モスファンと呼ばれている植物について
モスファン
Lomariopsis sp.
アクアリウムで使われている本種。
一般的にはモスということで"コケ"として扱われることが多いかと思います。
よくホソバミズゼニゴケと誤認されて出回っていますね。
アクアリウム界でのホソバミズゼニゴケが本当のホソバミズゼニゴケなのかという話はさておき(アクア界隈の苔の同定はテキトーなので…)、雰囲気は似たようなものです。
この植物は2001年のドイツにおいて、植物学者のクリステル・カッセルマン氏の水槽で発見されました。水槽の中にいつの間にか発生したため、野外における元々の産地は不明です。
これがドイツ語で"淡水の海藻"を意味する「Süßwassertang」という名前で水草として広まり、当初のドイツでもミズゼニゴケの一種として流通しました。
このモスの正体については徐々に浸透してきていますが、シダ植物の「前葉体」です。
前葉体というのは顕花植物(花を咲かせる植物)に無理やり例えると"花"みたいなもので、この前葉体が受精することでいわゆるシダ植物の本体("胞子体"といいます)が生えてきます。
少し正確な言い方に変えると、シダ植物は「栄養を蓄え成長し前葉体を増やす胞子体」というステージと、「有性生殖で胞子体の増殖を行う前葉体」という2つの生活ステージがあるということになります。
これは生殖器官と栄養成長体が同じで生活ステージが1つしかない顕花植物とは大きな違いです。
シダ植物が面白いのは前葉体という花が胞子体という親植物から独立して育つことです。
普通の顕花植物なら生殖器官である花だけで光合成を行って何ヶ月も何年も生きながらえることはできないのですが、それをできるのがシダ植物の前葉体です。
前葉体もいろいろな形があり、一般的なものはハート形です。ハート形の前葉体は寿命が短い代わりに基本的に受精も早く、発生して早々に胞子体を作って枯れていきます。
一方でリボン状や糸状の前葉体はなかなか受精しない代わりに寿命が長く、前葉体だけで数年どころか無限に成長するものも確認されています。
そんな中でも前葉体から胞子体が発生せず、前葉体だけが無性生殖で延々と増えているものを、"独立配偶体"と呼んでいます。
顕花植物で例えると花だけが延々と生きているようなものです。
2017年現在で4科25種の独立配偶体が世界で確認されています。
この研究は北アメリカで盛んに行われていますが、近年は日本でも海老原博士らが各地で調査を行っており、これにより最初で最後の胞子体発見から60年ぶりに前葉体が見つかり、現存が確認されたシダもあります。
モスファンはこのシダ植物の前葉体であり、独立配偶体に該当します。
誤認されやすいホソバミズゼニゴケとの見分けは簡単で、器官の区別が無くいかにも不定形なものがこのモスファンです。
厳密には顕微鏡で見た方がいいですが、慣れればすぐに区別できます。
拡大すれば中肋という葉脈のようなものがないので分かります。
ここまでしなくても、本物のホソバミズゼニゴケはモスファンと違い比較的規則的な形をしています。
前葉体はかなり不規則な形です。
では、何のシダの前葉体なのかというところが気になりますね。
実際に胞子体が出てこないと分かりません。愛好家レベルでは前葉体の見た目で同定は不可能です。
ところがDNAの解析をすればある程度の同定は可能で、2009年に葉緑体の遺伝子を使ってこの解析を試みた研究があります。
その結果によるとLomariopsidaceae(ツルキジノオ科)のLomariopsis(ツルキジノオ属)のシダであることが示唆されています。
中でもLomariopsis lineataに非常に近いシダであるとされています。
Lomariopsis lineataだと断言しているサイトが散見されますが、原著では断言まではしていませんので注意してください。近縁種のシダであるとは推測していますが、塩基配列に差異があり、同種であるとは断定できていません。この差異が個体差や地域個体群レベルの差なのか、別種として扱うべきレベルの差なのかは不明です。
近縁種であるLomariopsis lineataは葉身1mまでなる半着生のシダで、日本のツルキジノオと同じように陸地で樹幹を這い上る陸生のシダです。
胞子体が時おり干上がった川べりに這う姿も見られるそうですが、野外においてL. lineataの前葉体が水中で見つかったことはないとのことです。
