地がある。
東大出身の優秀な国家官僚が…っていう言葉を聞くと、東大の学部卒業程度の学力を高く見積もり過ぎているとしか思えない。博士課程を終わった後で振り返れば、ほんとうに何も知らないひよっ子だった。これはまったく掛値なしにそうである。
たまに、「映画は純粋に娯楽として楽しんでいるので、難しいことは考えたくありません」という感想をもらうと、「難しいことを考えること」にも「娯楽性」があるということをどう伝えられるかを考える。「自分には難しいことは分からない」という諦めをどう突破するか。
「リスキリング」とか「学びなおし」が提唱されてはいるが、たいてい、資格を取るのを支援するとかそういうもので、たとえば40代になって人生の問題として、本格的に哲学や文学を学びたくなったサラリーマンには支援はない。そういう人は結構いるはずだと思うけど、公共的な問題とは捉えられていない。
僕のアメリカ人の恩師は、授業中に誰かの携帯に電話がかかってくると、めっちゃワクワクした顔をして「切るな。電話に出て!さあ!」といって隣に腰かけて、通話させる人だった。。。みんな絶対そんな目にあいたくないから効果は絶大であった。
あと、これはひどい修士論文だ。。。見るも無残だ。自分には才能がない。やめよう。。と思ったあたりが入り口です。そこが終わりではなく、入り口なんです。でも、けっこうこれでやめちゃうんですよね。
博士号を取った人でも、自分より中卒や高校中退の人のほうがよほど賢い局面は確実に存在するという気持ちを失ったらだめだと思う。自分はこれをかなり強く持っている。人間の能力のヴェクトルは非常に多様である。
浪人するくらいなら、とりあえず大学に入ってしまって、大学院で希望の大学に行くっていう手段は、受験生のうちはあまり考えない。学歴ロンダとか馬鹿にする人はほっておけばよくて、実質的にもこれが学問を深める方法として真面目に検討されるべきだと思う。浪人2年の間に修士号が取れる。
「話すのはうまいが、書くのは苦手」というタイプの人は、この世の中だと表面上はうまくいっているかのように見えても、深いところでは躓いていると思う。逆に、「話すのは下手だが、書くのは得意」という人は、この世の中だと一見躓いているようだが、深いところでは大丈夫である。
河合塾で、90分の授業のたった15分だけストライキしても生徒に迷惑をかけてはいけないなどという批判が起こる、というのは労働者の権利を無視した変な話だと思う。
しかし、大学一年生に対してアリストテレスを読もう、ドストエフスキーを読もうと言うと場違いで、国際ボランティアに行って他国の文化を体験を通じて学ぼうと言うと正しいように響くのが今の大学だとしたら、その空気は誰が作っているのか、、、ということをきちんと話し合いたい人はいないよな。
あとJ. D. Vanceがヒルビリーの貧困家庭から苦労して出てきて立身出世のために頑張ったという彼の自伝のストーリーをみんな鵜呑みにしすぎである。この点については2019年に英文学会で発表した。「オハイオの痛み、あるいはヒルビリーは存在しない――J. D. VanceのHillbilly Elegyと政治的情動の問題」
"Go to travel"も"Go to eat"も不思議な英語で、減点対象です。こういう間違いの悪影響は大きい、ということを意識して欲しいんだけど。
2013年に「今後10年で世界大学ランキングトップ100に10校ランクインさせる」と安倍元首相が言っていたが、来年がその10年目である。
どうして東大をめぐる言説ってどうしてこうも「入るまでの物語」になってしまうのか。入った時点でエリートなんてありえない。大学に入ってからの4年間や大学卒業後勉強している人とそうでない人のあいだにどれだけの差が生じているかに世間は全く無関心で、大学入学時の実力を高く見過ぎ。
昔、ロシアから来たと言う人に自分はドストエフスキーがめちゃくちゃ好きだと言うと、ほんまですか、実際に読んだことがあるというアジア人には初めて会ったというので、何を言うか、チェーホフもプーシキンも読んだことがあると言うと、ほんとに泣き出したことがあった。今日、それを思いだした。
