第五幕 旅籠の再会

 時刻は舶来法で午後五時過ぎ。空はすっかり夕暮れ時である。

 あれもこれも全部画一的な数字で決め込む時代である。鷹揚じゃあねえな、と朔夜は感じるが、これもまた時代というものだろう。


逢魔時おうまがとき……俺も妖だな」


 昼夜の境は、妖怪の血が騒ぐものだ。

 昼から夜の黄昏、夜から朝の暁月には、何故か妖怪の往来が増える。

 それは彼らが「境界の住民」であるからだ。


 神と人の狭間にある者。海と陸の間、あちらとこちらを隔てる川や堀、道、山と里の間、辻、普段使わぬどこか異質な部屋など──。

 そうした「境界」を妖怪は好む。古来妖怪との遭遇は、越境の時に最も多かった。当時の人間にとっての、異界への越境。それは、妖怪との遭遇を意味していた。


 人は、何か未知に飛び込むことに恐怖を覚える。一歩飛び越えて仕舞えばそれは興奮になり、ある段階で歯止めを効かせねば、恐ろしい過ちを犯す。

 故に妖怪は人を諌め、罰し、神の領域をけがさぬように──と注意してきたのである。神仏の怒りは、妖怪のそれが児戯に思えるほどに恐ろしいからだ。


 そういうわけだから、ときどき、妖怪が部屋と廊下の間でじっとしていたり、なかなかかまちに足をかけなかったり、そのようにして敷居を上がらなかったり……まさに、妖怪は何かと「ゆっくり」している。

 これは何も迷惑をかけたいのではなく、「越境」という行為に重みを感じるからこその、独特の仕草であった。


 西洋にも、客人に正式に招かれなければ家に上がれない──つまり、越境できない吸血鬼という妖怪がいる。彼らはやはり、川を渡ることを恐れるらしい。

 デュラハンという連中も、川を渡れないという。彼らに追い回されたらひとまず川の向こうへ行けば良いというのが、対処の一つらしい。

 実際にはデュラハンは恐ろしい怪物ではなく、どうやら驚いた連中の気力を吸って、生きているだけなのだが。いたずら好きという意味ではとても妖怪に近しい、親近感さえ覚える。


(意外と、東洋西洋の違いってのはないのかもな。みんな、新しい場所に行くのはなかなか怖いし、驚嘆させたいって気持ちも同じだ)

 朔夜は一軒の旅籠はたごに入った。大竹屋と屋号にある。

 金を払い、女将に二階に案内された。六畳間の部屋で、朔夜は壁際で腰を落ち着けた。

 身につけていたタバコ入れを取り出し、紙に葉を巻いて、唾で巻きつける。指先に、簡単な基礎術──火術で火を灯し、タバコに着火した。


 肺の奥までたっぷり紫煙を吸い込む。口の中でくゆらす吸い方より、こういうふうに、深く吸うのが好みだった。

 祖母も父も重度のタバコ好きだが、いずれも、肺を悪くすることはなかった。そのような家系なのだろう。


 根元ギリギリまで擦ったそれを指で揉み消して、吸い殻を牛の角を加工した携帯灰皿に入れると、外から足音がした。


「失礼いたいます。稲葉様に、お客様がお見えになられています」

 旅籠の女将が、襖越しにそういうのが聞こえた。女将には本名を名乗っているので、稲葉、と呼ばれてもおかしくないが。

 しかし朔夜は訝った。

(俺に客? 誰だ)


「特に待ち合わせはしていないが。その客人の名は」

「霧島銀乃と」


 誰だそれは……朔夜は、低く喉を唸らせる。

 思い当たる者はいない。

「知らない名だ。帰ってもらってくれ」

「はあ……」


 だが、女将は去らず、襖を開けた。

 朔夜は咄嗟に腰に差していた馬手刺し──いわゆる刺刀を抜き放つが、相手は、すぐにこちらに飛びかかり刺刀を握る右腕を捻り上げる。緩んだ刺刀を猫又の金髪女──銀乃は素早く弾く。


