プジョー乗りとプジョー乗り?
今回はちょっと力作?です。
イメージは…1980年代、フランス・マルセイユ。国家警察介入部隊GIPNが、秘密の突入作戦のため某地区に出動していたものの、自転車に乗った少女が現場に迷い込んでしまい…というような感じ。
まず、「GIPN」って何?かというと。
1972年9月に西ドイツで発生したミュンヘン事件などを契機に、フランス公共安全中央局(DCSP)が編成した特殊部隊です。
まず、1972年10月27日、マルセイユで、ジョルジュ・グエン・ヴァン・ロック警視監の指揮下に1個隊が設置。その後、1985年までに7個隊が編成されたほか、1992年~1993年には、海外県・海外領土に3個隊が追加編成され、計10隊が整備されています。
なお、名前が似ていてややこしいとされる国家憲兵特殊部隊「GIGN」の創設は、1974年。なので、GIPNがフランス初の本格的な警察系対テロ特殊部隊となります。
各地のGIPNは、国家警察総局(DGPN)の指令に応じて全国に展開可能ではあったものの、基本的にはそれぞれの拠点近傍の事件に対応していました。
GIPNでは対応困難な事案に対しては、パリ警視庁が設置したコマンド対策部隊(BRI-BAC)というのが投入されていたのですが、これは捜査介入部の刑事達で構成される寄せ集め部隊であり、本来は人質救出・対テロ作戦に専従する人員でなかった事から、出動が重なると通常業務に支障をきたすおそれがあった他、パリ警視庁の部隊であるため、DGPN指揮下にはなく、パリ圏外への投入には、その都度、内務大臣からの命令を受ける必要がありました。
この事から、1985年10月23日、DGPN直轄下で、全国規模で対テロ作戦に対応する別部隊「RAID」が創設されることになります。
これにより、DGPN指揮下に2系統の特殊部隊が併存することになったため、1995年8月4日、内務大臣令によってGIPNの運用方針が確立され、組織、交戦規定、管轄区域、任務、行動原則、活動の実施、活動調整が明白化されました。
例えば管轄地域に関しては、RAIDが都市部、GIPNがそれ以外の地区で活動する、といった具合です。
2009年12月1日には国家警察介入総隊(FIPN)が創設され、GIPNの作戦指揮はRAIDやBRI-BACと統合。その後、2015年4月に国内の7個隊はRAIDに統合・廃止され、海外の3個隊のみが存続する事になりました。
フランスにおける対テロ特殊部隊の始祖であるGIPNですが、今ではRAIDやGIGN、BRI-BACなどの陰に隠れてしまった感がありますね…。
で、先述した通り、今回はGIPNの中の更に始祖であるマルセイユの部隊を描いたつもりです。
右端がミキ、覆面車のプジョー505を挟んで反対側に立っているのが弥生、トランク覗いているのが的士です。
ミキがいじっているのはアメリカン180。どっちかというとマイナーな銃器ですが、.22LR弾を使用するアメリカ製のサブマシンガンです。マガジンはドラム式で装弾数は実に177発、発射速度は1,200発/分を誇ります。
銃身の下に付いているのは何かというとレーザーサイト。昔はこんなバカデカいの使っていたのです。
フランスでは、80年代にマルセイユGIPNとBRI-BACでそれぞれ1挺ずつが運用されたらしいです。
そして、左端の少女ですが…はい、また性懲りもなく「アオバ自転車店」の峠アオバを描いたつもりです。
しかも今回は彼女の愛車(自転車)プジョーNS40まで描いちゃいました。
このNS40という自転車、宮尾岳先生にとって思い入れのある車種で…詳しい事は「並木橋通りアオバ自転車店」1巻に収録された「あの空とおんなじ」というエピソード(元々は宮尾先生の実体験をほぼそのまま描いた単発作)に載っていますが、宮尾先生が少年時代にあこがれた自転車…NS40とのめぐり逢い、そしてそのNS40がお嬢さん(おそらくアオバちゃんのモデル)へと受け継がれていく心温まるドラマがあったのです…。
で、今回の下手絵の話に戻すと…最近になって80年代GIPNの動画を見たりしたことで、自分も一度フランス警察を描いてみたくなりまして。
その動画にたまたまGIPNの覆面車としてプジョー505が登場していたのを見て、「そういえばアオバちゃんのもプジョーだったな…よし、プジョー繋がりということでコラボさせちゃおう。」と相成りました。
しかし、これが苦労の始まり…何せ自転車、それも実在のブランド物?となると、細かい所までチマチマ描かないと正体不明になってしまいますし…他にも車の縦横比や人物の身長を調節したり、不自然にならないように背景を描いたりと苦労の連続でした。
そもそも、なぜ80年代のマルセイユにアオバちゃんがいるのか…(「アオバ自転車店」シリーズは1999年スタート)
まぁ、漫画にもタイムスリップ?するエピソードがあったりしますし、或いは何かの撮影現場にでも迷い込んだとか、いくらでも脳内設定はできそうですけどね。
ともかく、出来上がった後、渋の前にとりあえずツイートで公開してみたのですが、「やっぱり今回も…」「自分と同じ発想で上手い絵を描ける人がいれば…」などとボヤいたところ…まさかの奇蹟が起きました。
宮尾岳先生からリプを頂いたのです。
普通に絵を褒められました。
「自分が描きたい!って気持ちが何よりも大事。」
と励ましの言葉まで頂きました。
常日頃下手な絵しか描けないのを恨めしがっていた自分が、大物漫画家からこのような言葉を頂くとは。
映画の「エド・ウッド」で、やけ酒あおりに行ったエド・ウッドが、憧れの大物監督オーソン・ウェルズと出会い、「夢のためなら戦え。」と励まされる場面があるそうですが、私にとってはそれにも近い体験です。
(ただ、現実のエド・ウッドは生涯オーソン・ウェルズと会う事はなかったそうですが。一方、私の場合はネット上とはいえ実際に宮尾先生ご本人から励ましの言葉を頂きました)
一時は「二度と描かない」と決意までし(まぁその結果ストレス溜まって、通ってた事業所辞める羽目になりましたが)、再開後も半ば鬱々とした気持ちで描いていた、そんな絵描きとしての活動ですが、「まだまだ続けてみようか?」と思えるようになりました。
自分はまだ終わっちゃいない。これからも、時には誰かのため、そして自分のためにも、描き続けていきたいと思っています。
自分の作品を評価の目で見てくださる数少ない皆さんへ。これからも適当谷損気(Twitterなどでは妄想大好き人間名義)をよろしくお願いします。
参考にした動画↓
https://www.youtube.com/watch?v=8CV3PQncR24&t=952s
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