青学の16万円給付付きの博士後期課程の件は、現状では「少ない」などと文句を言っている場合ではなく、とても大きな前進と言っていい。これ目当てに青学の大学院に行く人が増えれば他大も真似をするかもしれないし、いい流れを促進すると思う。
「詩が分からない」という呟きを見て、すごくいい加減なことを呟くと、たぶん、大岡信編の『現代詩の鑑賞101』と高橋順子編の『現代日本女性詩人85』の2冊を通読するだけで、あ、なるほど、と思うんじゃないかと。小説だと2冊読んだだけで読めるようになるとは思わないので、詩のほうが簡単とも言え
長年の卒論指導の観察では、①発想はいいが上手くまとまらないタイプ、②ひとまず無難にまとめられるが、無難すぎるタイプ、③型だけが先行し議論が充実しないタイプ、④議論が迷走するタイプ、⑤どうやっても書けないタイプ、などがある。それぞれに有効なアドバイスがある。
英語を身につける動機として「映画を字幕なしで見る」ということがしばしば言われるけど、これはTOEIC950点や英検1級取るよりは確実に難しいです。正直、自分も、映画一本見て、全部聞き取れたと感じることはあまりない。
この10年くらいで蒔かれた種によって、左派は今後ますます情動的な共同体になると思う。たとえば、与党政治家の「顔を見るだけで嫌気がする」というような共感をベースとして。すでにそういう反応が多いと思うけど、知識人の振る舞いとしてこれはまずいよ。
個人的にかなり大事な短編集で、表現における離散的なものについて考えさせられる。デュラスとの共通点もあるが、より生真面目な感じがする。
大学で教えていると、大学生になるまでに本格的な海外文学に一度も触れたことがないことによる損失の大きさをいつも痛感する。18歳ではある程度自我が完成してしまっていて、すでに文学の入りこむスペースがほとんどないことも多い。音楽や美術の早期教育と共通する面もあると思う。
「識者」と呼ばれる人たちは日本型の受験は時代遅れだとか、詰め込み教育はよくないと言ったりしますが、やはり毎年国公立大学の力の入った良問を眺めると、2日間で多くの科目を長時間かけて受験する総合戦が、10-15分の面接と提出書類で合否を決める形式より劣っているとはとても言えないです。
現在の高校では、夏目漱石の代わりに駐車場の契約書を読ませたりするほどだから、英詩など文学を読むことが英語の面白さ、深さを伝えるなどとは文科省は鼻から思っていない。が、それは高校生の知性・感性を軽んじた態度で、英語など「実践」の道具にすぎないという考えが結局は学習意欲を削いでいる。
社会が正常に働いている時は、研究者は狂人という本来の姿になれる。研究者が常識人のような仮面をかぶらないといけないのは、社会の方が狂っているからである。これはまったくもって本意ではない。ちょっと社会の皆さん、私たちに狂気のスペースを返して欲しい。
「暗記を中心とする教育が古い」という考え方自体は正しい、と思いたがる人がやはり多い。学生もまじめな人ほど、これを内面化してジレンマに陥ってしまう。「英語は暗記科目なのでガンガン覚えてください」って言ったら、精神的に楽になったという学生がいた。なんだ、暗記していいんだ、っていう。
文系でも高校で世界史選択しませんでしたっていう人は多くて、英米文学を教えていても歴史の授業の要素を混ぜるんだけど、大学に入ってからでも世界史の教科書は読んだほうがいいと思う。理系でも。まずはこれが基本という感じなので。
しかし、大学入学より前だけを教育の問題として語りがちな傾向はおかしい。30代、40代、50代にとって教育はどうあるべきなのかという視点がないと、「自己啓発」が暴力的にすべてを置き換えてしまう。自分が見る限り、18歳以前より、18歳以降のほうがはるかに問題である。
前に『ユリイカ』なんて田舎の陰気な若者しか読まねえよ、みたいなことを批判のつもりで書いていた人がいたけど、これには非常に励まされた。自分の理想の読者は田舎の陰気な若者ではないかと思う。