じゃあモスファンから胞子体を発生させて育てて確認すればいいじゃないかという話ではありますが、そんなことはすでに先人が散々試みています。
結論としては発見から20年以上経った現在でも、未だに胞子体の発生は確認されていません。
胞子体が発生しない理由は不明ですが、こういった長寿命の前葉体が独立配偶体を形成する理由についていくつか仮説があります。
① 胞子体が生存可能な環境要件(≒胞子体の発生要件)が整っていない
② 自家受精ができないため、単一クローンで占められた前葉体集団だけでは胞子体の発生に至らない
③ 生存可能な胞子体を発生させる能力を失っている
④ そもそも生殖能力を失っている
①であれば20年以上世界中で流通し様々な環境で育てられ、研究者が手にしていることも踏まえると胞子体の発生が確認されてもいいはずですね。
②はありえます。モスファンは今や無性生殖のみで増えていますので、単一クローンであることはほぼ間違いなく、自家不和合性により発生していないのかもしれません。
③も少し可能性は低いですがありえます。このタイプは1cmにも満たない小さく未熟な胞子体を発生してすぐに枯れますので、アクアリウムでは見逃されやすいでしょう。
④も可能性の1つです。
このタイプはもはや胞子体が生えてくることは無いので、一生前葉体のままですね。
ということで、本種の正体については2つの説が残り、
① Lomariopsis lineataの前葉体である
② Lomariopsis lineataに近縁の新種のシダの前葉体である
ということになります。
①であるとすると、陸上シダの前葉体であっても水中で生育可能ということになり、他のシダの前葉体でも同じことができるのかという意味で夢が広がります。(まぁ前葉体の見た目にそんなにバリエーション無いので夢だけですが…)
②だとすると、単純に新種への夢がありますね。
また前葉体が水中で育つとなると親である胞子体も水草として使える可能性があるため、新しい水生シダ(広義)への夢も広がります。
ただ今や様々な植物やシダが水槽に持ち込まれており、現地由来の株や水槽内または近くにある温室のシダから新しい未知の前葉体が発生する可能性は否定できず、全てがモスファンと同じLomariopsis属の前葉体とは言い切れない面もあります。
長くなりましたが、私の主張としては
1.本種をホソバミズゼニゴケやヤワラゼニゴケ、ミズゼニゴケsp.、モス sp.等の名前で流通させることは適当ではない
2.本種をLomariopsis lineataの名前で呼ぶことも"今はまだ"適当ではない
3.シダ植物って面白いよ!
以上の3点です。
栽培については低光量でCO2無添加、低栄養でも問題なく、我が家でも一時期は生体メイン水槽のアヌビアスの根元でこっそり生きていたような時期もあります。
こう見ると水中適性が非常に高い植物であることがうかがえます。
一般的に前葉体は親である胞子体よりも耐陰性が高いのですが、それでもここまでの水中適性を見せられると胞子体の水草適正への期待が高まりますね。
【参考文献】
https://www.flowgrow.de/db/aquaticplants/lomariopsis-cf-lineata
Li, Fay-Wei; Benito C. Tan; Volker Buchbender; Robbin C. Moran; Germinal Rouhan; Chun-Neng Wang; Dietmar Quandt 2009. "Identifying a mysterious aquatic fern gametophyte". Plant Systematics and Evolution. 281 (1–4): 77–86.
Jerald B. Pinson, Sally M. Chambers, Joel H. Nitta, Li-Yaung Kuo, Emily B. Sessa, and Editor: Erika Edwards 2017. The Separation of Generations: Biology and Biogeography of Long-Lived Sporophyteless Fern Gametophytes. International Journal of Plant SciencesVolume 178, Number 1
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