溺れた友人を助けようとし
た高校生も死亡した。
もう何人も死んでいる池だ
という。
悲惨すぎて言葉を失う。
私の高3の時の担任は私の
卒業後、夏の海で溺れてい
た小学生を助けようとして
海に飛び込み、小学生は助
かったが先生は流されて死
亡した。
早大一文卒の古典の教師で
授業内容も極めて良く、教
師自身の人も個性的で良く、
多くの生徒たちから好かれ
ている先生だった。
訃報が届いた時、かなりの
言葉にならないショックを
受けた。
同じく1980年代、学生時代
に同じ場所で同じ場面で同
じ活動をしていた東大の同
世代の学生仲間の友が山中
湖で水死した。学生会議の
合宿中の夜の事だった。
その友人の遺体の写真をそ
のまま掲載した写真週刊誌
は最低な事をすると思った。
私は学生の頃、某有名ジャ
ーナルの元編集長からの斡
旋で、当時販売部数が飛躍
的に伸びていた写真週刊誌
に新たに参入する大手出版
社編集部に就職を紹介され
た。
だが、私は人の不幸やスキ
ャンダルを執拗に追って暴
いて曝して晒す為に売文を
したくない、と折角の元編
集長の紹介だったが、辞退
した。
後年掲載された山中湖で水
死体となった首都圏会議の
友の無残な姿を見て、こう
いうメディアは市民の耳目
を集めて時事を報じる瓦版
にもなりゃしない、と痛感
した。
私への紹介斡旋の話を某編
集室においてたまたま横で
聴いていた私と同組織に属
していた当時の学生仲間が、
「今の○○(私)への話、私に
いただけませんか」と私の
辞退直後にその場で直に申
し入れて、その編集部に正
社員として就職し、永年勤
続したようだ。
果たしてジャーナリズムと
は何であるのか、大手各出
版社や報道機関の人員の意
識性と姿勢と態度と行動形
態、所業等は、私は未だに
疑問を持っている。特に今
世紀以降はひどいものがあ
る。
ジャーナリズムが死滅して
久しいとは巷間人口に膾炙
されるところだが、ジャー
ナリストとしてやってはい
けない一線を平気で超える
精神性を多くの場面で見て
来た。
意識性の水準の問題だろう。
夏の水難事故は多いが、避
けようとしても避けられな
い事もある。そして取り返
しのつかない不幸が発生す
る。
真実を伝える事は、国民の
「知る権利」の在り方と常
に対峙している。その姿勢
において。
ジャーナリストは、ジャー
ナリズムに身を置く公の場
面でも、プライベートな私
の場面においてさえも、絶
対に人を排斥、排除、排外、
差別、睥睨、侮蔑、侮辱す
る方向性や視座を微塵たり
とも有してはならない、と
私は今でも強く確信してい
る。