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<冬の足音>

 間もなく二十(はたち)になるお市は、美人との評判が高いのに、嫁入り盛りを逃している(参考=この時代の結婚最適齢期は十八歳と言われている)。
 周りはやきもきし、特に世話好きの叔母は今まで何件かの縁談を持ってきていた。その度に断ったのだが、今日来たのも又新しい見合い話だった。お相手は米屋の跡取りだった。叔母の好意を何度も無碍に出来ず、今回はとりあえず見合いだけは受けることにした。

 見合いをしてみると、相手は二十八で、昔は親に心配させる程遊んだが、今はもう遊びはすっかり止めて家業に精を出している、と飾らずに言う男で、お市は悪からぬ印象を持った。

 だがお市は、決めるのはあの人に会った後だ、と思った。

 時次郎はお市より六つ年上で、錺職の父親の十人もいる弟子の内の一番弟子だった。きりりとした男ぶりで職人としての腕も折り紙つきだった。
 お市が十三、四の頃、両親がゆくゆくは時次郎を、お市の婿にして店を継がせるのはどうだろう、と相談しているのを偶然耳にしたせいもあり、お市はずうっと時次郎に魅かれていた。
 
 だがその時次郎は三年前、突然家を出て行った。何でも岡場所の女とデキて、その女と会う金欲しさに、支度金目当てで他の店に移ったのだ、という評判だった。
 だがお市は、時次郎はいつか悪い夢が覚めて、必ず帰って来ると信じていた。それまで待つのだ、と思った。

 お市は時次郎に会いに行った。時次郎が或る時、自分が作った簪(かんざし)をくれたことがあった。それは十九のお市には若過ぎる造りで、もう似合わないと思ったがその簪を(かんざし)挿して行った。

 時次郎は少し痩せて、老けたように見えた。

 金は自分が払うから、と言ってお市は時次郎を小料理屋に誘った。
 二人で少し酒を飲んだ。
 もうすぐ二十(はたち)なのに何故嫁に行かないのだ、と時次郎が聞いた。
 「時さんが、いつかは帰って来ると思っていたの」、「時さんを待っていたの」とお市は言った。
 そして「あの人と別れて」、「別れてわたしをかみさんにして」と言った。

 「それは、出来ないよ市ちゃん」、「子供が二人いる」

 お市は金を払って、一人で先に小料理屋を出た。
 ……風もないのに、四方から寒気が押し寄せ、(中略)心の中までひびく冬の足音を、お市は聞いた。あの人が悪いわけじゃない。(中略)三年という年月に、眼もくれなかった自分が愚かだったのだと思っていた。(中略)簪(かんざし)を暗い川に投げ込んだ。時次郎にもらった簪だった。十九のお市にすでに似合わない簪だった。二十のお市には不要な品だった。(中略)簪が水に吸われる微かな音を耳にしたとき、娘の時期が、いま終わったと思ったのである。

                                    初出:『別冊小説宝石』 S52・冬季特別号
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