【断章/壱】
幕間 男として
宵闇館──ここ、
常闇之神社総本社、その遷宮に際し新たに建てられたそこは、館内だけで五〇〇坪という広さ。
ひしめく門弟の数は、百以上。しかし、選び抜かれた百名だ。
「太刀先で振るうな! 肚で振るえ!!」
大砲めいた大声で指示するのは、師範・稲尾楓。
「声出せ! 恥ずかしがるな!」
あちこちから気合いの声。示幻流には猿叫という技法があるが、声とはまず、己を鼓舞することが目的の一つにある。
次に、技術的に横隔膜を震わし、肉体を己の意のままに操るという側面もある。
そして、敵を真っ先に圧倒する、見えない斬撃でもある。
「先生、手合わせ願います」
そう、己に声をかけてきたのは二十前後の若い男だった。実年齢は遥か数倍だろう。男は、鬼火妖怪だろう。目が炎のように揺れている。
「いいだろう」
相手も同様である。
木を削り、焚き染め固めたものである。鉄ではない。だが、力強く打てば、首の骨を砕くし、突けば柔い部分ならば抉る。
つまり、試合とはいえ両者命懸け。まして二人は、稽古着である──。
「
「稲尾村、稲尾竜胆」
静かに睨み合う。
周りも打ち合う手を止め、気づけば輪になって観戦していた。試合の際、余計なことは喋らない。これは鉄則だ。
動いたのは、武井。速い。並の剣客ならば、圧倒されるだろう。
恐ろしい勢いで剣が振り下ろされる──その、次の瞬間である。
ぱぁん、と木が割れるような音がして、武井の木剣が半ばから折られている。
武井の唐竹に合わせて竜胆は素早く剣を振るっていた。まず、柄頭で相手の切先を受け止め、すかさず、横薙ぎで半ばから砕いたのである。
背後に回った竜胆は首筋でびたりと木剣を止めた。
「ま、参りました」
確かな剣才。稲尾狐閃流中伝、そして宵闇無明流剣術の中伝をおさめる師範代。
竜胆は、無言で木剣を腰に差した。
「研鑽するように」
そっけなくいい、悔しそうに歯軋りする武井には、しかしもうなんの興味も向けていない。
両親の名は稲尾楓と、婿養子に入った父・稲尾靖雄。いずれも妖狐である。
上には剣姫とあだ名される姉・稲尾
己は五十になるまでは武芸百般、血反吐を吐くような鍛錬を行なっていた。
元服を迎えた彼は晴れて常闇之神社守護職になり、その卓越した武術の才覚と人当たりの良さから、神闇道の宵闇無明流道場の師範代に任命された。
生まれも育ちも最高で、家族仲もすこぶる良い。友にも恵まれているが、彼はそれでも己が姉と妹に劣るという感覚をどうしても味わい、己を卑下する悪癖のようなものを持ち始めていた。
姉はそんな竜胆を見て、どうにか道を正そうとしてくれていたようだったが、日を追うごとにそれさえも鬱陶しくなってきて、とうとう口を聞かなくなった。
最悪なのは、己が表にでれば子女たちが顔を赤らめたり、声をあげてさえして喜ぶこと。
どうやら世間的には己の目鼻立ちは相当に良いらしく、それがまた、竜胆を苛立たせた。
ある時竜胆は、神社の井戸から組んだ水を
美貌。そう言っていい顔は、どこか澱を纏い、暗くなっている。それでさえ、周囲の女たちは喜ぶ。
姉も妹も、身内贔屓ではなく見目は良いが、それ以上に能力を評価されている。
けれど──それに引き換え、竜胆という名の己は、はりぼてだけ。
こんな、甘ったれた面相……変えられるものなら変えてやりたい。いっそ、短刀で引き裂いてやろうか。
しかし、悲しむ姉や妹の顔がよぎると、そのように胎を括ることさえもできない。心底腑抜けだと、己を打擲するように木剣で巻藁を打った日もある。
「ちくしょう」
水面に拳を打ちつけた。いびつに醜く歪んだ己の顔を見て、けれども、そのように恐ろしい姿こそが男らしいとさえ、思えた。
こんな薄皮で作られたようなものではない。もっと、鬼気迫るような──真に男と、武芸者と言えるような。
時は火の暦八六八年(十一年前)。
天海郷では戦が起きたと聞く。反妖怪派の徳河幕府を打たんとする親妖怪派──討幕派が挙兵。雲雀・伏辺の戦いで幕府を破ったと聞く。
「僕も戦に出る」
ある時、竜胆はそれだけ書き置きし、郷脱け。
そして彼は恵戸の無血開城に納得のいかなかった武士が起こした抵抗運動──上野戦争で初陣を経験し、そこで八面六臂の活躍を見せるのだった。
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