「知らんとはひどいな。うちを忘れたんか」

「てめえ……まだ懲りねえのか」


 朔夜は肩の関節を外し、拘束を逃れる。

 脱臼させた右肩を壁に押し付けかこんと嵌め直すと、徒手の構えを取った。


「よせよせ、喧嘩する気はない。うちも、手ぶらやで」

「乱波の手ぶらってのは、信用できん」

「まあそうやな。うちでもそう思う。でも、それ言ったら術師の徒手だって信用できひんやん。妖力みなぎりまくっとるで」


 む……と朔夜は黙り込む。


「本当にやる気はないんだな」

「平和な旅籠で、そんなことして、迷惑やん。いや、ほんまのこというと飯奢ってもらおう思って」

「なんてやつだ……」


 豪胆なのか、はたまたとんでもない馬鹿なのか。

 けれども、肚が坐っているのは確かだ。


「わかったよ。でも、事情を話してくれ。お前はなんなんだ?」


 朔夜は手を下ろし、畳の上に座った。

 銀乃は正座ですっと腰を下ろす。


「うちは隠密霧島組の、霧島銀乃。嫡流、霧島浩一の従姉妹にあたる」

「……霧島、って。稲尾の懐刀の?」

「知っとるようやな。稲葉流は、代々稲尾に師事し、剣を学ぶ。霧島一閑いっかんを知っとるか」


 銀乃はそう聞いた。

 頷いて、返答する。


「姓は初めて知ったが、一閑と呼ばれていた猫又なら知っている。師範・稲尾楓の従者だった男だ。馬廻といっていたが、風呂焚きや掃除もやっていた。ひとのいい年嵩だった」


 実際、一閑という猫又はそういう風にしか見えなかった。

 けれど相手が隠密ならば、そう見せるために全霊を注いでいたのだろう。


「ということは、五尾というのは猫をかぶっていたと」

「一閑様が五尾なわけない。あの方は八尾。三尾のうちじゃあ、ひっくり返ったって傷一つつけられへん」

「稲尾師範が七尾だ。それ以上……」


 それから、銀乃は己が一閑の弟・二元じげんの子であること、そして、逢坂で密偵をしていたことを語った。

 諸々の事情を知ったのち、銀乃は、


「稲葉と霧島は決して遠い関係やない。奇妙な因縁が、結びついたのかもわからん。それこそ神の思し召しかもな」

「……なら、確かめるか」

「うん?」

「次の次の宿場に大きな神社がある。火湖神社だ。そこに行って、神主に占術で確かめてもらう」


 神仏の治世である。占術とは確かな「事実確認」の側面があり、カラクリ全盛の西条地域では眉唾の出鱈目と思われている。


「ええで。それなら確かや」

「……確かに東の妖怪らしい」


 占術をはきと確かだというのは、紛れもなく、東条妖怪の特徴である。


「お食事のご用意をいたしますが」

 襖越しに、今度こそ女将の声がした。


「すまない、料金を上乗せする。二人分用意してくれ。半妖と妖怪、いずれも獣の妖怪だ」

「承りました」


 深くは聞かない。客について詮索しないのは、この地域の特徴だった。

 首を突っ込まなければ、要らぬ争いは起こらぬ。

 諍いごとを好まない、花山郷の民の性質であった。


 争いごと──この場合、喧嘩、といっていいか。

 妖怪は、血の気が多い連中ばかりというわけではない。中には「酒と喧嘩は妖の花道」なんていう連中もいるし、それも事実の側面である。

 けれど、「和歌と風靡な雪月花に酒を添えるのが妖」とすることもある。

 それは、どちらも正しいのだ。


 ときに男神より雄々しい女神・天慈颶雅之姫あまじくがのひめ様のところの連中ならば、誰かが突っかかってきたならば即座に「インネンふっかけやがって、ふざけんなコラ」と挑みかかり干戈を交えるだろう。


 あるいは海のようにおおらかかつ、ときに激しく波打つ荒波の如き海鳴水凪喪姫うなりみなもひめ様のところの者ならば、「まあまあ、やるだけ無駄だって」と己の強さを仄めかしつつ矛をおさめるだろう。


 火湖花山之尊様の慈悲の火炎と、物作りの御霊に照らされるここいらの連中なら十中八九、「一旦、そこの茶屋で団子でも食いませんか」と矛を逸らしてしまうだろう。


 軍隊生活が長かった朔夜は、どうしても喧嘩腰だから……もちろんこのような例外は多いし、あくまで郷柄の例えだから、皆がそうではない。


「銀乃、お前ら霧島は裡辺郷生まれなんだよな」

「いかにも」

「そっちの方って、子供を神の贈り物、ってとらえるんだっけか?」

「せや。この子の七つのお祝いに〜って民謡あるやろ。あれやで。子供は神様のモンで、そんで授かりモン、つまり贈りモンやから、大事にせなあかんでっていう。せやから子殺しは大罪中の大罪でな。……そら……どえらい罰やで」