事実は検索できるので暗記しなくていいという態度は、議論のために都合のいい事実を寄せ集めるという行動にすぐに結びつき、自分の中で様々な知識が衝突しあうことなく、断言することを容易にする。
実は、大学の2018年問題というのは人口減少だけに焦点が当たっていて、40代というこれから子供が大学に行く世代の平均収入の減少という問題が見えていないと思う。単に自然減で18歳人口が減るだけではなく、大学に行かせる経済的余裕がない家庭が今後ますます増える。
関学の大学院博士後期課程の授業料は、今年度から本当に免除です。これは先駆的なのでは。優秀な人材が集まると嬉しい。さらに、学内でもちょこちょこ雇用機会もあります。
中田敦彦がデカルトについて間違う一方で、我々学者は専門が違うとデカルトについては一言も言わずに一生を終えるわけで、これは後者のほうが優れているとは別に自分は思いません。
実は6年間留学していても、このトランプの勝利を「肌でわかる」などということはない。というのも、大学にいると周りのほとんどが民主党支持者だからだ。しかし、その外にいるひとたちはどうも違うらしいということはうっすら分かるという、そんな感じだ。それだけアメリカというのは分断されている。
偏差値よりもよほど尺度のよく分からない評価のために、ティーンエージャーのいわゆる「まじめ」な層が振り回され、どう振る舞えば「大人受け」がいいのか、というのを、意識的か無意識的にか内面化していて、そのことが発想の自由を抑圧している。それが「主体的な学び」の負の効果である。
現在の倫理・道徳的な断罪の仕方になじめないのは、メディアに「あいつは悪いですよ」っていうヒントをもらって初めて成立しているところがあるから。自力でそうした「悪」を発見しないのは、本当は倫理的な判断などに興味がないんじゃないかと思う。オリジナルな倫理的判断を行っている人は少ない。
僕は卒論、修論、博論のなかで、精神的に最もきついのは修論、もっとも失敗しやすいのも修論と思っています。それで満身創痍になって、「私は研究者に向いていない」と退場する人が結構多い。24、25歳というのは難しい年齢でもあると思います。
ファシズムを専門とするジェイソン・スタンリーが現在のアメリカは「ファシスト独裁主義」に陥る危険性があるとして、イエール大からトロント大に移動。コロンビア大学の政権からの介入に対する無条件降伏、並びにそれに対する他大学の連帯の欠如をアカデミック・フリーダムの危機として重く見ている。
ハーヴァード大学が提供している「世界文学」の無料講座。動画を見て受講するスタイル。ちょっと覗いてみたが、これは個人のクラスではとても達成できないクオリティ。
Replying to
だいたい今の彼を見ていても、彼が書いたものを100%信じるというのは、まったくおかしな話なのに、わりとそこは信じる識者が多い。「そこまでヒルビリーでもない」というのが2019年当時の自分の結論です。
都会の裕福な高偏差値の学校出身の人は、古典的な意味で「文化資本」が高いというのは、もはや幻想だと思う。そもそも身体的にも知識的にも「文化」への欲望や権威が下がっているので、そんなものを「身に着ける」ことが重要という認識が崩壊している。
せっかくなのでもう少し紹介しておくと、この2冊は、上に詩、下に解説があるので、まず上の詩を読んで自分なりに考えてから下の解説を読むと、だんだん大岡信と高橋順子の考えが分かり、詩も見えるようになるという、俗に言えば現代詩のチャート式問題集とも言えるお得な2冊だと思います。
先生方。あんまり見かけない角度のアドバイスをすると、オンラインで授業するときは、学生の後ろでお父さん・お母さん等々が聞いているかもしれないと思って授業しないとだめっすよ。いつでも潜在的な授業参観日。
素晴らしい。映画評論家が選ぶベスト映画をまとめたサイト。蓮實や淀川、四方田らのリストも。
「英語は勉強したら負け」的な発想が大人気になるのは分かる。「勉強したのに身につかなかった」という経験を持っている人が、ほとんどだから。「勉強が足りなかった」というふうには思いたくない、ということだと思う。この心理をビジネスにしている悪徳業者が「勉強したら負け」と宣伝する。