 朔夜は「引き回しの上、打首獄門か?」と聞いた。

「いや、磔や。知らんか?」

「いや……」


 銀乃曰く、こうである。

 磔とは丸太にひとを押し付け、両手を万歳の形で縛り、足も縛りつける。

 そうして脾腹に槍を突き刺し、刺しまくり、はらわたを抉り出してカラスや虫どもの餌にする。最後はそのまま焼き払うという……凄まじい刑罰だ。


「子殺しはどこでも大罪だが、そりゃあすごいな……」

「だからっちゅうわけでもないが、うちらはみんな子供好きが多くてな。他ならぬ、主祭神の常闇様からして大の子供好きやねん。小児性愛って意味やないで」

「それくらいわかってるよ」


 ちなみに、神仏は好むものが違う。これも、人妖と同じ。

 たとえば火湖花山之尊様は武具作品を好み、出来のいい御神刀を打った年は善き年になると言われている。


 ──そう、この花山郷は物作りの郷である。

 作刀、鎧造り、和歌、農耕、酒造、料理まで。


「飯、どんなやろ」

「ニジマスの唐揚げあんかけってのが定番だ。ここらの郷土料理だからな」

「さすが地元民。……そうだ、一個ええか」


 視線だけで「どうした」と問う。


「なんで、太刀なんや。普通の刀の方が、徒歩にはよくないか」

「昔の名残だ。大蛇伝説の頃の。あの頃は騎馬が普通だったからな」

「ああ、そういうこと。……というか、うちらは平然と受け入れとるけど、なんで、盾を持たんくなったんやろ?」


 この疑問は、大いにある。西洋人も、「なぜお前たちは盾を持たない」と問う。

 朔夜も、平然と「俺たちは……そうだ、なんで盾を持たないんだ……?」という、そう疑問を持つ男だった。


「稲尾師範が言うには、いくつかの要因があるらしい。一つに、俺たちが駆る馬は去勢しないだろ」

「ああ。それが?」

「普通牡馬は去勢して大人しくさせるんだが、なぜかご先祖は気性の荒い馬を従えてこそ武士の誉、としたらしいんだ」


 本当に変な話だが、これに尽きるのだ。

 故に、当時の武士は凄まじい腕力で手綱を握らねばならず、使えてせいぜい腕一本。結果、盾を持たなくなった。

 一方、去勢をしていない荒馬故に落馬して死ぬ武士が増え、鍛治師たちは鎧の強化に乗り出した。

 小札という部品を重ね合わせる方式で強靱化し、大袖という肩当てを取り付けた。この大袖は、いわゆる盾の役割も果たしている。


 やがて戦が徒へ以降する。ならば今度こそ盾の時代──とは、ならなかった。

 あろうことかこの頃になると武士道が出来上がってしまい、「やられる前にやっちまえ」、「盾なんかで受けてたまるか、男らしく散ってこその武士!」という思想──武士道とは死ぬこととみつけたり、なんていう考えが普通になった。

 とにかく侍は体裁や矜持、面子を気にし、その末に「保守的な盾を使うことは恥」とすら思っていたのである。

 切腹文化、なんていうのはその白眉。


「そう言う理由で、盾が使われなくなったらしい。とはいっても、陣地を守る置楯なんかはまだまだあるぞ。それに古代では皮盾や木盾が使われていたし……」

「なるほどなあ。てか、大半はもう精神論やんな」

「俺もそう思う。それに、片手の腕力じゃ肉は斬れても骨を断てないだろ」


 牡馬を乗りこなしてこそ武士、と言う考えだって精神論だ。つまり、「武士という生き物の性格上、盾はあまりにも相性が悪い」というだけだった。

 それだけで、和深の民はついぞ盾を持たないおかしな武芸を主流とする戦いが常態化し、今に至るわけだ。


「お待たせいたいました。開けさせていただきます」


 襖を開け、女将が入ってくる。

 膳には雑穀を混ぜた山盛り飯と、ニジマスの唐揚げあんかけ、山菜と牡丹を使った味噌汁、漬物。


「他のお客様もございますので、睦ごとは、声を抑えてください」

「いや俺たちはそういう関係じゃあないです」

「せやで、誰がこんな、女々しい長髪なんぞ」


 女将はふふ、と笑い、部屋を辞した。


「誰が女々しいんだ」

「鬱陶しい髪しよって。男なら、短く刈り込まんか。それか月代にして髷を結わんかい」

「うるっさいな」


 今の時代、ざんぎりに総髪に──髷を結える文化も強制じゃあないので、自由である。

 一方で、月代と髷こそ東条男児とする考えも、多いのだ。


「いただきます」

「いただきます」


 ようやくの思いで、二人は手を合わせ、食事にありついた。

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